1部2章 目覚めと義妹
目を覚ます。
薄ぼんやりとした視界に映るのは、見覚えのない白い天井。
……どこだ、ここ。
身体を包むものすべてに、闘司は違和感を覚える。
嗅ぎ慣れない臭いにも。
後頭部と首筋に感じる枕の触感にも。
違和感。
……自室でないことは、間違いないな。
ここは居候先の【
ならば、どこなのか。
状況観察をしようと、瞼以外に動かしていなかった身体を、もぞり――
「お兄様っ!」
――ほんの僅かに身動ぎした瞬間、よく知った声がすぐ傍でした。
しかし、その声がしたことによって、闘司の頭にまた疑問符が浮かぶ。
義妹がそこにいるということは、やはりここは案堂家なのだろうか。
すぐ傍で、空気が揺らぐ。
顔だけ向けると、目に映った情報で多くのことが判明した。
一つ。ここが、病室であること。
一つ。義妹が、パイプ椅子から立ち上がったこと。
一つ。義妹の隣には、空席の椅子があること。
不安な表情を浮かべた義妹が近づいてくる。
カノジョは、ほとんど真上から、顔を見下ろしてきた。
「大丈夫ですか、お兄様っ。どこかっ、どこか痛むところはございませんかっ」
声から、口調から、相当な心配と不安が伝わってくる。
闘司自身、ザッと自己判断したところ、その心配も不安も過大だった。
「大丈夫だよ。
「何を言っているんですかっ。戦ったお兄様に情けないところは一つもありませんっ」
闘司は、力なく笑って返す。
可愛い義妹にそう言われても、カレ自身は情けなくてしょうがなかった。
何も役に立たなかった戦場。
守ることができなかった子ども。
呆気なく
小指を失った自分。
一気に脳内を巡った記憶は、とことん自尊心を摩耗させた。
しかも、気を失って医院に運ばれるだなんて、あまりにも情けない。
年下の義妹を不安に心配にさせてしまったし。
溜息を吐きたくなる。が、ぐっと堪える。
うじうじ自己嫌悪すれば、可愛い義妹をさらにつらくさせるだけだ。
それに、自分が無力の無能であることは、もう嫌というほどわかっているし。
今に始まったことじゃないんだ、落ち込むのは独りでいるときにしろ。
「トーア防衛作戦は、上手くいったのか?」
上体を起こしてから、話題を振る。
明るい話は思いつかなかったが、今の状況、沈黙よりは遥かにマシだ。
「はい。
「そっか。よかった。今回の邪使は、どこから来たのか、もう判明してるのか?」
「防衛レーダーのデータ解析によると、戦線のほうから来たそうです」
「討ち漏らしってことか」
ここで言う戦線とは、【イノベント皇国】や【ウィンガロウ王国】といった人間が暮らしている大陸にある唯一の【
第一防衛ラインから第十防衛ラインまでで築かれたその巨大戦線が防いでいるのは、邪胚のほうから大量に押し寄せてくる邪使どもで。
日々、朝も夜もなく、皇国の邪滅隊が死闘を繰り広げてくれている。
戦線を突破されてしまうと、最も近い皇国の領土の、人々の居住圏が襲われるからだ。
「ええ。心配です、戦線が。年々、刻々と、討ち漏らしの数が増えているので」
「そうだな。王国とか、ほかの国が援軍を出してくれたら少しは楽になるだろうが」
討ち漏らしというのは、文字そのまま。
戦線内で殺し切ることができなかった邪使、つまり討ち漏らしてしまった邪使による、人々の居住圏への侵入を許してしまうことだ。
邪使には、様々なタイプがいる。
空を飛ぶものから、地中を潜るもの。
戦車も防壁も容易くぶち抜く突進力があるものもいれば、移動速度がやたら速いものもいる。
だから、いくら戦線の邪滅隊が死力を尽くしても、滅せないのがでてきてしまうのだ。
それが、討ち漏らし。
討ち漏らしは、今回、【トーア】という都市が襲われたように、人を容赦なく殺す。
「現状、無理そうですね。ごめんなさい」
「あっ、違う違うっ、お前を責めてるわけないだろっ」
しゅんとしてしまった、風美。
責任を感じてしまったのだ。
なぜならカノジョは、案堂家の当主として、外交に携わっているから。
この国にも、外交専門のプロフェッショナルはたくさんいる。
しかし、国同士には、人間同士には、特別な権力を持つ者たちだけの交渉がある。
一番わかりやすい例だと、この皇国の皇族と、ウィンガロウ王国の王族との関係だ。
案堂家は、このイノベント皇国において、皇族の次に特別扱いされている一族だ。
遥か昔、国が動乱に襲われ傾いたときから、国のために生き、大きな成果を残してきたからこそ与えられた特別な力。それを闘司は熟知しているわけではないが、凄いことだけはわかっている。凄い、なんて言うと酷くバカっぽいけれど。
「王国は王国で、人外大陸から攻め込んでくる邪使の対応で、余裕がないそうで」
「そうだよな。しかも、あっちはあっちで、周りの小国がずっと争ってるし」
皇国最大の同盟国であるウィンガロウ王国も、邪胚という、多くの研究者や軍略家が「あれこそ邪使を生み出すものだ! 一刻も早く潰すべきである!」と言う不気味な存在が近くにはないとはいえ、日々、安泰というわけではない。
【人外大陸】という、遥か昔、この世界にいたというエルフ族や魔族の領土だった大陸から、常に大量の邪使が攻め込んできているからだ。人外大陸と、人間が暮らすこちら側とは、地続き海続きで続いているのだが、その長い境界線を、王国は全霊で死守してくれている。
だから、援軍要請に応えてくれなくても、しょうがない。
むしろ向こうからすれば、邪胚の相手はしていなくても長く広い領域を守護しているのだからそっちが援軍を寄越せ! と言われてもおかしくない。
「はい。
「本当にな。境界壁建設は過酷だとしても、人同士の争いはさっさとやめろって話だよ」
皇国と王国の共通目標として、境界線に巨大な壁を築くというものがある。
その境界壁こそ建てることができれば、人外大陸からの侵略抑止に繋がるとして。
けれど、一向に計画は進んでいない。
大がかりな工事をしようにも、その者たちが邪使に襲われ、中断になってしまうからだ。
加えて、王国が抱えている問題には、人間同士の厄介なものもある。
王国周辺には、皇国と違って多くの小国があるのだが、それらが揉めているのだ。
少しでも領土を拡大しようと、少しでも資源を得ようと、殺し合っている。
邪使という存在がいるにもかかわらず、小国は人間同士で戦争をしているのだ。
本当に、くだらない。
皇国にいて、直接その紛争の被害を実感していない自分でも思うのだから、王国人からすれば反吐が出るような話だろう。
「まあ、何はともあれ、私たちは今、皇国の民のため戦うしかないのですが」
「ああ。まずは、自分たち、だ」
邪滅隊の給料の基本構成は税金だ。
皇国人が苦労して働き稼いでくれたものが、自分たちの原資だ。
ならば、まずは自国の平和を優先すべき。
「お兄様。指は痛みますか?」
「いいや、全然」
左手に目を向ける。
小指のあったところには、包帯が巻き付けられていた。
痛みがないのは、麻酔が効いているからか。
「……生きて帰ってきてくださって、よかったです」
「……ありがとう」
生きて帰ってきてくれて。
その言葉に呼応したのか、また、薄れていた自虐心に色が戻った。
オレは。
小さな子どもを守れなかったのに。
生きて帰ってきてしまった。
けれど、そんな自虐を今、口には出してはいけない。
オレは顔を風美から部屋の出入り口に向ける。
そのとき――ちょうど、ドアが開かれた。
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