1部1章 無力の戦場6

 恋出咲冴こいでささ

 闘司とうじが密かに目標としている、憧れの人。


 カノジョの艶やかな黒髪に覆われている頭のてっぺんは、闘司の胸元くらいまでしかない。

 隊員として厳しい鍛錬を積んでいるとはいえ、肩は薄く、首は細い。筋肉はしっかりついていても、その両腕は自分と比べればとても華奢だ。胸に触れている拳は、掌で容易く包めるほど小さい。


 そんなカノジョは、隊長として、仁太じんた=ナルミヤと河星かわぼしサアラという魔眼者を率いている。

 比べて、自分は?

 親友があっさり倒した邪使じゃしに、為すすべなかった。

 ただただ、死にかけていた。


 ……情けない。

 一体なんなんだ、自分は。


「――あのぉ、ちょっとぉ~」

 割って入ってきたのは、不満げな声音。


 闘司は右へ……咲冴や仁太たちが走ってきた方向へと、顔を向ける。

 歩いて近づいてくるのは、背の高い人物。

 二つの団子に纏めている金髪に、血管が透けて見える病的なほど青白い肌の女性。

 河星サアラだ。


「なぁに暢気のんきにお喋りしてるのよぉ~。こっちは魔眼神器使いっ放しなんですけどぉ~」


 サアラの左目は、仁太と同じく、常に白目部分の様相が変化している。

 生来の右目のものとは違って、白目があるべきところは、どこかの風景を映している。否。映しているというよりも、風景そのものが眼窩に納まっていると言ったほうが適切か。


 とにもかくにも。

 カノジョと少しでも距離ができるともう何が映っているのかわからなくなるが、近距離で見れば、今、カノジョの左目には、満点の星空があった――のだが、今はもうどこかの村を俯瞰で描写しているようなものに変わっている。


 そんな左目の瞳に描かれているのは、これまた仁太と同じく純白の紋章。

 明らかに普通の人間のものではない眼球。

 魔眼だ。



「ああ、ごめんごめん。あの邪使、ベルの力にまったく逆らえてないからさぁ~。この子の労いを優先しちゃった」


 咲冴の言葉に、闘司の目が魔眼から、サアラの右手に移る。

 手に持っているのは、純白のハンドベル。

 仁太の持つ純白の長槍と同じ、魔眼神器。


 ……やっぱり、急に邪使が動きを止めたのは、あのベルの力だったんだ。

 闘司は、魔眼に、魔眼神器に憧れているからこそ、情報として知っていた。

 サアラのハンドベルが、その音色で邪使の動きを封じられることを。


「でも、そうだね。お喋りは倒してからにすべきだった」


 咲冴が、残っているスライム型の邪使のほうへ、身体を向ける。

 倒す、というカノジョの言葉に、闘司はハッとした。


 ……そうだ。あの子は! あの子はどうなってる!

 オレが助けたい、助けてあげなければならない、あの子は。

 闘司が、スライム型のほうへ、顔を向ける。


 あの子は、まだ、変わらずそのままでいた。

 邪使に頭を包まれたまま、ぶる、ぶるる、ぶるっと不規則に震えている。


 あれは……どうなっている?

 あの子は無事なのか?

 まだ生きているのか?


「……あの……」

「すみません、隊長っ! ボクが敵よりトージを優先したから!」


 闘司の声はとても小さな呟きだった。

 だから、咲冴に答えた仁太に掻き消されてしまう。

 誰の耳にも入らなかった。


「あ~、謝ることじゃないから~。仲間が気になるのは当然のことだしね。じゃ、片付けよろしくね、仁太」

「任せてください!」


 闘司の左手を離す、仁太。

「ッ」離された衝撃で、激痛が走る。健常なときであれば、その衝撃はなんてことのない日常的なものだった。しかし、小指が千切られている今、我慢できずに呻いてしまう。

 その呻き声に、咲冴が顔を向けた。


「あ、待った。やっぱり私がやるよ。仁太はこの子の応急処置してあげて。止血しないで悪ぅ~い菌が傷口から入ってもいけないからね」

「はい! 了解です!」


 仁太が闘司の前に片膝をつく。

 純白の槍を傍らに置くと、その手で自身の腰に装備しているポーチから包帯を取り出し、左手を闘司に伸ばす。闘司の左手を改めて軽く掴み、小指があったはずのところを見て、傷口がもつ生々しい筋肉や骨の惨たらしい断面図につい顔をしかめつつも、包帯の端を宛がおうとする。


 処置の開始を見届けた咲冴が、くるりと振り返り、闘司と仁太から離れていく。

 サアラは、仁太の背後から処置を見下ろし、「うひぃ~、いったそぉ~」と表情を歪ませる。


「ッ、あっ! あのっ!」


 包帯が傷口に触れた瞬間、痛覚を直接刺されたような激痛が全身を巡り、脳味噌がびっくりして飛び上がったかのように、喋ろう喋ろうと思っていた闘司の口から大声が出た。

 でも、それが好都合だった。

 先ほどは聞き流されてしまったことを、今度こそ言えたから。


 仁太が手を止め、サアラは顔を向け、咲冴は足を止める。


「ど、どうした? あ、痛かったか? すまん」

 自分に対する訴えだと思った仁太が、先回りして謝った。


 だが、違う。

 痛かったけれど、今も痺れたような痛みがぶり返しているけれど、そうではない。

 闘司が言いたいことは違う。


「いや、その……あの子、生きてる、よな?」

「あの子?」眉間に皺を浮かべた、仁太。「それって、あの邪使の?」


「ああ」闘司は、再びあの子に目を向ける。しかし変わらず、ぶる、ぶるる、と今もなお不定期に震えているだけ。「あの子、まだ助かるよな? なっ?」

「それは……」


「無理だよ」


 口ごもった仁太に変わってハッキリと告げたのは、咲冴だ。

 咲冴に目を向ける、闘司。

 くるっと振り返った、咲冴。

 再び、向き合う二人。


 闘司の中に、つい先ほどまであった、咲冴から目を逸らす理由であった自己嫌悪の感情が、今はない。カレの眼差しに宿っているのは、縋るような思いだ。

 そんな目を真っ向から受けて、苦しそうな表情だな~と咲冴が思ったことなんて、当然、闘司にはわからない。


「む、無理、ですか?」

 闘司の問いに、咲冴は「うん」と断言した。

「食われたのが手や足なら、患部を失う覚悟で邪使を消せば、そのあとの処置次第になっちゃうけど、命が助かる可能性はある。でも、あの子はもうダメ。やられてるの、頭だから」

「そん、な」


「……キミ、ああなっちゃう前のあの子と、関わりがあったんだね?」

「背負っていたんです」告げる口は、震えた。一人で泣いてて、シェルターに連れて行く途中、でした」


「そっか。それは、苦しいね」

「……本当に、ダメ、なんですか」

「うん。私たちにしてあげられるのは、あんな醜い姿から早く解放してあげることだけ」

「そう、ですか……オレの、せいでっ」


 オレのせいで。

 そんな言葉、言おうと意図したものではなかった。

 芽生えたあまりに強烈な自己嫌悪が、闘司の声帯を震わせたのだ。


 顔が歪む。

 どこかに目一杯、力を入れたくなった。奥歯を噛み、右手を握り締める。

 ある意味では、自傷行為と言ってもいいものだった。


 自分は苛まれるべきだ。

 だから痛めつけないといけない。

 そんな感じの、一連の自問自答の結果の、自傷のような行為。


「責任、負わなくていいんだよ?」

「……え?」


 力の抜けた、目も鼻の穴も口もポカーンと開いた、だらしのないアホ面になった闘司。


「責任は私が負うからさ。キミは、負わなくていい」

「え、や、でもっ! あの子が襲われたとき、オレは一緒にいたんですっ! あの子を守れなかったのは、オレなんですっ! オレに力があればっ! あの子は無事だったんですっ!」

「うん。だから、だよ。キミは魔眼者じゃないから」

「……え?」


「何かに責任を負うべきなのは、その何かをどうにかすることができる手段が、力がある者だけでいいって、私は思うの。だから、邪使絡みの責任は、すべて魔眼者が負うべき」

「……え? え? や、でもっ! オレだってっ邪滅隊ですっ!」

「そうだね。でも、魔眼者じゃないでしょ? 魔眼者じゃないなら、隊員であろうと、邪使は殺せない。だから、いいんだよ。殺せないキミは責任を負わなくって」


 反論しようと、闘司は反射的に口を開いた。

 でも、言葉は出てこなかった。


「殺せる力のある私が、力のないキミのぶんも負うから。任せてちょ~だいな!」


 ニカッと、咲冴が笑う。

 とても愛らしいものだった。

 邪使に対する恐怖で疲弊した民衆の心に少しでも希望を灯すため、アイドル活動もしているカノジョの笑顔は、性別も年齢も問わず見惚れてしまうようなものだ。


「……ハ、ハハハ」


 闘司も笑う。

 つられて、笑ったのだ。

 でも、その笑みは前向きなものではない。


 泣きそうになっている、とカレは自分の変化に気が付いていた。

 気を緩めたら涙が溢れてしまう、と。

 だから、誤魔化すために笑ったのだ。


 憧れの咲冴の可憐な笑顔も、視界に映っているだけで、見てはいなかった。

 心は、ただただ、無力な自分にだけ向いていた。

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