掃除のうた

 その後、海斗はいったん家に戻った。ツナギのような作業服に着替え、タオルや軍手などを用意する。

 全ての準備を整えると、孤児院へと向かった。


「あっ、海斗だ!」


「どうしたの? その格好?」


 いつもと違う服装の海斗に、子供たちは好奇心を露にして寄って来る。だが、海斗は歩みを止めない。


「今日は色々あるから、また今度な」


 そう言うと、海斗は庭の隅にあるウサギ小屋へと向かった。

 ウサギ小屋の前には、昨日と同じく明日菜がいる。しゃがみこんで、金網越しにウサギを眺めていた。よほどウサギが好きなのだろう。毎日見ていても飽きないようだ。

 そんな明日菜だからこそ、教えなくてはならないことがある。


「おい明日菜、今からウサギ小屋の掃除をするぞ。よく見とけ」


 言いながら、海斗は小屋の中に入って行く。そして、中の掃除を始めた。食べ残した餌や糞尿を取り除き、床を掃いていく。

 その様子をじっと見ていた明日菜だったが、不意に口を開いた。


「あたしも手伝うの」


「いや、いいよ。今日は見るだけでいい。ウサギが逃げないよう、気をつけて見張っていてくれ」


 そう言うと、海斗は黙々と小屋の掃除を続ける。一方、明日菜は黙ったまま、海斗の動きをじっと見ていた。

 やがて掃除が終わり、海斗はウサギ小屋から出た。明日菜の方を向く。


「いいか明日菜、ウサギは生き物だ。可愛いだけじゃなく、おしっこやうんちもする。だから臭い思いをしながら、掃除もしてやらなきゃならない。それが出来て初めて、ウサギと友だちになったと言えるんだ。わかったか?」


 明日菜に向かい、ゆっくりとしたスピードで語る海斗。彼は幼い時、全く同じような言葉を院長の後藤から聞かされたのだ。

 もっとも、その言葉の本当の意味は、この年齢になってやっと理解できた気がする。


「うん、わかったの」


 頷く明日菜。その態度や仕草には、どこか幼児らしからぬ落ち着きがある。生まれつきの性格か、あるいは後天的に作られたものか。いずれにしても、不思議な子だ。


「海斗、お姉が帰ってきたの」


 明日菜の声を聞き、海斗は顔を上げた。すると、彼女の姉である今日子が、こちらに向かい歩いて来ている。制服姿で学生カバンを手に、はにかんだような笑顔を浮かべていた。

 海斗も、笑顔で手を挙げる。


「よう、今日子ちゃん。学校、ご苦労さんだったな」


 言いながら、海斗はふと思った。あの事件さえなかったら、瑠璃子も今日子のように制服を着て、中学校に通っていたはずだ。

 それなのに、今は闇に潜んで音も立てず生きていかざるを得ない。人間から忌み嫌われる吸血鬼として、ひっそりと生活しているのだ。

 一刻も早く、瑠璃子を人間に戻してやりたい。そして、彼女の失われた青春の日々を取り戻させてやりたい。


「どうしたの」


 明日菜の声を聞き、海斗は我に返った。明日菜は何やら言いたげな表情で、じっとこちらを見上げている。


「いや、何でもないよ。さて、掃除も終わったし帰るとするかな。明日菜、また今度な」


 そう言って歩き出した。だが、明日菜が彼の腕を掴む。


「ねえ海斗、一緒にライガーマスク見ようよ」


「ちょっと明日菜! 海斗さんは忙しいんだから、困らせちゃ駄目でしょ!」


 慌てた今日子が、明日菜の手を引き離す。しかし、海斗は笑って見せた。


「大丈夫だよ、今日子ちゃん。俺もそんなに忙しい身じゃないしさ。じゃあ明日菜、一緒にライガーマスク見るか」


 そう言って、海斗は明日菜の手を握る。二人は手を繋いで、孤児院の中へと入って行った。




「おおお、ライガーマスク凄いの……」


 瞳を輝かせ、テレビ画面で闘うライガーマスクを見つめている明日菜。時おり、両拳を握りしめてブンブン振ったりもしている。

 海斗は思わず笑みを浮かべる。ライガーマスクを観ている時の明日菜は、年相応の子供らしさがある。その姿は、見ていて微笑ましい。

 しかし、ライガーマスクの何が明日菜を惹き付けるのだろう。そんなことを思いながら、今日子の方を見てみた。姉の方は、若干ではあるが困った顔をしている。こちらは、ごくまともな年頃の女の子の感性を持っているらしい。もっとも、ごくまともな年頃の女の子の感性がどういったものなのかは知らないが。

 そんなことを考えている間に、ライガーマスクは終わった。暗く物悲しい歌詞のエンディングテーマが流れている。孤児の切なさを唄っているようだが、子供向けアニメらしからぬ鬱な内容である。曲調もまた、とても陰気なのだ。聴いているだけで、やるせない気分になる。

 今日子は、あまりの暗い歌詞に顔を引きつらせていた。だが、明日菜はこのエンディングテーマもお気に入りらしい。たどたどしい口調で、歌に合わせて口ずさんでいる。本当に不思議な少女だ。


「明日菜ちゃんは、本当にユニークな子だね」


 囁く海斗に向かい、今日子は眉を八の字にした切なげな表情で頷いた。




 孤児院を出た海斗は、夜道をひとりで歩いていく。

 その道すがら、町の様子に目を配る。すると、明らかに変化していた。気のせいではなく、これまで以上にアウトサイドの人間が多くなっているのだ。沢田組と士想会、その双方の組員の数が明らかに増えてきている。

 町を徘徊している組員たちと目を合わさないように歩きながら、この異変について考えてみた。真幌市という地域には、二つの暴力団が争うほどの旨味があるとは思えない。はっきり言うなら、このままスラム化してもおかしくはないような場所である。次々と工場が潰れ、廃墟と化している真幌市。治安もよくないし、ホームレスも増えている。

 そんな場所で、なぜ二つの暴力団が睨み合っているのだろう。以前から小競り合いはあったが、最近はきな臭い匂いが濃くなっている。この真幌市に、沢田組と士想会が争うほどの魅力はないはずだ。

 海斗は、不安を覚えながら歩いて行った。向かっているのは、いつもと同じ瑠璃子の隠れ家だ。




 廃工場に行くと同時に、瑠璃子が姿を現す。


「あんた、今日は変な匂いがするよ。何をやってたの?」


 登場するなり、失礼な言葉を投げかけてきた。吸血鬼になってから、嗅覚も鋭敏になっているらしい。海斗は苦笑した。


「しょうがねえだろ、今日はウサギ小屋の掃除してたんだから。シャワーを浴びてる暇もなくてな、そのまま来たんだよ」


「ウサギ小屋の掃除? あんた、そんな仕事までしてたの?」


「いや、仕事じゃないよ。ちょいと孤児院の方でな。そうそう、最近おもしれえ女の子が入ったんだよ。明日菜って子なんだけどな、ライガーマスクが大好きなんだよ。ライガーマスク覚えてるだろ? 俺たちが小学生の時にやってたアニメだよ」


 言いながら、海斗は瑠璃子の顔をちらりと見る。今日は機嫌がいいように思えた。だが次の瞬間、その顔に暗い陰がよぎる。


「うん、ライガーマスクは覚えてる。あんた、楽しそうだね」


 寂しげな表情になったのを見て、海斗は顔をひきつらせた。また、ヘマをしてしまったのかもしれない。


「あ、あのな、明日菜は小学生になったばかりの女の子だよ。別にいかがわしい関係じゃねえから」


「そんなこと聞いてないよ。いいじゃない、楽しそうで」


 笑みを浮かべ俯いた。

 その笑顔が、本心からのものでないのは明白だった。海斗は顔をしかめながら、この空気を変えるべく別の話題を切り出す。


「なあ、事件のあった日のことだけどさ、もう一度思い出してみてくれよ。何か変わったことはなかったか?」


「そんなの、覚えてる訳ないじゃん。もう十三年も前の話だよ。逆に聞くけど、あんた十三年前に自分が何してたか覚えてるの?」


「十三年前は、お前と毎日のように遊んでたのは覚えてるぜ」


「何それ」


 言いながら、クスリと笑う。今度の笑顔は、心からのものだった。

 その表情を見て、海斗は安堵した。瑠璃子は、外の世界と触れ合う事が出来ないのだ。この暗い廃工場の中で、じっと孤独な時間を過ごしている。

 まるで監禁されているかのようだ。それでも、笑うことは出来る。


「なあ瑠璃子、買ってきて欲しい物はあるか?」


「別に無いよ」


「嘘つけ。そういやお前、本好きだったよな。今度は、本を何冊か持ってくるから」


「勝手にすれば」





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