1部1章 無力の戦場5
鐘の音。
そして動かなくなった、
……これは、
自分も同じように戦いたいと、強い憧れを抱いている闘司のような者であれば、尚更。
……ということは、だ。河星さんだとして、カノジョがいるということは。
薄れゆく意識の中に、親友の顔が浮かぶ。
「――トージ! 生きることを諦めるなああああああああ!」
声がした。
親友の、声が。
熱いものが胸に芽生える感覚。
次の瞬間、純白の一本線が、闘司の正面側、五十メートルほど離れたところから伸びてきた。
それは、まさに閃光。
その、宙を裂いて伸びてきた純白の光は、触手邪使の球体ボディを貫いた。
続けざまに一本、二本、三本と迸ってきた純白の閃光。
球体ボディがズタズタに貫かれ、触手を両断していく。
解放された闘司が、地面に落ちていく。
無様な着地はしたくなくて、両足でちゃんと道路上に降り立った……つもりだったけれど、下半身に上手く力が入らず、尻もちをついてしまう。
「トージ! トージ、大丈夫か!」
正面から聞こえてきた親友の声。
近付いてくる、複数の、リズムの速い足音。
闘司は咳き込みながら、ふらつきながら、それでも立った状態で迎えようと――こんな状況であっても、プライドというか、そういうものがカレにそうさせた――体勢を立て直す。
プルプルと小刻みに震える両足で、引きずるようにして少しでも邪使から距離を置こうと後退する。せっかく助けてもらったのに、またすぐに攻撃を受けてしまうような無様な真似はしたくない。
ボッ、ホッ、ボホッ、ボ。
ピシッピシッ――
不規則な、ぶつ切りの鳴き声を上げていた触手邪使の球体ボディに、突如、大きな亀裂が入った。そこを主根にし側根が生えるように、細かな罅割れが生じ始める。 細かく、細かく、ピシピシと氷の中で気泡が弾けるような音を上げながら。
亀裂は、罅割れは、裂傷は、球体ボディだけに留まらず、触手の根本を蝕み、走り、先端まで広がっていく。
そして――破裂した。
球体ボディが破れた、その刹那、すべての触手も一気に砕け散った。
咄嗟に、闘司は顔を背け、さらに腰も大きく捻る。
ボトボト、バシャバシャと、触手邪使を構造していたものがカレにぶつかった。
衝突が鎮まったところで、体勢を元に戻す。
赤黒い肉片が、赤黒い液体が、辺りを激しく汚していた。
死んだ。
あの触手邪使は、死んだのだ。
純白の閃光に貫かれ、切断され、消滅したのだ。
「……くせぇ」
本当に、人間の死んだすぐ後と、同じ臭いがするのか。
邪使に関して学んできた中で、知識として理解してはいた。
邪使の新鮮な死体が、人間が死んだすぐ後と同じ臭いがする、ということは。
けれど、実際にこうして体験することは、初めてだった。
これまでに一度も、邪使の死体に、邪使が殺されるところに、出くわしたことがなかったのだ。
……でも、人の死体より、鉄臭さが、血の臭いが、強いな。
出来たてホヤホヤの人間の死の臭いなら、悪夢にも見なくなるくらいに嗅いできた。
だからこその、違和感。
人間の死よりも、邪使の死のほうが、血の臭いが濃いと感じる。
※
「――おい、無事か!」
すぐ傍で聞こえた声に、道路を汚している邪使の体液……赤黒い液溜まりを凝視していた闘司は、ハッとして、顎を下からピンと弾かれたように顔を上げた。
「……
いつの間にここまで来ていたのか、仁太=ナルミヤがすぐ傍にいた。
闘司よりも五センチほど高い身長。
白と青を基調にした同じ隊服に包まれている逞しい肉体は、厚い胸板と八つに割れた腹筋が自慢。既製品の服で合った物を探すのが難しいほどの長い脚。
髪は、ベリーショートで、ワックスを使ってガッと立ち上げられている。
髪色は紫というよりは濃紺に近いけれど、紺という言葉が相応しいかといえば微妙である暗さ。
顔立ちは、涼し気。
切れ長の目に、筋の通った鼻、薄い唇。
本人は鼻の下に小さなホクロが一つあることを気にしているが、他人からすればそんなものどうでもいいと思えるくらいの美男子。
澄ました表情をしていると似合い過ぎて腹が立つくらいなのに、
……魔眼。
親友の両目は、左右で、様相が異なっている。
オッドアイ、というものではなくて。
左目に、魔眼の紋章が現れているのだ。
右目は、生来のものだ。
虹彩は焦げ茶色で、瞳は黒い。
一方、魔眼を発動している左目は、虹彩も瞳もなくなっている。
それどころか、眼球というものすら、なくなっている。
代わりに眼窩に納まっているのは、どこかの風景だ。
風景は、常時、揺らぎ、移ろっている。
あるときは、どこかの古代遺跡が視え。
あるときは、どこかの澄んだ青空が視え。
あるときは、どこかの家が視え。
あるときは、どこかに立つ、誰かの後ろ姿が視える。
その風景が何か、どこを映しているのかは、魔眼というものがこの世に顕現してから様々な研究がおこなわれているも、これだ!という結論は出ていない。
もっとも有力なのは、神域を映しているというものだ。
我々人類が邪使に打ち勝つための力が、魔眼であり魔眼神器。
それは、つまり、人類にとっての唯一神である、アクセル神によるもの。
だから、魔眼に視えるその風景は、きっと、アクセル神がおわす神域なのだ、と。
そんな、神域かもしれない風景を映している左目には、純白の紋章も現れている。
虹彩が風景となり。
瞳が紋章になっている。
それが、魔眼。
……魔眼神器。
闘司は、親友の魔眼から、親友が手にしている純白の武器へ目を移す。
その純白は、仁太の身長を優に超える、長い槍。
見ている限りは、ただの槍だ。長いだけで、貧相にすら見える。
正直、アサルトライフルのほうが、見た目だけはよほど複雑な構造で。
複雑さが兵器としての威力に比例すると断言できるわけではないが、人の理解の範疇にある人が創造できるものは、大概、細かい造りのほうが強いもの。
でも、この一見すれば単純な、揶揄するように言えば真っ白な鉛筆のような槍は、アサルトライフルという人類の叡智の結晶を遥かに凌駕する。
というか、比較対象にすらならない。
魔眼神器だけが、人類の最大の脅威である邪使を殺せるのだから。
「ッ」
ふと、ざわつく胸の内。
ざらりとした何かで撫でられたような、不快感。
……ダメだ!
湧いた感覚を、意識的に掻き消す。
独りのときなら、抱いてもいい。
向き合い、いくらでもウジウジしたっていい。
でも、仲間がいるときは、ダメだ。
ましてや、そこにいる仲間を見て抱くなんて、ダメすぎる。
どうして自分じゃないんだ……。
そんな嫉妬は、最低の、醜いだけの感情だ。
「どうした! ボーッとして、平気なのか! 負傷してるのか!」
仁太にガシッと左肩を掴まれ、思い切り揺さぶられる闘司。
「いっ、たたたっ、痛い痛いっ」
「あ、すまん!」パッと、仁太が揺するのをやめる。「どこが痛いんだ?」
「……左手」闘司は、痺れて動かしづらい左手を、胸元に挙げる。「小指、やられた」
邪滅隊では、戦場において負傷を隠すことは、愚かなことだとされている。
隠すことによって治療が遅れれば、悪化し、それが原因で命を落とす危険性があるから。
負傷した者だけでなく、同じ隊の仲間まで危険に晒すリスクが高まるから。
負傷していることを自覚しているのなら、傷の箇所、痛みの程度、健常なときと比較した現在の身体能力の具合など、分析し、伝えられることは包み隠さず報告することが、生きて帰る確率を上げることなのだ。
「なっ……止血! すぐにするぞ!」
仁太が血相を変えて闘司の左手を掴んだ。
「バッカ! だからイテェってば!」
反射的に闘司は不満と怒りの声を上げた。
そのとき。
ひょっこりと、仁太の背後から顔が一つ出てきた。
目が合い、闘司は息ができなくなる。
背筋がシャンと伸びた。
※
……わかっていた。仁太が来ているのなら、あの人もいることは。
事前の作戦会議で、どれほどの魔眼者が、魔眼者だけで組まれた部隊が参戦するのかは、全隊員に伝えられる。
魔眼者でない隊員たちの戦意を、少しでも高揚させるためだ。
同じ戦場で戦う魔眼者の数が多ければ、それだけ、隊員たちの希望にもなる。
逆に少なければ、それはそれで、魔眼者がいないのなら自分が民間人を救わなければと、覚悟を決めることにもつながる。
今回の闘司たちの隊での個別作戦会議では、まず最初にその話があったくらいだ。
部隊長から「今日は戦況の悪さに比べて、魔眼者が少ない! だからオレたちが人々を救うぞ!」と。
熱血に意気込みを語って鼓舞してくれたその隊長は、真っ先に死んでしまったけれど。
とにかく、作戦会議ではそういった話をするから、闘司も知っていたのだ。
カノジョが、この戦場にいることは。
とはいえ。
知っていたからといって、実際に会ったときの衝撃というか感動が薄れるわけではない。
緊張感。
邪使と接敵したときのような恐怖や不安といった攻撃的なものはまったくない、心地好さに近いようなものを含んだ緊張。
まったくもって戦場に相応しくない感情だ。
けれど、どうしようもなかった。
強烈に憧れている人との出会いは、舞台がどこであれ、どういった状況であれ、感情を震わすものなのだから。
「
ニコッと微笑んだ憧れの人は、両足揃えてぴょんと、仁太の背後から全身を露わにする。
「よく、頑張ったね。生き残れて、ほんっと、偉いぞ」
カノジョは一歩前に進むと、トンッと、右拳で闘司の胸の中央を叩く。
強かった。
叩かれた力が、という意味ではない。
では何が、というものは、自分で思ったくせに説明できない。
できない、けれど……どうしようもないくらいに、強いと、思ったのだ。
闘司は、俯く。
恥ずかしくなって、目を合わせていたくなかった。
こんな無様な自分を、この人に見られたくなんてなかった。
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