「君。あの祠壊したんだ」

     ……………


「ああ、君。あの祠壊したんだ。君ィ、助からないねー」


 その男は人を嘲るような笑みを浮かべ、薄い色の丸サングラスの奥から、目の前の青年の顔がみるみる青ざめていく様子を眺めていた。

秋も終わり冬に差し掛かる頃特有の、虫の音なくざわめく木の葉の音。そんな山の音に呑み込まれるような気配が、その青年には感じられた。

 夕焼けを背後に、男の顔は影に塗られサングラスだけが爛々と輝いている。

 その奥に僅かに映る瞳には全てを見通すような、不思議な光がある。そんな錯覚を青年は覚えていた。

 彼のその動揺の理由は明白だった。

丁度、『祠を壊して』山から出て来たばかりだったのだ。 


     ―――――


 北海道西羅牟町せいらむちょう。この街は胆振地方西側の海岸沿いの国道に面しながらも陰気な山間に位置している。

 昔から近辺の製鉄拠点である港町と農地として知られる町の間に位置し、かつては多くの商店や住居、果樹園などが広がり賑わっていたが景気が後退して以降は衰退の一途をたどり、一万人ほどいた人口も数千を数えるばかりである。

 海岸沿いに集中するコンビニやなどに対して、山間に広がる畑や住宅はまばらで、この街の衰退が如実に表れている。

 住んでいる者も2022年現在では老人ばかりといった状況であるが、若い人間もいないわけではない。


 『只野修典ただの よしのり』19歳。隣町の工業大学に通うこの青年はやや山に近い住宅街の中の実家に棲んでいる。

 彼は11月8日の今日、注文していたカメラが届き、それを持って山奥へと向かっていた。


――今日、おれの人生は変わる。そういう予感がビリビリするぞ……!


 機材を抱え、山へと続く道路を歩く彼はそう考えながら、軽やかな足取りで進む。住居がまばらに建ち、畑が見渡せる道路を通り、人通りの少ない道を歩み、舗装された道は山を迂回するように峠へと続く。

 だが彼はその先へは進まず、山の中へ続く舗装されていないあぜ道に入って行く。

 山の中は冬の寒により虫たちの音も鎮まり、不気味な木の葉のざわめきが響いている。もう数週間もすればこの辺りは雪に埋もれる、そうなれば撮影などは不可能だとヨシノリは道を進みつつ考える。


――カメラが届くのがもう数週間遅れていたら……。一応起動チェックはしてある、大丈夫なはずだ。


 そうこう考えながら針葉樹林の薄暗がりの道を抜けると、突然開けた、日の当たる場所に出る。


――ここであっているよな……?


 ヨシノリはその場所を見回しながらそう思う。その場所は、右手の山の斜面が崩れ流れて来た土砂に埋もれかけた石の祠が一つ、中央に佇んでいた。


――この間の豪雨で崩れて来たのか? 大丈夫かなぁ……?


 彼がこの場所に来たのは初めてで、町ではこの場所の噂さえも聞いたことが無かった。こうした土砂崩れのありさまも町の人間は誰一人知らない事であろう。

 彼はスマホを開き、『都市伝説サイト』で再度確認する。


……

北海道西羅牟町の心霊スポット『謎の祠』

 道路にある獣道を辿っていくと山の中で突然開けた場所にやや新しい祠が現れる。町の人はこの祠の存在すらも知らず、誰が作ったのか、どうして作られたのかという由来は一切不明。だが死者の霊が現れるという噂がネット上で散見され、穴場として知られつつある。心霊目撃例のリンクは以下にまとめて置いた。

……


――写真にある祠は……。多分これで合っているな。……。結構ボロボロだけど、これ、大丈夫かな。


 写真と見比べて、その土砂に埋もれかかった石造りの祠は、心許ないほどに角が削れ、今にも倒れそうだと彼には思えた。


――『撮影』してる間に倒れないでくれよ……。まあ、それもオイシイと言えばオイシイ絵だけど。


 彼はそそくさとカメラを起動し、折り畳み式の三脚を祠の前に建てて撮影の準備を始める。ライトなども素人ながら揃えており、彼はこの機材に大学生としてはそこそこの投資を行っていた。


――今はやりの心霊スポット紹介。これだけ雰囲気もあって、一応知名度もある場所。今までやって来た『心霊スポット直撃』の動画の視聴率も順調に伸びている中でコレは結構な伸びが期待できる!


 ヨシノリは数か月ほど前からYouTube上で心霊スポットの動画を投稿しており、今日の撮影もその一環である。動画投稿本数はまだ少ないながら視聴数は順調に伸びてきており、先日遂に千の大台を突破した。


――このまま伸びて収益を得られれば、おれはこの北海道のクソ田舎から飛び出て東京に行ける。こんな停滞した土地で腐って死ぬなんてゴメンだ。


 彼は一種とりつかれたようにそう考えながら、撮影の準備を進めていた。ライトとカメラの三脚は土砂で凸凹した地面に立てるのはなかなか難しく、少し手間取っていた。


――流石にもうぬかるんではいないけど、結構安定しないな……。仕方ない。少し平たくするか。


「おっ」


 彼は周囲を見回し、丁度良く平たい石を見つけた。彼は祠の近くの土砂に埋もれているその石を引き抜くべく、しかとその石を掴む。


「よいしょっと。うわあっ!」


『ドガッ……。ガラガラガラ……』


 ヨシノリは石を引き抜いた勢いそのままに背中から祠の石碑部分にぶつかった。そのまま石碑は倒れ、バラバラに粉砕した。


「……えっ?」


 彼は背後で粉々になったいびつな岩の群れをしばらく眺めていた。

 何が起きたのか、あんな石製の碑がここまで粉々になるものなのか、撮影をどうするのか、損害賠償は……。

 そんな思いが大量にあふれる中、ヨシノリは突然ぞわっとした、妙な気配を背後に感じた。


――何か……。何か、いる……?


 彼が奇妙な気配を感じたのは元々石碑が建っていた場所、そこには人の頭ほどの穴が開いており、光の届かぬ真っ暗な内部に彼は何かがいるという直感を覚えていた。

 そして同時に、ヨシノリは巨大な何かに取り込まれるような、そんな気配が一瞬のうちに感じられた。


――大きな……。肉だ、肉の触手だ。それは膿んでいて、おれを……。呑み込んで……。


「はぁっはぁっはぁっ!」


 彼は誰に言われるでもなく、機材をひっつかまえて逃げ出した。不安定な道に転びかけながらなんとか道路へと走り出る。


「ハァ……。ハァ……。ハァ……。何なんだ一体……」


 ヨシノリは膝に手を突き、肩で息をする。彼が先程感じた『何か』の気配の正体は全くわからない。だが、彼にはハッキリと何か、自分をからめとる巨大な何かの触手のような『危険なもの』が感じられた。


「おや、君、もしかしてあの祠に……」


 祠にて感じた幻覚のような感触を思い出し、動揺しているヨシノリはその話しかけてくる声の主を見上げる。

 そこに立つ男は、夕焼けの陽を背後に受け、サングラスを光らせる怪し気なトレンチコート姿の男であった。

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