別離のうた

 孤児院を出た海斗は、いつものように瑠璃子に会うため廃工場へと向かった。

 昨日までとは一変して、町中はひっそりと静まりかえっている。沢田組や士想会の構成員たちの姿を、ほとんど見かけないのだ。たまに、見覚えのある組員とすれ違う程度である。

 もしかすると、両組織のトップからの指示なのかもしれない。下手に出歩き、余計な争いの種を撒き散らすな……という命令が出たのだろうか。

 となると、沢田組も士想会も本格的な抗争は望んでいないのだろう。いずれ、適当なところで手打ちが行われてくれることを祈るだけだ。

 いずれにしても、この静けさが嵐の前触れでなければよいのだが……海斗は辺りを見回しながら、慎重に歩いていった。

 やがて、廃工場に到着する。ここもまた、ひっそりと静まりかえっていた。

 入ってみると、にゃあと鳴く声が聞こえてきた。黒猫のルルシーだ。いつもより、愛想がいいような気がする。のそのそと近づいてきて、海斗の足に顔をこすりつけてきた。


「おいルルシー、ご主人さまはどうしたんだ? 出かけたのか?」


 尋ねてみたが、にゃあという声が返ってきただけだ。海斗は、さらに奥へと入っていった。


「瑠璃子、海斗ちゃんが来たぞ。遊ぼうぜ」


 そっと声を出す。瑠璃子は、人の気配に敏感だ。吸血鬼ならではの超感覚で、人間が近づいてくると直ちに感知する。声を出さずとも、自分が来たことには気付いているはずだ。

 だが、返事はない。しばらく待ってみたが、出てくる気配もない。もしかして、昨日のことをまだ怒っているのだろうか。


「なあ、いるんだろ? 出て来いよ。お前は知らないだろうがな、町は今ヤクザ共が殺し合いを始めそうなんだぞ。もう大変だよ」


 言いながら、懐中電灯を取り出す。辺りを照らしてみたが、瑠璃子の姿は見えない。それ以前に、彼女のいるような気配すら感じられないのだ。

 いったい何が起きたのだろう? 海斗は不安を覚えた。こんなことは初めてである。まさか、ヤクザごときにどうこうされるとも思えないが、万が一ということもある。


「おい瑠璃子、さっさと出て来いよ。かくれんぼしてる場合じゃないんだよ。昨日のことなら、ちゃんと謝るからさ。な? 土下座しろって言うならするよ」


 言いながら、海斗は懐中電灯であちこち照らした。すると、奇妙なものが目に入る。

 床の上に、一枚の紙が置かれている。どうやら、ノートのページを破ったものらしい。表には、文字が書き込まれていた。さらに、飛ばないように石を重しの代わりに乗せている。明らかに人為的なものだろう。

 海斗は紙を拾い上げ、懐中電灯で照らして読んでみた。

 途端に、その場に崩れ落ちる──




 海斗へ

 こんな形でいなくなってごめんなさい。だけどね、これ以上あんたの好意に甘えるわけにはいかない。あんたはバカだから、あたしが何を言おうが自分の損を考えず頑張っちゃうでしょ。だから、あたしがこの街を離れることにするよ。

 これからは、あたしのことなんか忘れて、自分の幸せを探しなよ。あんたなら、すぐに可愛い彼女が出来るよ。だけど、変な女に引っかかったら駄目だからね。顔だけで選ばず。いい奥さんになってくれそうな娘にするんだよ。そして、あたしの代わりに素敵な家庭を築いて欲しいな。あたしには、永遠に無縁になっちゃったものだからさ。

 あたしは、このまま吸血鬼として生きることにするよ。どうせ、あの時に殺されていたはずなんだし、別に悔いはないから。人間に戻ることにも、今さら未練はないしね。あたしは、ずっと若いまま生きられるんだから。あんたがヨボヨボのジジイになっても、あたしは今のまんま元気でいられるんだよ。羨ましいでしょ。

 本当は、もっともっと早くこうするべきだったけどね。そうすれば、あんたはもっと早く自分の幸せを見つけられた。優しさに甘え続けちゃって、ごめんね。

 これからは、他人のためじゃなく、自分のためだけに生きるんだよ。それと、ヤクザの使い走りなんか、さっさと辞めな。あんたは優しいから、向いてないよ。

 あと、ルルシーの世話もよろしくね。あんたなら、安心してルルシーのことを任せられるよ。


 最後に、ずっと言えなかったことを言うね。

 あたしは初めて会った時から、あんたのことが好きだったんだよ。 


 瑠璃子 


 ・・・


 その頃。

 士想会の幹部、橋田真一ハシダ シンイチは車から降りて歩き出した。

 この男は現在四十歳、百八十センチで百キロの堂々たる体格の持ち主だ。若い頃は、ぶっちぎりの武闘派であったが、今は穏健派として知られている。

 これから、愛人がオーナーを務めるするキャバクラに行く予定だ。もっとも、遊びに行くわけではない。キャバクラの実質的な経営者は橋田であり、愛人は単なる雇われオーナーに過ぎない。

 彼の傍らには、ボディーガードが二人いる。藤原の件以来、どこに行くにも付いて回っている。正直いうなら、うっとおしくして仕方ない。だが、これも上からの命令なのである。

 歩きながら、橋田は考えていた。昨日、沢田組の幹部を襲った刺客は何者なのだろうか。上の人間たちは、誰もそんな指示を出していない、と言っている。橋田自身も、そんな命令は出していない。

 そうなると、準構成員のトチ狂った馬鹿なチンピラがやらかしたことだろうか。あるいは、ただの暴走したシャブぼけか。

 いや、藤原の死体には銃創がひとつしかなかったらしい。となると、確実に素人の仕業ではない。おそらくプロの仕事だろう。

 では、何者がプロを雇って藤原を殺させたのか。まさか銀星会か? 銀星会が、士想会と沢田組を抗争させ共倒れを狙ったということなのだろうか。

 いずれにしても、このままではなし崩し的に全面抗争に突入してしまいそうだ。それだけは、何としてでも避けたい。今どき、両組織で潰し合ったところで、どちらも得しないのだ。

 まずは、藤原の死に士想会は関係ないという事実を沢田組に理解させる必要がある。橋田は、苦々しい表情を浮かべて歩いていた。


 それは、あまりにも突然の出来事だった。

 後ろから、バイクが猛スピードで通り過ぎて行く。

 だが、不意に三人の目の前で停まった。フルフェイスのヘルメットを被り、革のジャンパーを着た者が乗っている。背格好から察するに男だろう。どう見ても、友好的な態度ではない。

 ボディーガードの二人は完全に不意を突かれ、反応が遅れた。慌てふためきながらも、橋田の前に出て拳銃を抜こうとする。

 だが、バイクに乗っていた者の動きは、彼らより早く正確であった。彼が脇から抜いたものは、なんと銃身を切り詰めたショットガンである。銃口を向け、トリガーを引く──

 凄まじい銃声。散弾が、男たちの体に炸裂した。多数の鉛玉が体を貫き、男たちは悲鳴を上げる。

 だが、バイクの男はそれで終わらせなかった。もう一度、ショットガンのトリガーを引く。

 至近距離から散弾の雨に貫かれ、三人は仰向けに倒れる。抵抗すら出来ずに絶命した。

 一方、バイクの男は速やかに立ち去る。その行動は、機械のように正確で無駄が無い。

 その場には、散弾を浴びた三人の死体だけが残されていた。




 数分後に救急車が到着したが、三人とも既に死亡しているのは確かめるまでもなかった。大量の散弾が、脳や内臓を貫いている。

 現場を見た救急隊員たちは、思わず顔をしかめた。それは、単に死体を見たことによる反応ではない。これから起こる出来事を予想してのものだった。

 こうなっては、もはや誰にも止められないだろう。両組織は、本格的な抗争状態へと突入してしまったのだ。

 

 


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る