*1-3


 部室棟の近くまで行って、それから芙美香と紗菜に合流した。校門を出て、3人で駅までの道を歩く。

 紗菜が部活で面白いことがあったらしく、私の知らない部員のエピソードを延々と芙美香に話してる。芙美香も訳知り顔で笑う。私もほどほどに茶々を入れる。


「あ~、もう来週からテストじゃん。やだなあ」


 コンビニでお菓子を買って、さっきよりもだらだらと歩きながら芙美香が急に言い出した。1学期の期末は、かなりテスト範囲が広くてみんな苦戦してる。田舎町だけどうちの高校は一応進学校だから、授業のペースもかなり速い。

 テスト……テスト……

 うん、このタイミングなら問題ない。


「ねえ、芙美香のトコに未玲のノートある?」

「ノート? えー、あったっけ?」


 大して思い出そうともしてないのが丸わかりだ。どうしようか……。


「あったじゃん、私まだ使ってたのに芙美香がここ苦手だからって」


 都合良く、紗菜が合いの手を入れる。ナイスパス、だけど独り占めしといて忘れるとか、芙美香も地味にひどいね。


「あー、ゴメンゴメン、何か借りてた気がするわ」

「私も次、使いたいんだよね。もう終わったんなら、借りたいなー」


 ほどよく軽く、だけど忘れさせない。この加減が芙美香は本当に難しい。だけど今回は、紗菜のおかげで話が早くて済んだ。


「はいはい、ユッキも使うのねー。忘れないと思うけど、朝なんか入れといて」

「りょーかい。じゃあね、また明日」

「ばいばーい」


 ちょうど駅に着いた私たちは、そこで別れる。無人駅のホームには、電車待ちの結高ゆいこう生たちがけっこう集まっていた。

 ここから家までは歩いて30分、私ひとりの時間だ。ちょっとだけふり返ってみたけど、芙美香と紗菜はおしゃべりに夢中で私には気付かないみたいだった。別にいいけどね。


*


 次の日。

 いつも通りに授業は終わって、テスト前特有のちょっとした緊張感が教室には満ちている。運動部は休みになるけど、文化部は部室で勉強したりするんだって。朝、芙美香と紗菜がそんな話をしていた。


「ユッキ、これ。ちゃんと渡したからねー」

「芙美香さま~ ありがと~。助かるよホント」


 家を出る前に送ったメッセージは、無駄ではなかったらしい。丁寧な字で書き込まれた未玲のノートを、芙美香から何気ない風で受け取る。もともと関心は薄かったのか、ノートについてそれ以上話題がふくらむことはなかった。


「じゃあね~」


 紗菜と連れだって、芙美香は教室を後にする。クラスの他の子たちも、次々と教室を出て行った。

 窓際に目をやる。いつものようにゆっくりと、誰と話すでもなく、未玲は帰りの支度をしていた。

 つかつかと、未玲に近づく。


「未玲」


 久しぶりに、名前を呼んだ気がする。未玲もそう思ったのか、びっくりしたような、笑顔のような表情を浮かべていた。


「由貴子ちゃん……」

「ん」


 胸元に、さっき芙美香から取り返したノートを突きつける。


「え……。これ、由貴子ちゃんが?」


 おずおずと、それでも大切なものみたいに、未玲はノートを受け取った。


「そうだけど。何か文句ある?」

「ううん、昨日は怒らせちゃったから、ちょっとびっくりしただけ」

「別に怒ってないから。借りたら返すの、当たり前でしょ」

「良かった。助かるよ。本当にありがとうね」


 そう言って、未玲は柔らかく笑った。

 みんなにも、そんな風にちゃんと笑えばいいのに。別にどうでもいいけどさ。


「返したから。じゃあね」

「ね、ねえ、由貴子ちゃん」


 立ち去りかけた私を、予想外の未玲の声が引き留めた。


「……うん? 何?」


 ついさっきまでの笑顔はどこへ行ったのか、緊張した面持ちの未玲がそこにいた。


「良かったら、い、一緒に帰らない?」

「……私と? 未玲が?」

「う、うん。もしイヤじゃなかったらでいいんだけど……」


 ちょっと強めに言っただけで、未玲の声は消えそうなくらいにかすれてる。

 ちくり。

 いつもの苛立ちと一緒に、なぜか心のどこかが痛んだ気がした。


 私や未玲の家は、結田の町の外れにあるから、教室を見渡しても一緒に帰る子はいない。同じ方向の子もいないくらいだ。


「――今日だけ、だからね」

「本当!? いいの?」


 一瞬、未玲の笑顔に記憶が引き戻された。小学校の頃は、こんな風に屈託なく笑ってた。

 何でこうなったかなんて分からないし、私はいつも通りに機嫌が悪いけど、今日の帰り道くらいは考えなくてもいいだろう。


 幼なじみの未玲。

 自分の手で選んだんじゃない、幼なじみという存在。

 一刻も早くこの町を出たいという切実な思いと、この町の空気を作っている人たちへの根拠のない苛立ち。


 私が渡したノートが、きっかけになったのかも知れない。

 私を引き留める思い詰めた声。昔みたいな笑顔。

 私は彼女を好きじゃない。この町も、幼なじみも好きじゃない。


 ちくり。

 まただ。未玲の久しぶりの笑顔に触れて、なぜか心のどこかが痛みを告げている。


 私は彼女を好きじゃない。だけど一緒に帰ることになった。

 家までの道のりは長い。何を話せばいいんだろう。未玲は私に、どんな話をするんだろう。

 理由のわからない苛立ちと、かすかな痛み。タイムリミットまで、あと1年と半年。


 幼なじみの未玲。この感情が一体何なのか、私はまだその名前を知らない。

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