開戦のうた
孤児院に着くと、海斗はさっそく院長の後藤に仕入れたばかりの情報を話した。
聞き覚えた後藤の表情が曇る。
「海斗くん、その話は本当なのかい?」
不安そうな面持ちで尋ねてきた後藤に、海斗もしかめ面をして見せる。
「本当かは、まだわからない。ただね、この辺に闇カジノが出来るって噂があるのは確かだ。二つの暴力団が、そのおこぼれをもらうため戦争を始めるかもしれないんだよ。子供たちが巻き込まれないよう、くれぐれも注意してくれ」
その言葉に、後藤は真剣な表情で頷いた。
「うん、わかったよ。子供たちにも、今はなるべく外で遊ばないよう言っておこう。ところで、その闇カジノほどの辺に出来るのだろうね?」
「さあ、そこまではわからない。ただ、この孤児院の近くではないと思うよ。やるとしたら、繁華街じゃないかな」
「なら、いいけどね。それにしても、ヤクザが集団で殴り合うとはね……いい迷惑だよ」
「そうだよね。どっか他の場所でやってもらいたいもんだよ」
「まさか、拳銃で撃ち合ったりとかはしないよね?」
真剣な表情で聞いてきた後藤。
確かに、町中で撃ち合いなど始められたらシャレにならない。流れ
以前なら、そんなことあるわけないと笑って答えられた。しかし、今はそうも言えない。海斗も顔をしかめつつ答える。
「多分、そこまではいかないと思うよ。そんなことしても、お互い損するだけだしな。ただ、奴らは殺気立ってる。ちょっとしたことで、また殴り合いでも始めるかも知れない。もう一度言うけど、しばらくは気をつけた方がいいよ。俺も、小さい子たちの登下校の時には、出来るだけ手を貸すからさ」
「ありがとう。君にはいつも、助けられてばっかりだな」
「何言ってんだよ。大したことはしちゃいないさ。それより、先生も気を付けなよ。ヤクザ共はピリピリしてる。本格的な抗争にはならなくても、当分は小競り合いが続くと思うよ」
孤児院を出た後、海斗は瑠璃子のいる廃工場へと向かった。
しかし、街を包むものものしい空気は、さらに濃くなっていた。沢田組と士想会、双方の組員は殺気立った表情で街中をうろうろしている。このままでは、いつ小競り合いが起きるか分からない。
いい加減にして欲しいものだ。うんざりした表情になりながら、彼らを刺激しないように目を逸らし、足を早めた。
その時、頭にひとつの考えが浮かぶ。
瑠璃子が住んでいるのは、廃工場の跡地だ。そして今の真幌市には、沢田組と士想会という二つのヤクザ組織がいる。
ああいうた連中が悪さをするのは、たいてい
もし、瑠璃子とヤクザがカチ合うことになったら大変だ。彼女にも、注意するよう言っておかねば……海斗は足を早めた。
「おい瑠璃子、いるか?」
廃工場の中に入り、声をかける。しかし、返事はない。
「瑠璃子、いないのか?」
海斗はもう一度、声をかけてみた。どこかに出かけているのだろうか。不安になり、ポケットから懐中電灯を取り出す。その時だった。
「あたしなら、ここにいるよ」
声と同時に、姿を現した瑠璃子。その表情は、心なしか昨日より明るいように見える。海斗は笑みを浮かべた。
「何だよ、いるなら早く返事してくれ」
「心配した?」
からかうような口調で尋ねてきた。その顔には、いたずらっ子のような表情を浮かべている。海斗はホッとした。どうやら、今日は機嫌がいいらしい。
「ああ心配したよ。お前は知らないだろうがな、近頃はこの辺りで、ヤクザ同士が揉めてんだよ」
「あたしは、ヤクザなんか怖くないよ」
彼女の言葉に、海斗は苦笑した。
「それもそうだな。ただ、一応は頭の中に入れといてくれよ。昼間なんか、ヤクザ同士が乱闘してたんだぜ」
「そう、あんたも大変だね」
そう言うと、不意に瑠璃子は近づいて来て、海斗の手を握る。
「ねえ、たまには外に出ない?」
「えっ?」
驚いた。彼女はここ最近、外に出ることすら嫌がっていたのに。
だが、瑠璃子はお構い無しだ。
「いいから、たまには外を歩こうよ」
二人は、廃工場の外に出た。雑草が伸び放題になっている敷地に、並んで腰かける。空には星が輝き、綺麗な満月が浮かんでいる。
「星、綺麗だね」
不意に、瑠璃子が呟いた。
「ああ、綺麗だよな。でも、瑠璃子も負けないくらい綺麗だぜ」
歯の浮くような言葉を返す海斗だったが、瑠璃子はニコリともしない。
「不思議だよね。あたし、星を見ても何ともないんだよ」
「えっ? 何いってんだよ?」
訝しげな表情で、瑠璃子を見つめる。すると、彼女は笑った。とても悲しげな笑顔で、海斗は胸が潰れそうになった。
「太陽だって星なんだよ。他の星を見ても何ともないのに、太陽を見続けたら死ぬ。こんなの、ひどいよね。そう思わない?」
口調は淡々としていた。だが奥底に秘められた悲しみは、海斗などには想像もつかないものだ。何も言えず、下を向くしかなかった。
瑠璃子は、さらに言葉を続ける。
「もう一度、お日さま見てみたいな。あたし、決めてるんだよ。死ぬ時は、海岸で昇ってくるお日さまを見ながらだって──」
その瞬間、海斗は背後から瑠璃子を抱き締めた。
「そんなこと、言わないでくれ。俺は、お前に死なれたら困るんだよ」
「海斗、離れないとブッ飛ばすよ」
「やりたきゃやれ」
そう言った瞬間、彼の体が宙を舞った。直後、草むらに背中から落ちる。瑠璃子が、片手で海斗を放り投げたのだ。
「痛えな……本当にブッ飛ばすことねえだろ」
・・・
その頃、沢田組の幹部である藤原昭義は、ボディーガードを連れて繁華街を徘徊していた。
馴染みのキャバクラを出た後、ほろ酔い気分で裏通りを歩いていく。時おり人相の悪い者とすれ違うが、みな無言で道を開けていた。この辺りは沢田組の縄張りなのだ。何も心配することなどない。
そんな二人に、後ろから声をかける者がいる。
「すみません、藤原昭義さんですよね?」
「おう、そうだよ。どうかしてのか?」
言いながら、藤原はご機嫌な様子で振り向いた。隣にいたボディーガードも振り返る。
藤原は町の顔役だ。この辺りで商売を始めたばかりの者が、挨拶がてら声をかけてきたのかもしれない……その程度にしか、考えていなかった。
しかし、その予想は間違いだった。そこに居たのは、奇妙な風体の者だった。黒い目出し帽を被り黒い革のジャンパーを着て、じっと藤原を見つめている。
どう見ても普通ではない。ボディーガードは血相を変え、慌てて藤原の前に出る。
だが遅かった。大量に摂取したアルコールが、藤原とボディーガードの反応を鈍らせていたのだ。相手は既に、懐から拳銃を抜いている。
直後、轟く銃声──
一発の銃弾が、藤原の眉間に撃ち込まれる。さらに、次の弾丸がボディーガードの頭にも撃ち込まれた。正確な射撃だ。ヤクザの鉄砲玉に出来る芸当ではない。
藤原とボディーガードは、一瞬にして絶命した。
一方、襲撃犯の行動にはいっさいの迷いがない。慌てる様子もなくしゃがみ込むと、二人の死亡を確認した。直後にすっと立ち上がり、その場から音もなく姿を消してしまった。今や、影も形も見えない。
数分の後、事件の匂いを嗅ぎ取った者たちが集まってきた。やがて、救急車やパトカーが急行する──
この殺人事件は、始まりの始まりだった。
その後に、真幌市を襲うことになる数々の血塗られた惨劇……その、ほんの序章でしかなかったのだ。
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