天然少女のうた
小林と別れた後、海斗はいつものごとく孤児院へと向かった。そろそろ五時になる。子供たちも、学校から帰って来ている頃だ。
先ほどまでとはうって変わった様子で、『ちびっこの家』に入って行った。そこではいつものように、幼い子供たちが広い庭で遊んでいる。海斗の存在に気付き、まとわりついていく子供もいた。
適当に子供たちの相手をしながら、ずんずん歩いていく。だが途中で、彼の目はあるものを捉えた。
庭に設置されている大きなウサギ小屋の前で、小さな女の子がしゃがみこんでいた。興味津々といった様子で、じっとウサギを眺めている。確か昨晩に出会った、明日菜という名の少女だ。
この少女は、皆と遊ばないのだろうか? 海斗は近づき、声をかけてみることにした。
「よう明日菜、お前はウサギが好きなのか?」
「うん大好き。ウサギさん、凄く可愛いの」
答える明日菜。しかし、その大きな瞳はウサギの方に向けられたままだ。海斗も、少女の隣にしゃがみこむ。
「ウサギさん、ずっと鼻をひくひくさせてるの。本当に可愛いな」
明日菜の言葉に、海斗は思わず微笑んだ。泰然自若とした天然少女かと思っていたが、年齢相応の部分もあるらしい。
「ああ、本当にウサギは可愛いよな。でもな、明日菜もウサギに負けないくらい可愛いぜ」
そう言って、明日菜の反応を見る。だが、少女の表情には全く変化がなく、じっとウサギを見つめている。気持ちを動かすには、もっと強力な言葉が必要らしい。海斗は苦笑し立ち上がった。いつもと同じように、応接室へと向かうため歩き出す。
その時、後ろから明日菜の声が聞こえてきた。
「ウサギさん、また明日なの。また明日、遊びに来るの」
そんな声がしたかと思うと、ぱたぱたと駆けて来る音がする。言うまでもなく明日菜だ。海斗の前で立ち止まり、彼の顔を見上げた。
「ねえ変なおじさん、どこ行くの?」
明日菜の言葉からは、敬意や遠慮といったものがまるきり感じられない。だが、親愛の情は感じられる。海斗は笑みを浮かべた。
「誰が変なおじさんだ。海斗お兄さんと呼びなさい」
「うん、わかったの。海斗、どこ行くの?」
なおも尋ねる。ウサギの事は、さん付けで呼んでいた。しかし、海斗のことは呼び捨てである。彼女の中では、海斗はウサギよりランクが下であるらしい。またしても苦笑した。
「応接室だよ。後藤先生はいるのかい?」
「わからない。海斗は、いつも来るの? 明日も来るの?」
またしても質問してくる。どうやら海斗の存在は、この天然少女の好奇心を刺激してしまったらしい。
「うーん、毎日は来れないな。仕事で忙しい日もあるからさ。でも暇な時は、よく遊びに来るよ。明日も、暇だったら来るかも……いや、明日は忙しいから来れないかもしれないな」
「ふうん。暇なのはいいことなの。いっぱい暇になって欲しいの」
そう言いながら、海斗の後を付いて来る。
「おい明日菜、もうウサギさんとは遊ばないのか?」
尋ねると、明日菜は首を振った。
「今日は遊ばない。少しずつ仲良くなるの。ウサギさんとは、まだ顔見せなの。明日になったら、餌をあげてみるの」
そんなことを話しながら、応接室にまで付いて来てしまった。海斗の隣で、古びたソファーに座り足をぶらぶらさせている。
どうしたものかと思った。これから院長である後藤と、今後の経営についての話をするつもりだった。しかし、明日菜の前ではしづらい話でもある。
首を捻りながら立ち上がり、テレビの電源を入れた。
そのとたん、気合いの入った声が響き渡る──
(ライガー・マスク!)
突然、けたたましい声が響き渡る。さらに、勇ましい音楽も流れ出した。
画面を見た海斗は、思わず吹き出していた。ライガーマスクとは、彼が幼い頃に放送されていたプロレスのアニメだ。孤児院の子供たちに金を送るため、悪の覆面レスラーたちと闘う正義のプロレスラーが主人公だった。当時、幼い海斗は夢中になって観ていたのである。まさか、今頃になって再放送するとは思わなかった。
「おお、再放送か。懐かしいな」
言いながら、ちらりと明日菜の方を見てみた。少女は、唖然とした表情で画面を見つめている。さすがに、ライガーマスクの放送を歓迎する女の子はいないであろう。
「明日菜、違うチャンネルにするか」
そう言って、海斗はチャンネルを変えようとした。すると、明日菜に手を掴まれる。
「変えなくていいの! これ観たい!」
うわずったような声で叫ぶ。その大きな瞳を輝かせ、テレビの画面を見つめている。今度は、海斗が唖然となっていた。
「お、お前、ライガーマスク気に入ったのか?」
「うん! ライガーマスク、凄く格好いいの!」
言いながらも、明日菜の目は画面に釘付けだ。どうやら、ライガーマスクに一目惚れしてしまったらしい。本当に変わった子である。将来プロレスラーになりたい、などと言い出さなければよいのだが。
そんな海斗の思いをよそに、テレビ画面ではライガーマスクがところ狭しと暴れ回っていた。ルール無用の悪党レスラーに、正義の空手チョップやスーパー・ライガー・ドロップなどの必殺技を見舞っていく。
「おおお、ライガーマスク強いの」
テレビを観ながら、感嘆したような声で呟く明日菜。彼女は、逞しいワイルドな男が好みなのだろうか。だったら、小林と会ったら喜ぶかもしれない……などと馬鹿なことを考える海斗であった。
「ライガーマスク、面白かったの」
子供向けのアニメには似つかわしくない妙に暗いエンディングテーマを聴きながら、番組の感想を呟く明日菜。よほど面白かったらしい。
「なあ、明日菜はプロレス好きなのか?」
海斗の問いに、明日菜は首を振った。
「ううん、プロレスは見たことないの。でも、ライガーマスクは好き。すっごく面白かったの」
嬉しそうに答える。海斗の顔も、思わずほころぶ。
「そうか。じゃあ今度、プロレスラーのおじさんを連れて来てやるよ」
軽い気持ちで発した海斗の言葉だったが、明日菜は顔をしかめて首を振る。
「プロレスラーのおじさんは、怖いからいい。会いたくないの」
「そうか。お前もおかしな奴だな。でも、怖くないから大丈夫だよ。気は優しくて、力持ちのおじさんだからさ。明日菜もきっと、気に入ると思うよ」
孤児院を出た後、海斗は廃工場へと向かう。
道すがら、考えてみた。最近では、吸血鬼に関する本もほとんど読めていない。そもそも、吸血鬼なるものに関する本はあまりにも多いのだ。いちいち全部読んでいては、海斗の寿命が先に尽きてしまうかもしれない。
だが……このままでは、自分はどんどん年をとっていく。子供のままの瑠璃子と、年齢相応の外見の自分。瑠璃子を人間に戻すのが遅くなればなるほど、二人の外見の差は開いてしまうのだ。このままだと、ふたりは親子に見られてしまうだろう。
それは海斗にとって、辛く切ない話だった。
「おい瑠璃子、来たぜ」
廃工場の中の暗闇に、声をかける。
ややあって、瑠璃子は姿を現した。海斗を見つめる目は、冷たい光を帯びている。
ややあって、口を開いた。
「あんた、いつまでこんなこと続けるの?」
「えっ?」
思わず口ごもった。いつもと違い、瑠璃子の表情は冷たい。口調にはトゲがある。
「何かあったのかよ?」
「別に何にもないよ。あんたにはあんたの人生があるんでしょ? あたしみたいな化け物に構ってる暇あんの? ヤクザみたいな生活を、いつまでも続ける気なの?」
つっけんどんに言う。いったい何があったのだろうか。もっとも、吸血鬼である彼女の心の痛みを完全に理解するのは、海斗には不可能だ。
ただ、今の瑠璃子の機嫌が悪いことだけはわかる。海斗は、無理やり笑顔を作って見せた。
「今日は機嫌が悪いみたいだな。じゃあ引き上げるよ──」
「同情なんか、しなくていいから。そんな暇があるなら、どっかの化粧の濃いバカ女でもナンパすればいいじゃない」
こちらを見ようともせず、瑠璃子は言い放った。最近、さらに気難しくなってきた気がする……そんなことを思いながら、海斗は溜息をついた。
「別に、同情なんかしてねえからさ」
「じゃあ何なの? 何のために来るの? あたしみたいな化け物にかかわって、どうしようっていうの?」
瑠璃子は視線を外したまま、なおも問い続ける。
「俺はな、お前に借りがあるんだよ」
静かな口調で答えると、瑠璃子がようやくこちらを向いた。
「はあ? 借り? そんなの知らないよ」
「いいや、あるんだよ。まあ、忘れちまったならしょうがないけどな。明日、また来るから機嫌直しといてくれよ」
そう言うと、海斗は血液の入ったビニールパックを床に置く。
向きを変え、去って行った。
そう、海斗は瑠璃子には借りがある。
孤児院に入り転校した時、クラスの全員が海斗の素性を知っていた。
それだけではない。父は母に刺し殺され、母は直後に飛び降り自殺した。その事件のことを、みんな知っていたのだ。
そのためだろうか。海斗に対しては、腫れ物に触るかのような態度で接する者がほとんどであった。いつも、遠巻きに見られているような視線を感じていた。あの時の居心地の悪さを、今も忘れていない。
しかし、瑠璃子だけは違っていた。海斗から距離を置く訳でもなく、かといって彼の心に土足で踏み入る訳でもなく、ごく普通に接してくれていたのだ。下校の時は一緒に帰り、毎日のように遊んだ。
時には喧嘩をすることもあったが、さっぱりした性格の瑠璃子とは、すぐに仲直りできたのだ。
そんな瑠璃子の存在は、海斗にとって本当に大きな救いになってくれた。彼女が居なかったら、自分はどうなっていたか分からない。瑠璃子がいたから、海斗は人間のクズどもの仲間入りをせずに済んだ……その気持ちは、今も胸から離れない。
だからこそ、今度は自分が瑠璃子を助ける番だ。
瑠璃子を、必ず闇から救い出してやる。
名もなき漢のうた 板倉恭司 @bakabond
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