出会いのうた

 小林と話し合った後、海斗は『ちびっこの家』へと向かった。時刻は午後八時を過ぎている。子供たちは、既に眠っているかもしれない時間だ。あまり大きな音を立てないよう、静かに入って行く。

 

 応接室に入ってみると、二人の女の子がソファーに座っていた。片方は十代の半ばだろうか。飾り気のない地味な服装でリュックを背負い、可愛らしい顔は不安の色に満ちている。落ち着かない様子できょろきょろしているが、海斗の入って来る姿を見るや否や、怯えたような表情で会釈し、すぐに下を向く。

 しかし、もう一方の女の子の態度は真逆であった。孤児院には似つかわしくない服装の海斗を見るや否や、お前は何者だ? とでも言いたげな表情でじっと見つめている。まだ小学校の低学年だろうか。いかにも好奇心旺盛そうな大きな瞳と、男の子のような短い髪が特徴的だ。

 どうやら、今日から新しく入所することになった子たちのようである。海斗はふと、自分がここに入所した時のことを思い出した。当時は、不安でいっぱいだったのだ。


「何だお前ら、新しく入った子なのか?」


 目の前の子たちを怖がらせないよう、ニコニコしながら、努めて軽い調子で声をかけた。


「は、はい! わ、私は宮田今日子ミヤタ キョウコといいます! で、この子は妹の明日菜アスナです! きょ、今日からこちらでお世話になることになりました! よ、よろしくお願いします!」


 年上の娘が立ち上がり、焦った様子で何度も頭を下げる。

 その態度に、海斗は思わず苦笑してしまった。そもそも、自分はここの職員でも何でもないのである。ただのOB兼ボランティアのような立ち位置なのだ。そんな自分にいくら頭を下げても、なんの得にもならない。


「い、いや……今日子ちゃん。俺は──」


 言いかけた時、妹の明日菜が口を開いた。


「あんた、先生なの?」


 その口調はぞんざいで、ひとかけらの敬意も感じられない。まるで、友だちに話しかけるかのような口調だ。今日子が慌てた様子で口を挟む。


「ちょ、ちょっと明日菜! 失礼でしょ!」


「いや、いいんだよ今日子ちゃん。俺はここのOBの有田海斗だよ。海斗さんって呼んでいいから」


 そう言って、海斗は優しく微笑む。すると、明日菜は彼をじっと見つめる。

 少しの間の後、口を開いた。


「凄く変な格好なの。先生らしくないの」


「ちょっと明日菜! あんた何を言ってんの!」


 今日子は焦った様子で、明日菜の口をふさぐ。しかし、海斗は苦笑するだけだった。


「おいおい、このスタイルはな……名作ハードボイルド・ドラマ『探偵ストーリー』の宮藤俊作クドウ シュンサクのファッションだぜ。知らねえのかよ、あの宮藤ちゃんを」


 そう言うと、海斗は立ち上がった。雑誌に登場するファッションモデルのような、気障ったらしいポーズをして見せる。


「どうよ? 格好いいと思わない? ハードボイルドな哀愁を醸し出してると思わない?」


 キザったらしいポーズを決めたまま、二人に向かい尋ねる。


「えっ、ええ……格好いいと思います」


 顔をひきつらせて、今日子は頷いた。もっとも、その声には感情が込もっていないが。

 しかし、明日菜の方は真逆の反応だった。クールな表情で首を横に振る。


「ぜんぜん格好よくない」


 冷たい表情のまま、言い放つ。海斗に対する気遣いなど、欠片ほども感じられない。子供らしいと言えば子供らしい。


「あっ、あのなあ……まあ、お前みたいなお子ちゃまには、この渋さを理解するのは難しいか」


 海斗がそう言った時、応接室の扉が開き院長の後藤が入ってきた。丸い顔に、優しげな表情を浮かべている。


「待たせたね、お二人さん。部屋の準備が……おや海斗くん、今日も来てくれたのかい」


 そう言って、にっこりと笑った。


「よお院長、新しい子とは仲良くなったぜ。おい二人とも、何か困った事があったら、この優しくてカッコよくてハードボイルドな海斗お兄さんに相談しなさい」


 二人にそう言って、胸を張って見せる。すると、またしても明日菜が口を開いた。


「海斗は、変なおじさんなの」


「こ、こら明日菜! 海斗さんは、変なおじさんじゃないでしょ! 優しくて格好いいお兄さんでしょ!」


 今日子が、慌てて口を出す。だが、明日菜は止まらない。


「優しいお兄さんじゃないよ。海斗は変なおじさんなの」


「明日菜! いい加減にしなさい! 失礼でしょ!」


 顔をひきつらせ叱りつける今日子に、海斗は苦笑するしかなかった。


「いいよ。今日子ちゃん、明日菜ちゃん、変なおじさんの海斗さんを、これからもよろしくね」


 言いながら、中世の貴族のような大袈裟な身振りで頭を下げる海斗。

 それに対し、姉の今日子は焦った様子でペコペコ頭を下げる。しかし、妹の明日菜はクールな表情でじっと見つめるだけだ。何とも不思議な娘である。姉よりも落ち着いており、泰然自若とした態度だ。

 常識人の姉と、天然の妹。実に面白い組み合わせだ。


「お前、将来は大物になりそうだな」


 思わず呟いてしまう、海斗なのであった。




 孤児院を出た後、海斗は廃工場へと向かう。もちろん、瑠璃子の隠れている場所である。


「おい瑠璃子、いるか? キャットフード買ってきたぞ。それと、豚の血も持ってきたぜ」


 廃工場の中に入り、そっと声をかける。すると、闇の中から瑠璃子が姿を現す。さらに、にゃあという声も聞こえてきた。


「ほら、今日は豚の血で申し訳ないけど」


 言いながら、血液の入ったビニールパックを差し出す。

 すると、瑠璃子は訝しげな表情になった。


「ねえ、これどうしたの?」


「いやな、精肉工場の従業員に話を付けたんだよ。博打の借金で首が回らなくなってた奴がいてさ。そいつと取り引きしたんだよ。もう、工場に忍び込む必要もなくなったって訳さ」


「そう……」


 瑠璃子の声は沈んでいた。表情も暗い。何かあったのだろうか。


「おい、どうしたんだよ。今日は元気ねえじゃねえか。何かあったのか?」


「別に何もないよ」


 そう言って、微笑む。だが、無理に微笑んでいるようにしか見えない。

 海斗は違和感を覚えた。いつもの瑠璃子はつっけんどんで、言葉遣いも乱暴である。それでも、表情は明るかった。少なくとも、内面で感じている苦悩を隠していたのだ。しかし、今日の表情は暗い。内面の苦悩を、全く隠せていないのだ。


「おい、瑠璃子──」


 言いかけたが、すぐに止めた。

 吸血鬼になってしまった苦しみは、自分に理解できるような甘いものではない。しかも、外に出ることも出来ず、この廃工場の中にずっととじ込もっているのだ。

 そう、瑠璃子の見た目は、未だ十二歳の少女なのである。彼女は、陽の照っている間は外に出られない。かといって夜中にうろうろしていたら、警察に目を付けられる可能性もある。

 さらに言うなら、この真幌市は決して治安のいい町ではない。日本でも五本の指に入る暴力団・沢田組の事務所がある。しかも、そこからさして遠くない位置には、同じく暴力団である士想会の事務所があるのだ。失業者やホームレスの数も多く、犯罪の発生件数も全国でトップクラスだ。

 そんな場所に、見た目は小学生の娘がひとりで出歩くというのは、確実にトラブルを招く。以前、海斗は瑠璃子と共に精肉工場に忍びこんで血液を盗んでいたが、町をうろつく怪しげな輩に見つかり追いかけられた事もある。

 無論、瑠璃子の持つ吸血鬼の力は強大だ。やろうと思えば、人ひとりくらい一瞬で殺せる。しかし、そんなことをすれば、さらに面倒な事態を呼び込むことになる。人が死ねば、警察が動くのだ。まして殺人事件ともなると、警察はきっちりと捜査する。万が一、瑠璃子の存在が明るみに出てしまったら……。

 トラブルを起こさないためにも、彼女は徹底的に人目を避ける必要があった。

 だが同時に、人目を避けるためには、瑠璃子にとって不自由な生活を強いることにもなる。海斗にも、その不自由さは容易に想像がつく。まるで牢獄にでも入れられたかのように、今いる廃工場の中で暮らさなくてはならない。

 そんな生活を、瑠璃子は十三年ものあいだ続けてきたのだ。海斗は、いたたまれない気持ちになった。


 その時、にゃあと鳴く声がした。直後、黒猫がのそのそと歩いて来る。すると、瑠璃子は笑みを浮かべた。


「ルルシー、こっちにおいで」


 文字通りの、猫なで声を出す。すると黒猫は、喉をゴロゴロ鳴らしながら彼女に顔を擦り寄せて行く。少女の吸血鬼と黒猫とは、何とも妖しげな組み合わせである。だが同時に、微笑ましい光景でもあった。


「その猫、ルルシーって名前なのか?」


 海斗が尋ねると、嬉しそうに頷いた。


「うん、ルルシーだよ。可愛いでしょ」


 言いながら、瑠璃子はルルシーを撫でた。ルルシーは喉を鳴らしながら、彼女の前で仰向けになって見せる。おなかも撫でる? とでも言いたげな様子だ。

 ルルシーのあまりの可愛らしさに、海斗は思わず微笑む。ルルシーがいれば、瑠璃子も寂しい思いをしなくて済むだろう。その時、もうひとつの土産の存在を思い出した。


「おう、忘れるところだった。キャットフード持ってきてたんだよ。危ねえ危ねえ」


 そう言って、海斗はキャットフードの袋を渡す。俗にカリカリと呼ばれている猫用ドライフードが入った袋だ。

 ルルシーは、その袋の中身が何なのか、即座に理解したらしい。早くよこせとばかりに、瑠璃子にせがみ始めた。うにゃんと鳴き、顔を擦り寄せていく。


「はいはい、ちょっと待ってなさい」


 瑠璃子はルルシーを撫でながら、少量のドライフードを床の上にこぼした。黒猫は、いかにも美味しそうに食べ始める。以前は、どこかで飼われていたのだろうか。純粋な野良猫には見えない。


「この子はね、捨てられてたんだよ」


 不意に、瑠璃子が口を開く。寂しげな口調だ。


「あたしと同じ、ひとりぼっちなんだよ」


 その言葉に、海斗は眉をひそめた。


「馬鹿野郎、お前はひとりじゃねえよ。何があろうと、俺はお前のそばにいる」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る