火種のうた

「よう海斗、久しぶりだなあ。最近の景気はどうだよ? 儲かってるか?」


 余裕たっぷりの表情で海斗に尋ねているのは、いかつい顔に五分刈りの中年男だ。細身の体にブランドもののスーツを着て、ネクタイを締めている。一見すると飾り気の無い服装で、派手さはない。それでも、ヤクザに特有の全身から醸し出されている危険な匂いは隠し切れていなかった。




 この中年男は、日本でも五本の指に入る暴力団・沢田組の幹部である藤原昭義フジワラ アキヨシだ。海斗は、沢田組の正式な組員ではない。しかし藤原とは、それなりに友好的な関係を保つ事が出来ている。もっとも、とても微妙なバランスで成り立っている友好関係だ。

 海斗は今、その藤原に呼び出されて組の事務所に来ている。正直、あまり顔を合わせたくない相手ではあった。しかし呼び出しに応じなかったら、もっと面倒な事態になる。どんなに嫌でも、顔を出さざるを得ない。


「最近ですか? いやあ、景気は良くないですね。底辺を這い回って、かろうじて生きてる状態ですよ。本当に困っちゃいますね」


 そう言って、ヘラヘラ笑う。だが、藤原はニコリともしていない。険しい表情で、海斗をじっと見つめている。

 さらに、藤原の横に控えている若い組員は、ギラついた目で海斗を睨みつけていた。この目のギラつき方は尋常ではない。ひょっとしたら覚醒剤をやっているのかもしれない。確か、沢田組は覚醒剤を禁じているはずなのだが……末端の組員の行動までは管理できていないようだ。

 もっとも、禁じているというのも建前かもしれない。ヤクザは、金になるなら何でもする人種である。


「なあ、そろそろウチの組員にならんか? お前なら、ウチはいつでも歓迎するぞ」


 何の脈絡もなく、藤原の口からとんでもない言葉が飛び出る。海斗は申し訳なさそうに、頭を掻いて見せた。


「い、いやあ、僕なんかじゃ組員は務まりませんから。喧嘩も弱いし、気も小さいですし、それに器量もありませんし。せめて藤原さんの十分の一の器量があれば、僕ももう少し稼げるんですけどね……」


 いかにも残念そうな表情で答えた。


「そうか。まあ、気が変わったらいつでも連絡くれや。お前なら、いつでも歓迎するぜ。ところでよ、最近は困った事が起きてな。ちょいと俺の愚痴を聞いてくれよ」


 藤原の表情には、特に変化がない。己の申し出を断った事に対し、機嫌を損ねたような様子もない。

 だが、実のところ本題はここからだったのである。


「最近、士想会の連中がうっとおしくてな。ハエみたいにぶんぶん飛び回ってやがる。今のところ、本格的にカチ合うような事にはなってない。ただ、このままだと戦争になるかもしれねえんだよ。本当に面倒くせえ話だが、ヤクザは舐められたらおしまいだからな。向こうの態度次第では、こっちもやらなきゃならねえって訳だよ」


 藤原は、苦々しい表情でそう言った。一方、海斗は下を向くしかない。ヤクザの抗争なんぞに巻き込まれるのは、御免こうむりたかった。

 もっとも、今の時代に昔のような全面戦争など、まず有り得ないだろう。そんなことをしても、両方とも傷つき損をするだけだ。せいぜい、ちょっとした小競り合いがあった後、上の人間が話し合って終わり……のはずだった。

 しかし、さらに想定外の言葉が飛び出す。


「海斗、万が一の話だがな……ウチと士想会が戦争になったら、お前はどっちに付くんだ?」


 突然の藤原の問いに対し、海斗はまごつくばかりであった。


「えっ? いや、あの、それは……」


 思わず言い淀む。彼はどちらにも属していないのだ。そもそも海斗のような雑魚、どちらに付こうが何の役にも立たない。

 いや、そんなことはどうでもいい。この口調からすると、沢田組は戦争も覚悟しているということなのか。

 その時、チッと舌打ちした者がいた。


「てめえ、兄貴が聞いてんだろうが! 何とか言えや!」


 怒鳴ったのは、横に控えていた子分らしき若者だ。敵意を剥き出しにして、一歩進み出る。

 すると、藤原がとりなすように口を開いた。


「よさねえか。海斗をシメたところで、何の得にもならねえだろうが」


 子分にそう言った後、藤原は海斗の方を向く。


「ただな、これだけは覚えておけ。この先、どうなるかはわからねえ。どっちつかずの態度はな、両方を敵に廻すことになる。よく考えておくんだな」




 沢田組の事務所を出た後、海斗はホッと一息ついていた。ヤクザの事務所に特有の、あの威圧感は何なのだろう。中に漂っている空気すら、重苦しく感じられるのだ。今後は、ヤクザの事務所もお洒落になる必要があるだろう。でないと、成り手がどんどん減っていくのは間違いない。

 いや、そんなことはどうでもいい。それよりも問題なのは、二つの組織の間で戦争が起きるかもしれないという話だ。

 沢田組と士想会、その両方の事務所がこの真幌市に存在している。今のところ、両組織は特に衝突する事もなく縄張りを分け合っているが、末端の人間の小競り合いは慢性化している。本格的な抗争状態に突入した場合、果たしてどうなるだろう。下手をすれば、街中での銃撃戦も考えられる。

 迷惑をかけない場所に行き、ヤクザ同士で殺し合う分には構わない。好きなだけ殺り合ってくれ、というのが海斗の本音だ。しかし街中で銃撃戦となると、流れ弾で一般人が巻き添えになるという事態も考えられる。

 孤児院の子供たちが、ヤクザの抗争の巻き添えになる……それだけは、絶対に避けたかった。

 そんなことを考えながら、町を歩く海斗。まだ明るい時間帯である。買い物途中の奥さん連中や、昼間から酒を飲んでいるホームレスなどがうろついている。

 そんな中、黒いスーツを着てソフト帽を被った海斗の姿は明らかに目立つ。彼は足を早め、一軒の喫茶店へと入って行く。


「やあ小林さん。コーヒーちょうだい」


 カウンター席に座り、マスターの小林に声をかける。ここは今や、海斗のセカンドハウスと言っていいような店である。


「なんか疲れた顔してるじゃない。あんた大丈夫なの?」


 小林はコーヒーの入ったカップを差し出し、心配そうに覗きこむ。海斗は苦笑した。


「いや、本当に疲れたよ。沢田組の藤原に呼び出されて、ぐじぐじ言われちまってさ。どうも、沢田組と士想会がまた揉めてるらしいんだよね。お前はどっちに付くんだ? なんて聞かれてさ。俺なんか、どっちに付こうが何の影響もないのに」


 そう言った後、カップを口に運ぶ。すると、小林もうんうんと頷いた。


「ああ、あれね。アタシも話は聞いてる。今に始まったことじゃないんだけど、近頃は特に下っ端同士の小競り合いが多いみたい。まあ全面戦争にはならないでしょうけど、うっとおしくて仕方ないのよ」


 言いながら、呆れたような表情で首を振る。


「さすが小林さん、情報通だね。でも面倒だよな。本当に、戦争だけは勘弁してもらいたいよ」


 ぼやきながら、顔をしかめコーヒーを飲む。すると、小林の眉間に皺が寄った。


「あんたねえ、ちょっとは美味しそうに飲みなさいよ。まあ、いくら何でも、戦争までは行かないでしょうけどね。今時そんなことしても、どっちも得しないし。上の連中が、話し合いでさっさと解決してくれるよう祈るだけね」


 その言葉に、海斗は頷いた。


「そう願いたいよ。ところで小林さん、明日は店は休みだよな」


「えっ? 休みだけど……どうかしたの? また何か面倒なことを押し付ける気?」


 訝しげな表情の小林に、海斗はにっこり笑って見せた。


「ちょっと明日、付き合ってくれないかな? 二人で、いい所に行こうぜ」




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