1部1章 無力の戦場3

 最寄りのシェルターは……一番近いシェルターは、どこだった?

 脳内地図を開く。

 答えはすぐに出た。


 ここから、しばらく、直進。

 四つ目の十字路を、左折。

 そこからまた直進。

 五つ目の曲がり角を、右折。

 再び、直進。

 広い交差点に出るから、そこを左折。

 そして直進すれば、到着だ!


 各都市の、各地域の、シェルターや役所などの要所の位置や、ハイイロとの戦闘に活かせそうな施設の有無を暗記しておくことは、邪滅隊じゃめつたいに所属する者として欠かせない。


 だから隊員たちは……高額な給料やその他諸々の手当を得る目的でなく、純粋に国を、人類の未来を守りたいという正義の心で入隊した隊員たちは、日頃から皇国全土の詳細地図を見て、いついかなるときでも宙に自分だけの地図を描けるように、記憶領域を刺激している。


 闘司も、そうした真面目な隊員のうちの、一人。

 だから、道は間違えない。


 ……ハイイロに襲われなければ、大丈夫。この子は守れる! でも。


 大丈夫と念じても、まったく打ち消すことができない不安の正体は、ついさっき仲間を殺した邪使の存在。

 守るべき者ができたからこそ、ソレが気になって仕方なくなった。


 ……クソ。足を動かせ、足を!


 考えるな、というのは無理だ。

 考えてもいい。不安でもいい。

 だけど、足は止めるな。

 とにかく走れ。

 前だけを見据えて、呼吸を乱しながら、全力疾走するんだ。


                         ※


 いつの間にか、ずっと聞こえていた子供の泣き声が止んでいる。


 駆ける道に、人はいない。

 悲鳴も聞こえてこない。


 火災の爆ぜる音と、少し離れたところで断続的に発生している爆発音――魔眼者のいる部隊とハイイロが戦っている音か?――だけ。

 鼻を突くのは、焦げ臭さと死体の臭気ばかり。


 無残な有様。

 でも、自分は子供を……人類の未来を、国の宝を背負っている。


 絶望の中の、紛れもない、希望だ。

 守らなければならない、絶対に。

 絶対に。


 ――キュヒヒ。


 不意打ちだった。


 ゾッと、全身の産毛が逆立つ感覚。

 怖気が、血流に乗って駆け巡ったような、凍え。


 背後で、耳元で、いきなり鳴き声が……笑い声がした。

 人間のものではない、笑い声が。


 自分が今どういう状況に置かれているのかまだ把握できていないため、闘司は足を止めることなく、意を決して、首だけ捩じって振り返る。

「――――」

 驚きと恐れの入り混じった感情が、声にならない悲鳴として口から出た。


 背負っている子供の。

 頭が。

 なかった。


 小さな頭をスッポリと包むようにして、スライムやアメーバのような、粘着質の、液体のようだけれど明らかに動物的な要素を備えている物体が、うぞぞぞと蠢いている。

 それは、どこもかしこも、赤黒い。

 赤黒さ以外の色素を、ひとつも持っていない。

 赤黒いだけの、化け物。


邪使じゃし

 人類共通にして、人類最大の敵。


 闘司の中に、驚愕や恐怖といった感情を掻き消すほどの熱い感情が、ドッと湧きだす。


「うあああああああっっっ!」

 子供の太腿裏を支えていた両手でアサルトライフルを握り、背筋を使って子供を弾き飛ばすようにして自らの身体から剥がしながら、引鉄に指を入れる。

 踵を支点にクルッと鋭く振り返り、照準を化け物に定めて、引鉄を絞った。


 ババババババババッッッ!


 炸裂音と火薬臭を撒き散らしながら、弾丸という人工物が勢いよく放たれる。

 弾丸は、すべて、赤黒い化け物に的中。

 止めることなく、引鉄を絞り続ける。


 ――キュヒ、キュヒヒ、キュヒヒヒヒ。


 再びの、笑い声。

 クソ。ちくしょう。

 不愉快、極まりない。

 なに、笑っていやがる。やめろ。やめろよ。笑ってんじゃねぇよ。

 弾丸を食らってるんだぞ。もっと無様な声を上げろよ。痛がれよ。苦しめよ。


「あああああああああああああああああああああああああッッッ!」

 大口を開け、怒り、憎しみ、嫌悪、殺意……胸に、腹に溜まっている峻烈な感情を吐き出す思いで叫びながら、引鉄を絞り続ける。

「死ねっ! 死ねよっ! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇぇぇええええ!」


 ババババババババババッ、シュゥゥゥ。


 弾切れ。

 銃口から上がる白煙は、全力疾走をした後の人間の荒い吐息のようだ。

 撃ち始めてから、弾倉が空になった今このときまで、時間にしてまだ数十秒のこと。


 闘司の背から弾かれ、宙で弾丸の嵐を受けていた邪使が……邪使に頭を包まれた子供の身体が、ここでようやく道路の上に着地する。


 ピィンと、力強く張っている華奢な膝。その身体は、よろめくこともなければ、辛そうな、苦しんでいるような素振りもない。


 頭部を包む邪使も、辛さ、苦しみ、痛みとはまったく無縁な様子だ。赤黒い色の、出来たてのわらび餅のような、生コンクリートのような、半分液体で半分固体のボディには、傷一つなく艶やかなままだ。


 あれだけの銃弾を食らったにも関わらず。


「クソ、クソックソックソッ!」


 わかっていた。

 弾丸なんて効き目がないことくらい。


 人工物では……人間が造り出せる武器では、ダメなのだ。

 邪使という脅威には、ダメージを負わせられない。

 わかっていたさ、そんなのこと。


「チクショウ! クソックソッ、クソがぁぁぁあ!」


 それでも。

 腰のポーチに手を伸ばす。

 弾倉を交換するために。


 戦わない、という選択肢はないから。


 あの子供がまだ生きているのかは、正直、わからない。

 頭部はどうなっているのだろう。

 邪使は、人間を含めたこの星の動植物を捕食する。

 だから……もう、頭は食べられているのかもしれない。


 けれど、まだ死んでしまったとは、限らない。

 邪使は、個体差はあれど、人を弄ぶものが多い。遊び道具のように使い、わざと時間をかけて殺すクソ野郎も少なくない。


 あの邪使が、どういうタイプかは、不明だ。

 でも、生きている可能性が少しでもあるのなら、自分は戦う。


 もし……時すでに遅しだとしても、少しでもキレイな身体であの子を供養してあげるために、自分は戦う。

 魔眼が、魔眼神器が使えなくても、オレは邪滅隊の一員なのだから。


                         ※


 ――キュヒ~、キュヒヒ、キュ~ヒッヒッヒ。

 うざったい鳴き声を上げる邪使が、ボコッと大きく膨れ上がった。


 なんのための変化なのか、わからない。

 何が起きる予兆なのだろうか。

 何はともあれ、尋常なことではないだろう。


 闘司は、ポーチの中にある数種類の弾倉のうち、もっとも高価で、邪滅隊の本部からは費用がかかるから極力使うなと命じられている、殺傷能力の高い炸裂弾の込められている弾倉を引き抜く。

 空の弾倉を銃本体から外し、新しい弾倉を装填――


 ギュガァァァァァアアアアアアッッッッッ!


 ――できなかった。

 反射的に、本能的に、身が竦み、手から弾倉を落としてしまったから。


 突然、とんでもなく暴力的な咆哮を上げた邪使。

 その、風船のように膨れ上がっている丸い部分に、巨大な口が現れている。

 ボディと同色。それでも凹凸や形状などで、口だと……無数の牙がある口だと、ハッキリわかった。


 本当に、なんだ。

 いきなり、何がどうしたっていうんだよ、クソ。


 それまでの余裕ぶった、笑っているような鳴き声とは違う、激しく怒っているような咆哮だった。だが、何にキレているのか。何が気に食わないというのか。


 いや、考えても仕方ない。

 とにかく早く、弾倉を!


 ――ギュガ! ギュガガ! ギュガガゴオ!


 猛り狂ったように喚きだした邪使から一瞬でも目を離したくないが、足元を見ずに探っても弾倉に指が当たらなかった。


 仕方なく、チラッと素早く、どこにあるのか視線で探す。

 地面で弾んだのか、滑ったのか、弾倉は一メートルほど離れたところにあった。


 左手を伸ばす。

 弾倉に、指が、触れ――

「ッ」

 ――る直前、突如、ビクンと、全細胞が痺れたような感覚に襲われた。


 左手の小指を、ギュッと握っている、赤黒い色の細長い物体。

 細長いけれど、ソレが手だと、ひと目でわかった。エノキ茸の笠の部分が、五本の指のようなものになっている形状だから。


 闘司の、白と青を基調にした隊服に包まれた全身から、新鮮な冷や汗がドッと噴き出す。


 これは、なんだ。

 なんだって、なんだ? 

 何が起きている?

 

 混乱。

 突然のことに思考がバラついてしまう。


 目で見えている赤黒いソレが何かなんて、考えるまでもないというのに。

 だって、赤黒い、のだから。


 ――ボォォォォォオン。


 音がした。

 すぐ、傍から。

 すぐ、左側……左斜め前あたりから、重く低い音が。

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