狂気のうた

 その知らせを聞いた時、海斗はただただ唖然とするばかりであった。

 海斗にとって友人であり仲間でもあった小林昭一。しかし夕べ、店の中で士想会のチンピラに射殺されてしまったのだ。


「おい海斗、こいつは本当にヤバいぞ。ったのはシャブぼけのチンピラらしいが、盃をもらってる正式な組員なんだよ。こうなると、士想会としても言い訳できねえ。お前も、さっさとこの町を離れるか、しばらく大人しくしてろ。でないと、お前も殺られるかもしれねえぞ。士想会の奴らから見れば、お前は沢田組の人間と見なされても仕方ないからな」


 顔見知りの警察官である高山裕司タカヤマ ユウジは、ひどく真剣な表情で海斗に言った。

 しかし海斗は、自分の身の安全などどうでも良かった。

 彼にとって、かけがえの無い存在であったはずのものが、またひとつ消えてしまったのだ。

 海斗と小林とが出会ったのは、全くの偶然によるものだ。チンピラだが気のいい海斗と、巨漢の元プロレスラーだがオネエの小林。彼らふたりは、世間から見れば完全なる外れ者である。しかし外れ者同士であるがゆえに気が合い、いつしか友情らしきものが芽生えていた。

 その小林が、死んでしまった。

 瑠璃子を失った心の傷は、未だ癒えていない。さらに今、もうひとりのかけがえの無い仲間を失ってしまったのだ。

 これから自分は、何をすればいいのだろう。




 海斗は自宅のベッドに横たわり、じっと天井を見つめている。この十日ほどの間に、彼を取り巻く環境は大きく変わってしまった。その変化に、未だ対応できずにいる。ただただ、戸惑うばかりだ。

 虚ろな表情で、天井を見つめていた時だった。ドアを叩く音が聞こえてきた。同時に、外から声が聞こえてきた。


「おい有田、新しく来た幹部の庄野さんがな、お前の面を見たいんだと。事務所に来ねえとヤバいぞ。庄野さんは、滅茶苦茶おっかねえんだよ。事務所に顔出さねえと、ヤキ入れられるぞ。下手したら、ここに乗り込んで来るかも知れねえ」


 この声には聞き覚えがある。浦川真ウラカワ マコトという沢田組の組員だ。もう四十近い年齢だが、未だに下っ端である。自分を呼びに来るような使い走りの仕事をさせられているという点から見ても、出世頭でないことは容易に理解できる。

 海斗は、浦川のことは嫌いではなかった。この男、一応は正式な組員である。しかし、ヤクザになりきれない部分を未だに引きずっている不器用な男なのだ。いや、ヤクザ映画に憧れている部分を未だ引きずっている、といった方が正確か。

 もし自分を連れて来られなかった場合、今度は浦川が責められることとなるだろう。面倒くさいが、行くしかあるまい。海斗は起き上がり、扉へと向かった。


「浦川さん、大丈夫ですよ。俺、今から事務所に行きますから」


 そう言うと、服を着替えた。




「おう、お前が有田海斗か。藤原さんから話は聞いてたぜ。あちこちから金を集めてくるのが上手いらしいなあ」


 庄野政弘ショウノ マサヒロは、ニヤリと笑う。ブランド物の高そうなスーツに身を包み、髪は整髪料でカチンカチンに固めたオールバックである。その手には、白い革手袋をはめていた。体はさほど大きくないが肩幅は広く、どこかの俳優のように目鼻立ちのはっきりした濃い顔立ちである。年齢は三十代の半ば、という感じだ。海斗を見る目には、冷酷な光が宿っている。

 さらに、庄野の横にはパンチパーマの若者が立っている。頬はこけ、目付きは病的なまでに鋭い。こちらは、胸にでかでかとキングコブラがプリントされたシャツを着て、海斗を睨み付けている。どこに行けば、こんな恐ろしいセンスのシャツが売っているのだろう。

 もっとも、それよりは庄野の手首に付けているロレックスが果たして幾らする物なのだろうか、ということの方が興味深い……などと下らないことを考えながら、海斗は口を開いた。


「いえいえ、そんな大した者じゃないですよ。僕は底辺を這い回って、かろうじて生きてるだけですから……」


 言いながら、ペコペコ頭を下げる。だが内心では、目の前の男にどう対応するか考えを巡らせていた。物言いや雰囲気から察するに、この庄野という男は藤原よりも遥かに厄介なタイプだ。藤原にはまだ、人間としての落ち着きがあった。ヤクザとしての面だけでなく、商売人としての立ち振舞いも知っていた。

 しかし、この庄野は典型的な武闘派ヤクザであるらしい。気に入らないことや都合の悪いことは、全て暴力でねじ伏せるタイプだ。

 恐らく、本格的な抗争になることを予期した沢田組の上層部が、根っからの武闘派を派遣したのだろう。何とも面倒な話だ。

 愛想笑いを浮かべながらも、頭の中では、そんなことを考えていた。だが次の瞬間、その表情は凍りついた。


「なあ有田、おめえはオカマの小林と仲良かったそうだな。あの、撃ち殺された小林と」


 言いながら、庄野はニヤリと笑った。


「ええ、まあ」


 かろうじて言葉を絞り出す。だが内心では、こみ上げてくる怒りを必死で堪えていた。庄野は小林という男を、オカマというデータだけで判断しているのだ。

 小林は本物の漢……いや、性別など超えた人間だった。強い肉体と優しい心を持っていたのに、ゲイという理由だけでプロレス界を追われてしまったのだ。

 それでも、小林は優しい気持ちを失わなかった。弱者に対する、弱者の思いやりを知っている男だったのだ。少なくとも、目の前にいるクズ共よりはずっと生きる価値があったはずだ。海斗は、その事実をよく知っている。

 なのに今、小林は死体安置所に横たわっている。そして人間のクズから、オカマなどと言われているのだ……。


「なあ有田、お前まさか、小林とデキてた訳じゃないよな?」


 不意に尋ねてきた。海斗は複雑な気持ちを押し殺し、笑顔を見せた。


「い、いえ、僕にそっちの趣味はないですから──」


「まあ、そうだろうな。それに、あんな奴にヤられたら、お前なんか簡単にブッ壊されちまうよな」


 庄野がそう言った途端、横にいる男がゲラゲラと笑った。いかにも下品な笑い声だ。

 すると、庄野の表情が曇る。


「おい小杉、何を笑ってんだよ? いったい何がおかしいんだ?」


 冷たい口調で言いながら、男を見つめる。小杉と呼ばれた男は、笑いながら口を開いた。


「いやあ本当に、あの小林にヤられたら、ただじゃ済まないっスよね。壊されちまいますよ」


 いかにも頭の悪そうなセリフだ。そんな両者のやり取りを、海斗は顔をひきつらせながら見ていた。庄野の様子は普通ではない。彼の体から、獰猛な空気が発散されている。この男は、何かやらかす気だ。


「だから、何がおかしいのかと聞いてるんだよ。俺が今いったこと、そこにお前がバカ笑いするような要素があったのか?」


 冷酷な表情で、なおも尋ねる。

 小杉の額から、汗がにじみ出てきた。やっと、このやり取りのおかしさに気づいたらしい。


「えっ? いや、その、あのう──」


「なあ、俺が聞いているんだろうが。だったら、さっさと答えろ。お前、俺をナメてんの? バカにしてんの?」


 言うが早いか、庄野は立ち上がった。次の瞬間、小杉の顔面を殴り付ける──

 小杉は、鼻血を出しながら吹っ飛んだ。しかし、庄野の暴力は止まらない。彼のそばにしゃがみこむと、平然とした表情で顔を殴り続ける。

 何度も、何度も──

 室内には、規則正しい殴打の音が響き渡っていた。


「ところで有田、お前はどうするんだ? 士想会の奴らからケジメ取る気なら、いつでも言えよ。チャカくらいなら貸してやるぞ」


 海斗に話しかけてくる庄野。顔は海斗の方を向いているが、小杉を殴る手は止めていない。倒れた若者のそばにしゃがみこんで、一心不乱に殴り続けながら話しかけているのだ。既に小杉の顔面は血まみれで、折れた歯が床に転がっている。このままでは、死んでしまうかもしれない……。


「し、死んじゃいますよ。もう止めた方が……」


 掠れたような声で、海斗は言った。すると、庄野はようやく手を止め、床に転がっている小杉に視線を移した。彼は両手で顔を覆い、呻き声を上げている。


「こいつは、しばらく使い物にならねえな。なあ有田、こいつの代わりに組員にならねえか?」


 言いながら、庄野は立ち上がった。彼の革手袋は血まみれだ。

 庄野は不快そうな様子で、その手袋を投げ捨てる。すると、彼の手が露になった。両方の小指と薬指が、すっぱりと切断されている。


「こんな手になると、色々と面倒なんだよ。人を殴るにしても、力が入りにくいしな」


 言いながら、小杉の体を蹴り飛ばす庄野。その目には、ひとかけらの情も浮かんでいない。


「おら、とっとと起きて、自分の足で病院行ってこい。でねえと、てめえを死体にして埋めちまうぞ」


 庄野の言葉に、よろよろしながら立ち上がる小杉。顔を押さえながら、覚束ない足取りで事務所を出ていった。

 その一部始終を、海斗は呆然とした表情で見つめる。庄野という男は、根本的にどこかが壊れている。一般的に、人間は徐々に悪くなっていくものだが……庄野は、生まれながらに狂っている。今の執拗な暴力は、先天的な人格の為せる業ではないだろうか。

 こんな男であるからこそ、抗争の真っ只中に送りこまれたのだ。庄野は、敵に噛みつく以外には能のない闘犬、いや狂犬である。

 今の任務は、士想会の者を全て噛み殺すことだ。逆に言うなら、それ以外のことには興味も関心もない。地元の堅気の人間と上手く付き合っていこう、などという殊勝な気持ちなど、欠片ほども持ち合わせていないであろう。庄野はただ、目の前の敵を潰すだけだ。


「おい有田、もう一度聞くぞ。お前はどうしたいんだ? 士想会に殴り込むなら、チャカ貸してやるぞ」


 新しい手袋をはめながら、なおも問いかける庄野。だが、海斗は引きつったような愛想笑いを浮かべ、首を振った。


「い、いえ、俺にはそんな事できませんよ。そんな根性もないですし──」


「んだと? お前は友だちを殺られて、黙って引っ込んでいるようなクズなのか? 小林の仇を討ちてえとは思わねえのか?」


 庄野の発した言葉は、海斗の心に突き刺さった。小林は、かけがえのない仲間だ。その仲間を殺られているというのに、自分は何も出来ずにいる。

 もちろん、理性で考えれば復讐など愚かな話だ。そもそも、小林を殺した男は既に逮捕され留置場で取り調べられている。今さら殺すことなど出来ない。

 だが、胸の奥に釈然としない気持ちがあるのも確かだ。小林が殺されたというのに、ただ黙って成り行きを見守っている。そんな自分の態度に、納得している訳ではない。

 複雑な思いを押し隠し、海斗は口を開いた。


「すみません、俺にはやっぱり無理です……」


 結局、海斗には蚊の鳴くような声を出すことしか出来なかった。

 庄野は、冷酷な表情で海斗を見つめる。


「お前は、ヤクザには向いてねえのかもしれねえな。俺がお前くらいの歳には、上の人間に言われる前にカチコミ掛けてたもんだよ。損得なんざ考えてちゃヤクザは務まらねえ。考える前に動く、それがヤクザってもんだろうが。懲役が怖くて、ヤクザがやってられるかよ」


 昔を懐かしむような表情で語る。

 一方、海斗は神妙な面持ちで聞いてはいた。しかし、こんな状況にもかかわらず、内心ではほとほと呆れ果てていた。この手の人間は、必ず自慢話をする。藤原もまた、若い者を集めての自慢話に花を咲かせるのが好きだった。庄野も例外ではないらしい。


「昔、俺の兄貴分が他の組の連中と揉めたことがあってなあ。俺はそん時、ダンプカーをパクって向こうの組事務所に突っ込ませたんだよ。表向きには、ただの交通事故だ。けどな、その事故のおかげで向こうがビビっちまったよ。手打ちの時には、こっちの言いなりだったぜ」


 いかにも楽しそうに語る。海斗は愛想笑いをしながら頷いた。機嫌を損ねてはならない。話を合わせるのだ。

 すると、庄野は満足そうな表情を浮かべた。


「おめえも、いい加減に腹を括れや。いつまでも、のらりくらりとしてられねえんだぞ。中途半端なことしてると、ケガじゃ済まなくなるぜ。こっちの世界でやっていくつもりなら、立ち位置ははっきりさせねえとな。でねえと、うっかり殺しちまうかもしれねえよ」




 事務所を出ると、まずはホッと一息ついた。

 あの庄野という男とは、この先も上手くやっていけるとは思えない。このまま、どっちつかずの立場にいたとしたら……確実に、自分もあの小杉という男のような目に遭わされることになる。

 これは、ちょうどいい転機なのかもしれない。瑠璃子が去り、小林が死んだ。もう、この真幌市に留まるべき理由はないのだ──


「あれ、海斗くんじゃないか? こんな所で、何をしているんだい?」


 不意に声をかけられ、海斗はまごついた。周囲を見回すと、通りの向こう側に見覚えのある男が立っている。スーツ姿でカバンを持ち、とぼけた表情でこちらを見ている。誰かと思えば、営業マンの崎村ではないか。


「やあ、崎村さん」


 海斗は力なく微笑んだ。

 立ち話もなんだからと、ふたりは近くのファミレスに入った。だが、海斗はここでも異変に気づく。客層が明らかに変わっているのだ。マスコミ関係者や私服刑事とおぼしき者たちの姿が目立つ。その数は多くはないが、確実に増えている。

 そんな中、海斗と崎村は席についた。


「海斗くん、小林さんのことは残念だったね。あんないい人が抗争に巻き込まれて命を落とすなんて、世の中は間違ってるよ」


 コーヒーを飲みながら、呟くように言った。


「そうだよな。くそヤクザ共が……皆殺してやりたいぜ。何で、無関係の人間を巻き添えにするんだよ」


 吐き捨てるような口調で言った海斗に、崎村は顔色を変えた。


「滅多なことを言うもんじゃない。もし、ヤクザに聞かれたらどうするんだ」


 真剣な表情で諭す。それを見た海斗は、思わず苦笑した。この店に、ヤクザらしき人物は見当たらないのに。崎村は、骨の髄まで小心者であるらしい。だが、海斗は素直に頭を下げる。善人である崎村を相手にイキがった振る舞いをするのは、好むところではなかった。


「あ、そうですよね。どうもすみません」


「ここを離れた方がいい。君は天涯孤独なんだろう? なら、こんな所にいなくてもいいんじゃないのかい?」


 崎村の問いに、海斗は下を向く。確かに、もう真帆市に留まる理由はない。瑠璃子は消え、小林が死んだ……大切な仲間が、二人もいなくなってしまったのだから。


「そうですね。俺もいい加減、違う生き方をすべきなのかもしれないです」


 答えたが、そこである疑問に気づく。


「あの、そう言う崎村さんは、まだここに留まるんですか?」


 今度は、崎村の方が苦笑した。


「そうなんだよ。当分、ここに残らなきゃならないんだ。俺はしょせん、組織の歯車のひとつだからね。サラリーマンは辛いよ。ちょっとだけ、君がうらやましいね」






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