*3-3


「そういえばさ」

「ん~、何」

「古萩のことなんだけど」

「えっ……」


 古萩――未玲だ。なんで今、その名前が?

 ぎょっとした顔を、してしまったらしい。西野の表情が急に焦った感じになる。


「いや、あ、俺さ、古萩と塾が一緒で」

「……う、うん。それで……?」

「やー、何つーか、古萩って最近元気なくない? 前から大人しいっちゃ大人しい方だったけど、そうじゃなくて何かあったみたいな」

「それで、私に……?」

「良くわかんねーんだけどさ、三穂と古萩、今でも同じクラスじゃん。中学の頃から仲良かったし、それに……」


 それに、の先。

 西野が思い浮かべている過去の場面が、私にも伝わってくる様な気がした。

 中学の頃から仲良かった、だって。さすが男子、時計が止まってる。女の子どうしの「仲良し」なんて、どこで、いつ、どんな形で変わっても不思議じゃないのに。


 ――原因は、私だよ。


 夏休み前の、帰り道を思い出す。ほんの少しだけ未玲と距離が近づいて、それから思いっきり突き放してしまった。

 そう言ってしまおうか。一瞬思ったけど、やめた。今ここで、西野を相手に話すコトじゃない。


「うーん、同じクラスだけど、最近はあんまり話さないからなあ。ゴメン、良く分かんないや」

「そ、そうだよな。なんか変なコト聞いて悪かった。お、何か飲まね? おごるし」


 未玲の名前を出してから空気が変わったことに、さすがに西野も気付いたらしい。私から顔を背けるように、近くの屋台に入る。大きなウォータークーラーに、氷と飲み物が無造作に浮かんでいた。


「冷てっ。やっぱ陸上部はこれっしょ」


 そう言いながら、西野がスポーツドリンクを手に取る。私が何気なく手にしたのは、炭酸水のペットボトルだった。


「お、甘さなし? 大人かー」


 ――由貴子ちゃん、やっぱり炭酸は、甘さなしだよ。

 西野の言葉に、中学生時代の未玲の声が重なる。それまでは甘さの強いサイダーが好きだったけど、未玲に言われてから(大人っぽさに憧れてたのもあったけど)炭酸水を選ぶようになってた。


「別に大人じゃないけど……。お金、払うよ」

「いいって。今日は合宿も終わったし、打ち上げの気分ってコトで」

「そう? 悪いね。じゃあ、甘えちゃおうかな」


 どん、どん、どん

 ひときわ大きな花火が空に打ち上がって、それからとどろくような音が追いかけてきた。お祭りも終盤。参宮通りを練り歩いていたお神輿も、神社に向かい始める頃だ。


*


「おーい、ニッシー」

「ニッシー」


 道の向こう側から、男子生徒が二人、手を振りながら近づいてきた。たぶん、同じ陸上部の子たちだろう。半袖から覗く二の腕がこれでもかってくらいに日に焼けている。


「おーす、お疲れ」


 合流した二人に、西野が軽く返す。二人はあれって顔をして、私と、それから西野の顔を見比べていた。



「……おやぁ? もしかしてお邪魔しちゃった的な?」

「ばーか、ちげーし。同中の同級生だよ」

「へー。そんでさ、そろそろ行くべ?」

「サンゴク? 行く行く」


 サンゴク。このお祭りのラストを飾る、大きな仕掛け花火だ。

 何本もの筒状の花火が、神社の境内で豪快に火花を吹き上げて、担ぎ手たちがその下を走り回る。最近はけっこう有名になって、観光客も見に来るらしい。


「三穂、悪いな。俺ら、あっちに行くから」

「うん。わかった。今日はありがとね」


 軽く手を振って、男子三人とはそこで別れた。

 お祭りの熱気が、私の周りから急に引いていく。クライマックスに向け、大きく、派手な打ち上げ花火が立て続けに夜空を彩っている。

 結った髪を直し、ペットボトルの蓋を開ける。ぷしゅっと軽い音がして、沢山の泡が浮かび上がった。


 人混みを離れて、桜の木の下で炭酸水を口にする。

 スターマインが、たくさんの花を夜空に描き出す。

 駆け足のような破裂音が追いかけてくる。

 甘さのない刺激が、のどを通っていく。


「甘く、ないね……」


 ぽつりとこぼれた言葉が、夜の空気に溶けていく。



*


 少し前から、自分の心がわからない。

 夏休みの前半は、勉強を頑張った。夏休みの後半には、紗菜と芙実香との旅行が待ってる。

 今日はお祭りで、久しぶりに西野と話して楽しかった。


 何も問題ない。むしろ上手く行ってる。


 だけど、何故か立ち騒ぐ私の心。

 桜の樹にもたれて、目を閉じる。浮かぶのは寂しそうな表情の未玲。私をいらだたせる、幼なじみという存在。

 私から突き放したのに、心はどこか重いままだ。


 一体、どうしたらいいんだろう?

 私は、どうなりたいんだろう?


 みんなの知らない私を、知ってる未玲。私の心に落ちる影。

 お祭りの夜は更けてゆく。涼やかな風が、ひとりぼっちの私の側を通り抜けていく――。


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