仕事のうた
有田海斗は、完全に面食らっていた。
目の前には、五人の中年女がいる。全員が高そうな腕時計やアクセサリーなどを身に付け、着ている衣服もブランド物だ。
実のところ、彼女らは先日に海斗と揉めた暴走族の少年たちの母親なのである。息子たちは特攻服を着て世の中に対する反抗の意思を示していたというのに、その母親たちは世の中に見事なまでに順応しているようだった。むしろ社会のシステムを上手く利用し、結果として上流階級に属している……そんな風に見えた。
正直、想像していたものとは完全に真逆であった。
海斗と女たちは、真幌市の外れにある喫茶店『猫の瞳』に来ている。もっとも喫茶店なのは昼間だけで、夜になるとゲイバーに変わる特殊な店なのだが……マスターは、元プロレスラーの小林である。巨体にエプロン姿でカウンターに立っており、素知らぬ顔でグラスを拭いている。
そして海斗はというと、いつもと同じハットにスーツ姿である。もっとも、その顔には大きな絆創膏を貼っていた。さらに、左腕には包帯を巻いており三角巾で腕を吊っている。
正直に言えば、彼はどこにも怪我をしていなかった。全て形だけである。それでも、時おり顔をしかめて患部を押さえる演技も忘れていない。
両者の前にあるテーブルの上には、数枚の写真が置かれていた。昨日の少年たちが写っているものだ。
写真には、少年が木刀を振り回して威嚇している場面や、海斗が突き飛ばされて倒されるシーンなども写し出されている。これがあれば、暴行罪の証拠になり得る。
さらに、海斗は用意していた音声レコーダーのボタンを押す。すると、声が流れてきた。
(おっさんの方が、よっぽどうるせえんだよ! 下らねえこと言ってるとな、マジで殺すぞ!)
少年の罵声だ。殺すぞ、という決定的な言葉を吐いている。これまた、脅迫罪の証拠になるものだ。
「本当に、申し訳ありませんでした」
女たちのひとりが、神妙な態度で頭を下げる。この中のリーダー格なのであろうか。化粧が濃く、身に付けているアクセサリー類も多い上に派手だ。女たちの中でも、ひときわ強い存在感を発している。
他の女たちも、神妙な面持ちで頭を下げた。
「いやあ、私もこんな体になると仕事に差し支えるんですよね。あいたたた」
言いながら、海斗は大げさに顔をしかめて左腕をさする。すると、女たちの顔が強ばった。もっとも、女たちは海斗の怪我を心配しているのではない。心配しているのは、息子の将来だ。
女たちの反応を盗み見ながら、海斗はさらに話し続ける。
「まあ、私も
海斗は言葉を止め、皆の顔を見回す。女たちは顔をひきつらせ、下を向いていた。
もちろん、ホモ云々の話は嘘である。こういった閉ざされた施設には、いい加減なデマが多い。ただし、そういったデマは海斗のような人間にとって利用しがいがある。
「まあ私としても、あなた方のお子さんを警察に突き出したくはありません。何せ、将来に傷が付きますからね。お子さんはまだ若いですし、いくらでもやり直せます。私の治療費と休業保障、それに慰謝料を払っていただければ──」
「わかりました。お幾らでしょうか?」
先ほどのリーダー格らしき女が、おずおずとした口調で切り出す。どうやら、バカ息子の尻拭いは初めてではないようだ。こうなれば話は早い。
「そうですねえ、出来れば五百万円いただきたいんですよ」
その言葉に、女たちは顔を見合わせた。驚き、戸惑っているような表情が浮かんでいる。これもまた、海斗の予測通りだ。
だが、問題なのはここからである。女たちは、確実に値下げを要求してくるであろう。海斗も、五百万をそのまま貰えるなどという期待はしていない。
とりあえずは、最低ラインが百万円だ。二百万なら良しとしよう。それ以上の額を要求するとなると、向こうもとんでもない手段に出る可能性がある。最悪の場合、銀星会か沢田組といったあたりの、本職のヤクザが乗り出してくることも考えられるのだ。
海斗としては、本職のヤクザとはかかわりたくない。これからの交渉により、ギリギリのラインを見極める。それこそが、この商売の鍵なのだ。向こうとしても、本職のヤクザに借りを作りたくないはず。ヤクザに頼むよりも、金を払って追い払った方が早い……相手にそう思わせれば、海斗の勝ちなのだ。
今回も、相手がヤクザに頼もうという気を起こさせない金額で折り合いをつける。そのために、これまで磨いてきた話術を駆使するはずだった。
しかし、事態は予想とは違う方向に進んでいった。女は、少しの間を置き口を開く
「本当に、たった五百万でよろしいんですの?」
その言葉に、今度は海斗の方が唖然としていた。たった五百万、ときた。この女たちは、どういう人種なのであろうか。
戸惑いながらも、言葉を返す。
「あっ、はい、たった五百万です。息子さんたちにも将来があるでしょうし、こんなことでつまづいて欲しくないですからね。私としても、裁判沙汰にはしたくありませんし──」
「でしたら、今すぐお支払いします」
そう言うと、女は持っていたハンドバッグから札束を取り出す。
百万円の札束をひとつずつ、テーブルの上に無造作に置いていく。何のためらいもなく、淡々とした動作である。どうやら、最初から用意していたらしいのだ。
その様子を、海斗は口を開けたまま見ていた。今回は、完全に向こうの方が
「いやあ、驚いたな。あいつら、何のためらいも無かったぜ。こんなことなら、一千万とかふっかければ良かったかもな」
女たちが帰った後、海斗はちょっと悔しそうな表情で呟く。すると、小林が呆れたような顔つきで口を開いた。
「バカ息子の尻拭いには慣れてます、って感じだったわね。ま、あの連中も将来はロクな者にならないでしょうけど。バカ息子から、バカ社長ってとこね」
「そうだな。しかし、あんなにあっさり五百万を出すとはね。しかも、この場で出すとは……世の中、金持ってる奴は幾らでもいるんだなあ」
感心したような口調で言いながら、小林に百万円の札束を差し出した。
小林は口元を歪めながら、それを受け取る。
「ありがと。でもね、あんたはこういう仕事に向いてないわ。お人好しすぎるのよ。悪いことは言わないから、早く足を洗いなさい。どうしても仕事が無かったら、アタシのヒモにしてあげるから」
「お断りだよ」
お断りだ、とは言ったが……実のところ、その自覚はある。海斗は喧嘩も弱く気も小さい。しかも、人に対し残酷な仕打ちが出来ないのだ。
裏社会で出世するのは、情に流されることなく行動できるタイプだ。泣き叫ぶ子供の目の前で、その親から金をむしり取り振り返りもせず去っていく……そんなことが、普通に出来なくではならない。海斗には不可能だ。だからこそ、彼は本職のヤクザにはならなかった。
本音を言うなら、さっさと違う生き方をしたい。しかし、海斗はこの生活を続けなくてはならなかった。なぜなら、中卒の彼にはこれ以上に稼げる仕事がないからだ。
それに、瑠璃子のこともある。今は、裏の世界で生きていくしかなかった。
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