僧侶二人、傷跡と火傷の男

     ……………


「ど、どうして……。いや、おれは……」


 サングラスの男の『あの祠壊したんだ。君、助からないね』という言葉に、ヨシノリは言いよどむ。その様子を見て、またもその男は見透かすように影に塗られた顔の中、口角を歪ませて語る。


「んん? 事故だったのかな? まあ、それでも君が危険ヤバいことには変わらんよ」


「な……」


 ヨシノリの背に冷たい汗が伝う。連続して彼の身に降りかかる異常事態は彼の心を弱らせるには十分だったようだ。

 黒革のトレンチコートからブラックスーツが見える怪しい雰囲気の男はヨシノリの動揺を認めつつも全く変わらぬ軽い調子で話を続ける。


「ふーん。まあ、気休めだが、なんぼか生きる時間を増やすためにこれをあげよう」


 彼はそう言ってヨシノリにポケットから取り出したものをひょいと渡す。

 それは琥珀のようなものが付いたネックレスだった。ヨシノリはその黄褐色の宝珠の中に何か人間のような形がうごめいているように見えた。が、彼はそのネックレスを半ば強引に付けられる。

 だが、彼はその不気味なネックレスを付けた途端に、祠を壊して以降感じていた妙な寒気がぴたりと消えた。


「え? あ……。こ、これは……?」


「餞別。これで多少君は助かるさ。じゃ、私はこれでー」


 そう言ってサングラスの男は山奥の祠へ行こうとする。何一つ状況の掴めないヨシノリはとっさに男を引き止めた。


 「ちょ、ちょっと待って。あんたは……」


 「また会うだろうし詳細は後で話すさ。私は急ぐんでねー」


 ヨシノリは祠への道をずかずか入って行く男を追おうとするも、一歩祠に近づくごとに先程のじっとりとしたぬめりけある幻覚のようなものが思い出され、足がすくんだ。


――だめだ、入っちゃ、ダメだ……。


 彼の全身がその森の奥の『存在』を恐怖している。背をめぐる血液は凍るように冷たく、心臓だけがやけにうるさく、汗が滴る。冬の外気の冷たさも忘れる様な状態だ。


「おい」


 森の奥を見て立ち尽くしているヨシノリの背後から、声が響く。やや粗暴な言い方の男性の声。

 彼が振り返るとそこには奇妙な三人組がいた。


 声をかけてきたと見える男は、中々頑強そうな筋肉に包まれその輪郭がはっきりと示されるスポーティな軽装で、冬である事を一瞬忘れそうになる。だが何より目を引くのはその顔や、服からのぞくあらゆる肌に深々と大小さまざまな傷跡や火傷跡が刻まれているところである。

 左頬に至っては奥歯が覗ける穴が、薬品で焼け爛れた様な火傷の痕と共に痛々しく空いている。それを見ればどんな人間であってもこの偉丈夫が体格や筋肉だけでない何らかの『実践』に通じる戦士であることを想像するだろう。


 その他の二人は、白髪の眉と幾層にも皺の刻まれた顔をした袈裟の僧侶と、その弟子なのか二十代くらいと思える若々しく凛々しい顔立ちの同じく袈裟を着た僧侶である。老人は見た目の割にしっかりとした姿勢と体格を持ち、傷跡の男と引けを取らないオーラを持っている。若い僧侶も体格が良く、僧侶と傷面という何ともミスマッチな集団が奇妙な同類の雰囲気を感じさせる。

 傷跡の男がヨシノリに訊く。


「お前……。さっき、話していた奴は知り合いか?」


 見た目も相まって尋問が始まったように思えたヨシノリは、しかし反射的に返す。


「いや、全然。あの人のこと知ってるんですか? 突然話しかけられて、『死ぬ』とか言われて……」


 聞いた三人にいぶかしむような表情が走る。

 老僧侶がヨシノリに近づいてさらに尋ねる、彼の一歩ごとに持っている錫杖が揺れるが不思議と音は一切鳴らない。


「心当たりになることはないか? 例えば……。地蔵や祠を破壊したなどの罰当たりな行為をしたとか」


 神妙な面持ちでそう訊かれたヨシノリは動揺もあってか真実をそのまま述べる。


「その……。そっちの、奥の祠を、じ、事故で壊してしまって」


 奥に控えていた若い僧侶の顔に動揺が浮かぶ。老僧侶も目を見開きヨシノリの肩を掴んで叫ぶ。


「壊したのか?! お前、あの祠を壊したのか!? 何か出たのか?」


 唐突な老僧侶の深刻な叫びにヨシノリは圧倒され、何も言えなかった。

 老僧侶はそのヨシノリの表情を見てやや落ち着きを取り戻し、言い直す。


「失礼……。驚かせてしまったな……。落ち着いたらでいい。話を聞かせてくれないだろうか?」


「い、いや、おれは何も……。スイマセン、急いでるって言うか……」


 ヨシノリは三人に危害を加える意図はないことが感じられていたが異常な状況から離脱したいという思いが頭を占めていた。


――とにかく変なことに巻き込まれたくない。


 だが、その精神をまた見透かされたのか、傷跡の男が彼に一言告げる。


「事実だから言っておくが、お前、祠がぶっ壊れた時点で助からねえぞ? 俺らと関わろうが関わらなかろうが、その妙な『お守り』があろうが」


 ヨシノリにその冷酷な言葉が突き刺さる。若い僧侶は「おい、もっとデリカシーを持て」などと男を叱り、老僧侶も男を睨みつけている。だが、ヨシノリにはそうした対応が先程の言葉が紛れもない事実であることを示しているように思われ、増々不安が増していく。


「お、おれは、祠では何も見ていない。変な寒気と感覚があっただけで、すぐに逃げ出した。おれは何も知らない。このネックレスだって押し付けられただけで……」


 僧侶たちはその言葉の真偽を見定めるように数秒彼の顔を見ていたが、傷跡の男はフン、と鼻を鳴らした跡さっさと先に歩き、森の奥に向かい始めた。老僧侶が彼を引き留める。


「おい、勝手に行くな」


 男は振り返ると気だるげな表情で答える。


「こっちは探偵ごっこの為に雇われてやってんじゃねえんだよ。『魔力』も見えねえこれから死ぬガキ問い詰めても意味ねえだろ」


 その言葉に若い僧侶が怒鳴る。


「軽率にそう言ったことを口走るな!」


 老僧侶はいきり立つ若い僧侶をなだめるように手を向け、睨みつけた後、ヨシノリへ頭を下げて話す。


「大変失礼した。あの男はああ言っていたが、その『お守り』はしっかりと効力あるもの。それをしかと持って今日は帰られたほうが良い。我々は祠の対処に急ぐので失礼する」


 そう言うとヨシノリが返事をする間もなく、僧侶二人もそそくさと祠のある森の中へ走っていってしまった。

 不安だけ煽られ、意味深長な文言だけ残されて置いて行かれたヨシノリは、とぼとぼと帰り道の道路を歩き始める。

 初めは気圧されて茫然と歩いていた彼だが、祠から遠ざかるにつれ、沸々と怒りが湧いてきた。


――何なんだ、あいつら。意味深なことだけ言って、人を死ぬだの助からないだの不安を煽って。意味が分からない……。だが、ムカッ腹が立つ……!


 ぐぐっとヨシノリは拳を握る。恐怖の反動か高くてかさばる機材の運搬が徒労に終わったからか、怒りが止まらない。


――だいたい、あいつら服装から信用ならん。そうだ、悪質な詐欺かもしれない。変なネックレスも押し付けられ、次は壺を押し売りされるかもしれない。


 そして彼は順当な考えに至る。


――捨てた方が良いかもな、コレ。


 ヨシノリは琥珀のようなものが付いたネックレスを手に取って見る。それは彼を奇妙に安心させる雰囲気を持っており、不可思議なことに捨てる気を起こさせない。


「ハァ……。もういいや」


 ヨシノリはまじないにかけられたような気がしたが、先程の恐怖心を紛らわせるなら何でもいいと思い、ネックレスをしたまま山沿いに続く帰路を歩く。


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