1部2章 退院、そして

 開かれたドア、そこに立っているのは、よく知った女性だった。

 黒のパンツスーツ姿に、黒のシャツ、ネクタイはなし、足元は黒のパンプス。そんな黒一色で統一された格好のその人は、【案堂あんどう家】の使用人長であり、風美の護衛長だ。

 名を、明日香=ルン、と言う。


「失礼いたします」


 きっちり、深々と一礼したカノジョが、背筋をびしっと伸ばして室内に入ってくる。

 百八十近い女性にしては高身長は、日々の格闘術・護衛術の鍛錬で引き締まっていて、振る舞いは洗練されていてカッコイイ。一挙手一投足、見惚れてしまうほどだ。


「ルンさん、その、いろいろとご迷惑おかけしました。ごめんなさい」


 先手を打って謝った闘司。自分がこの病室にいることで発生した諸々の手続き……面倒事のすべては、カノジョがやってくれたはずだからだ。自分が負傷したことで余計な仕事をさせてしまったわけで……ということを考えれば、謝罪は決して間違っていない。


闘司とうじ様が謝ることなど何もありません。私は仕事をしただけですから」

 主君である風美かざみの背後に立ったルンが、無表情をぴくりとも崩さずに答えた。


 自分の仕事をしただけ。

 そう言われるとは思っていたし、実際、その通りなのだろう。


 案堂の血は流れていないとはいえ、闘司は案堂家の人間であり、使用人としては仕える対象なのだから。諸々の手続きをするのも、仕事の範疇と言われればそう。それに、風美が「病院とのやり取りは任せます」などと指示を出した可能性もある。


 ……とはいえ、申し訳ないんだよなぁ。


 両親を邪使じゃしに殺され、頼れる親族もおらず、子ども一人途方に暮れていたところを、格闘術の指南を受けいていたという縁もあって――道場を運営していたのが案堂家だった。その道場は、将来、邪滅隊や皇国軍を始めとした国防エリートを養成するための特別な私塾でもあった。だから通っている子どもは、闘司を含め、二十人しかいなかった。ちなみに、親友である仁太じんたもその一人である――案堂家の養子となった。


 しかし、自分は「様」なんて呼ばれる人間でも、誰かに奉仕される人間でもない。

 養子ではあるけれど、正直に言えば、自分だって案堂家に尽くす側だ。

 だからいつも、ルンをはじめとした使用人の接し方が、心苦しかった。


 が、今ではもう受け入れている。

 ――様なんて付けないでくささいよ~。

 ――いえ、闘司様も我々の主ですから。

 そんなやり取りは、何度も何度もしてきたからだ。

 使用人たちの頑として引かない姿勢には、闘司が折れるしかなかった。


 だからといって、奉仕に甘んじていいとは、微塵も思っていない。

 自分でやるべきことはやる。使用人たちに何かしてもらったら、ちゃんと感謝を伝える。たとえ今ルンが返したように「仕事ですから」と言われても。

 自分が特別だなんて勘違いするなと、闘司は肝に銘じているのだ。


「明日香さん、ご苦労様です、座ってください」

「ありがとうございます。失礼いたします」


 ルンは、一礼すると、風美の隣の空席に腰を下ろした。

 使用人が主の横に座るなんて!と、上下関係に異様なほど固執する者は思うかもしれない状況だが、ルン自身、案堂家への絶対奉仕の思いがあるから、遠慮することなく座ったのだ。

 風美の指示に対し、いちいち余計なやり取りなどしないのが、カノジョの仕事だから。


「それで、お兄様について、医師はなんて言ってましたか?」

「はい。左手の件で通院は必要ですが、もう目覚めたならいつ退院してもいいそうです」


「そうですか。お兄様、どうしますか? もう退院されますか?」

「そうだな。不調も感じないし、すぐにでも退院するよ」


「わかりました。では、明日香さん、手続きをしてきてください」

「かしこまりました」


 立ち上がったルンが、機敏にまた出入り口へ向かう。

 ドア前できっちり一礼し、すぐに出て行った。


「お兄様。このあとは、どうされます? 家でゆっくりしますか? 私としては、不調ではないとはいえ、倒れたのが昨日のことですし、お休みしていただきたいですが」

「そうだな……でも、学院に行くよ。トーア地区の復興作業に加わりたいからさ」


 風美の優しさは、本当に嬉しいこと。

 でも、邪滅隊の一員として、邪使と戦えないのだからせめて社会の役には立ちたい。

 友人や家族を殺され、家を失い、慣れ親しんだ町は破壊された住民たちが、今、悲哀と慟哭の中にあっても瓦礫の撤去などをしていることを思えば、休むなんて贅沢過ぎる。


「わかりました。実にお兄様らしいと思います。妹として誇らしいです」

「褒めすぎだよ。やれることをやるってだけだし」


 案堂家の次女として、十六歳という若さで国益のために国内外で政治活動をしている風美に「誇らしい」なんて言われても、実力不足に泣きたくなるばかり。嬉しいは嬉しいけれど。


「やれることを自覚し、それを怠らない。充分に素晴らしいことですよ」

 風美が微笑む。優しい笑みだ。

「そうかな」

「はい、そうです」


 この義妹は、随分と甘やかしてくるからな。

 世間一般的に、やれることを怠らないというのが本当に素晴らしいかは、不明だ。


 とはいえ、「そんなことないだろ」とも言わない。

 言ったところで、「そんなことありませんよ」と、カノジョは返してくるだろうから。


 闘司を心から慕い、信じている風美は、甘やかす言葉を覆しはしない。

 邪滅隊じゃめつたいの一員として大した活躍もできず、独学で政治や交渉術について学んでいるけれど一向に義妹の役に立てそうにない低能で凡人な自分のことを、心から誇りに思ってくれている。


 どうしてこんな義兄を……という思いは、常に胸の内に巣食っている。

 風美の周りには、自分なんて比較対象にならないほどの有能人材がいるのだから。


 自分みたいなヤツを、なんで慕ってくれるのか。

 家族として受け入れてくれているのか。


 子ども一人、守ることができなかったのに……。


 昨日、助けられなかった子どもの顔は、ふとしたときにカレの脳裏を侵す。

 それほどまでに、強烈な心の傷となっていた。


 ……やれることを。早く、やれることを、やらないと。


 心の傷が、闘司を急かす。

 魔眼者まがんしゃでない自分は、避難支援や瓦礫撤去しかやれることがない。

 邪滅隊でなくてもやれることしか、自分にはできないのだ。


 それでも、自分は邪滅隊で。

 邪滅隊であることが、自分のアイデンティティ。

 人のために、社会のためにあることが、生き方なんだ。


 誰でもやれることだとしても。

 人一倍やれば。

 自分で自分のことを少しはマシだと思える。


 やれることをやる。

 怠らずにやる。

 風美に見放されないためにも、頑張らないと。


               ※


 その後、三十分ほどして、ルンが担当医と病院の経営幹部と共に戻ってきた。

 医師の適切な処置を受け、点滴などから解放された闘司。

 経営幹部の媚びを政治笑いで相手していた風美とルンと共に、医院の駐車場へ。

 ルンの運転によって、直接、【イノベント皇立邪滅専科学院】へ向かうのだった。

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