ふれあいのうた
「なあ、いいじゃねえかよう。ほんのちょっと寄って行くだけだからさ」
「嫌ったら嫌よ! ただ寄るだけじゃすまさないでしょ! あんた、絶対に何かさせる気でしょ!」
「いや、絶対に何もしなくていいからさ。ただ、ちょっと寄っていくだけだよ」
「嘘つかないでよ! あんた、絶対に変なことさせる気でしょ!」
声だけ聞いていれば、ラブホテルに女を連れ込もうとして抵抗され必死で説得している男、という構図が思い浮かぶだろう。
だが、その実はソフト帽を被り黒いスーツを着た軽そうな青年が、スキンヘッドのマッチョな大男の腕を掴み引っ張っている構図なのである。
しかも、二人が言い合っているのは、孤児院『ちびっこの家』の門の前なのだ。
「小林さん、今日は俺に付き合ってくれるって言ったじゃんかよう。ほら、ここまで来てカマトトぶるのは無しにしようぜ。観念して、さっさと行こう」
そう言って、小林の腕を引っ張る。だが、この大男は乙女のような仕草でイヤイヤをする。
「イヤったらイヤ! アタシは子供が嫌いなの──」
「海斗? 何してるの?」
突然、聞こえてきた声。海斗が声のした方を見ると、いつの間に現れたのか明日菜が立っていた。不思議そうな表情で、じっと二人のやり取りを見ている。
すると、小林がピョンと飛び上がった。巨体に似合わぬ素早さである。明らかに狼狽した様子で叫んだ。
「な、何なのよ、この子は!」
その声に、海斗は思わず苦笑した。小林は、本当に子供が苦手であるらしい。
「この子は明日菜だよ。俺の友だちさ。ウサギとライガーマスクが大好きなんだよ」
そう言った後、明日菜に視線を移す。
「明日菜、この人は小林さんだ。顔は怖いが、優しいおじさんだぞ。ちゃんと挨拶しろ」
海斗に促され、明日菜はとことこ歩いて来る。大男の小林を恐れている様子はない。すぐ間近で立ち止まり、彼の顔を見上げた。
「でっかいの……ライガーマスクみたいなの」
感心したように呟く。一方、小林は困った表情で少女を見る。
二人の間に、何とも言えない空気が流れた。その様子を、海斗は固唾を飲んで見守る。
「プロレス、やるの?」
不意に尋ねる明日菜に、小林は顔をひきつらせながら頷いた。
「う、うん。おじさん、昔はプロレスやってたけど」
「おおお、凄いの」
そう言うと、明日菜は小林の太く逞しい腕をじっと見つめた。一方、小林は海斗を睨みつける。何なのよこの子は、とでも言いたげな視線を向けているが、素知らぬふりである。
「腕、触っていいの?」
またしても、不意に尋ねる明日菜。さすがに、断る訳にもいかない。小林は仕方なく頷いた。
「う、うん。いいよ」
すると、明日菜は嬉しそうに微笑みながら、その太い腕に触れる。
「おおお、凄い筋肉なの。強そうなの」
小林の腕にペタペタ触り、感嘆の声を上げる。それに対し、大男は何とも微妙な表情だ。その横で、海斗は笑いを必死でこらえている。三者三様の表情であった。
「おじさん、ウサギさん好き?」
いきなり、明日菜から脈絡の無い質問をされ、小林は仕方なく頷いた。
「えっ、うん、好きかな」
「じゃあ、一緒にウサギさん見るの」
そう言うと、明日菜は小林の手を握り引いていく。大男は困った顔をしながらも、少女の後に続いた。海斗は、二人の後をクスクス笑いながら付いて行く。身長百九十センチ体重百二十キロの堂々たる体格の持ち主である小林だが、明日菜を相手にしては、完全にペースを乱されてしまっているらしい。
ウサギ小屋の前で、小林と明日菜は並んでしゃがみこんだ。
「ウサギさん、凄く可愛いの」
「そ、そうだね……可愛いね」
ウサギ小屋の前でしゃがんで話をしているのは、スキンヘッドの大男と幼女である。そんな奇妙な光景を、他の子供たちは遠巻きに眺めていた。皆、いきなりの闖入者に戸惑っている。
「おい海斗、あのデカイおっさん誰だよ? マジ怖いんだけど」
海斗に向かい、小声で尋ねる高岡健太郎。まだ十歳の彼にとって、小林はまさにフランケンシュタインの創造した怪物のように見えていることだろう。あるいは、実体化した妖怪海坊主か。海斗は、すました顔で答えた。
「ああ、あれか。見た目は怖いがな、おとなしい生き物だ。ただ怒らせたら、片手でお前の首をへし折れるけどな。絶対に失礼なことを言うなよ」
いかにも重々しい口調で答える。その言葉を聞いた健太郎は、恐怖のあまり体を震わせた。
「ちょっと! 何でそんなおっかないの連れて来たんだよ!」
顔をしかめ抗議する少年に、海斗はニヤリと笑った。
「ほう、そうか。健太郎は、あの小林おじさんが怖いのか。だったら今度、お前が悪さをしたら、小林おじさんに来てもらうとするかな」
「えええ! 何だよそれ! 嫌だよ! 勘弁してくれよお!」
後ろでそんな会話をしているとは露知らず、明日菜と小林は二人ならんでウサギを見ている。
「ウサギさん、鼻ヒクヒクしてるの。本当に可愛いの」
「そうね……いや、そうだな」
つい、いつもの習慣でオネエ言葉で答えそうになり、慌てて言い直す。一方、明日菜はウサギの動きをじっと見守っている。
だが突然、小林の方を向いた。
「ウサギさんはね、可愛いだけじゃないの。うんちやおしっこもするの。でも、そこも含めて好きにならなきゃ、本当の友だちじゃないの。海斗がそう言ってたの」
そう言って、誇らしげな表情を作る。その様子はあまりにも微笑ましく、小林は思わず笑ってしまった。
「うん、その通りだよ。明日菜ちゃんは偉いね」
「あたし、ウサギさんと友だちになるの。だから、小屋の掃除も覚えるの」
言いながら、明日菜はウサギを見つめる。小林もウサギに視線を戻した。
二匹のウサギは小屋の中で、ぴょこぴょこ動いている。時おり立ち止まっては、じっと明日菜たちを見つめた。
だが、そのうちの一匹が鼻をヒクヒクさせながら、明日菜のそばに近寄って来る。少女とウサギは、金網越しにじっと見つめ合う。
やがて、明日菜が口を開いた。
「ウサギさん、こんにちは。あたしの名前は、宮田明日菜なの。小学校の二年生になったの」
明日菜はのんびりした口調で語りかけた。ウサギは鼻をヒクヒクさせながら、じっと明日菜を見ている。小林の方は完全に無視だ。やはりウサギとしても、スキンヘッドの大男よりは、可愛い少女の方が親しみやすいのであろうか。
「おじさん、このウサギさんたち、パパとママはいないの?」
明日菜は、今度は小林の方を向いて尋ねた。それに対し、小林は狼狽したような表情を浮かべる。何せ、この孤児院に来たのは今日が初めてなのだ。ウサギのことなど知るはずがない。そもそもウサギの存在すら、今日初めて知ったのに。
しかし、小林を見る明日菜の目は純粋そのものであった。少女の汚れなき瞳で見つめられたら、そんなの知るかとは言えない。
「えっ、ええと、ちょっと海斗! こっちに来なさいよ……じゃなくて、こっちに来い!」
不意に立ち上がり、怒鳴りつける。海斗は健太郎たちと遊んでいたが、小林の吠えるような声を聞き、顔をしかめながら走って来る。
「何だよ小林さん、どうしたんだよう」
すると、小林はニッコリ微笑んだ。
「このウサちゃんのパパとママはどうなってるの? 明日菜ちゃんに答えてあげて」
「どうなってるの、って言われてもなあ……とりあえず、こいつら産み落としてしばらくしたら死──」
そこまで言った瞬間、小林の巨大な手が伸びる。筋肉質の巨体からは想像もつかない素早さで、海斗の口を手のひらでふさいだ。
「ちょっとあんた、子供の前で言っていいことと悪いことの区別もつかないの?」
海斗の耳元で囁く。顔は笑っているが、その目には凶暴な光が宿っている。さすがの海斗も身の危険を感じ、うんうんと頷く。
すると、小林もまた頷いた。それでいいんだよ、とでも言わんばかりだ。次いで、にこやかな顔を明日菜に向ける。
「明日菜ちゃん、このウサちゃんのパパとママはね、違う所にいるんだよ」
「ふうん。あたしたちと一緒なの」
そう言うと、明日菜はウサギの方を向いた。
「ウサギさん、あたしとお
ウサギに優しく語りかけている。その時、海斗は彼女の姉である今日子の存在を思い出した。
「そういえば、今日子ちゃんは何処に行ったんだよ? 友だちと遊んでるのか?」
海斗が尋ねると、明日菜は首を振った。
「お姉はねえ、ぶこつに行ってるの」
「ぶこつ? 何だいそりゃあ?」
海斗は首を傾げた。今どきの中学生の間では、ぶこつなる遊びが流行しているのだろうか。
「うん、ぶこつなの。お姉は最近、学校のぶこつを始めたの」
真顔で繰り返す明日菜。その時、海斗はようやく理解した。恐らく部活動のことだろう。
「なるほど、部活か。今日子ちゃん、学校で楽しくやってるみたいだな」
言いながら、海斗はふと瑠璃子の事を思った。瑠璃子は、バスケットボールの好きな少女だった。中学生になったら、バスケ部に入りたいと言っていたのだ。
それなのに、今は暗闇の中に潜むことしか出来ない……瑠璃子は、今もバスケが好きだろうか。
「海斗、どうしたの」
明日菜の言葉に、ふと我に返る海斗。顔を上げると、小林と明日菜が不思議そうにこちらを見ている。
「あっ、いや、何でもないんだよ。俺、そろそろ行くから……」
そう言って、海斗は立ち上がった。すると明日菜は首を傾げる。
「海斗、もう帰っちゃうの?」
「ああ。また明日、来られたら来るよ。小林さん、あんたはどうするんだ?」
海斗の言葉に、小林は迷うような表情を見せたが……意を決して立ち上がり、明日菜の方を向く。
「じゃあ、アタ……いや、俺も帰るよ。明日菜ちゃん、また今度、遊びに来るからな」
「うん。小林のおじさん、また来てね」
そう言うと、明日菜は小林の腕に触れる。
「やっぱり、凄い筋肉なの」
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