第8話 穏やかな朝!~薫視点~
ラパンとエポンが大騒ぎし家の人にバレそうになっていたその頃……薫はドキドキしながら、私立神尾南第三中学校に向かっていた。
家から歩いて行ける位置にあるその学校は南区にある私立校である。今回伯父家族からの金銭的支援もあり、引っ越してきた事情の二の舞にならない様に公立ではなく私立を選んだのだ。
私立特有のオシャレな制服が薫の緊張を増加させていた。
(挨拶練習しようと思ってたけど、アンジェストロの事とかで色々あって結局できなかったんだよなぁ…)
制服の上着のポケットから、四角く畳まれた小さな紙を取り出す。
その紙を開くと、薫の自己紹介が手書きで書いてあった。
”初めまして、N県から引っ越してきました天土薫です。こちらには親戚はいますが、友人がいないので、皆さんと仲良くできると嬉しいです”
簡潔だが、とにかくわかりやすさを重視した自己紹介だ。きっと、クラスの人たちも皆薫の事を知りたいと思うだろう。
自分の名前と友達がいない事しか書いていないのだから。
小さな声で、ボソボソと読んでみて少しでも練習をするが、緊張している中でやっても頭に入らない。
そうしているうちにいつの間にか、周囲に自分と同じ制服を着た人が増えてきていた。
(わ、わぁ……皆なんだか頭が良さそう……)
自分も転入試験に合格が出来たのだから、そこまで大きく学力に差があるわけではないのだが、薫は周囲の学生たちが自分よりも偉大な存在に見えてきていた。緊張もここに極まれりといったところだ。
結局大した練習もできず、緊張も解けないまま学校に着いてしまった。
ゾロゾロと校門をくぐっていく人の波に流れる様に歩いていく薫。心臓はバクバクと音をたてて脈打っている。
これはさっきとは別の緊張だ。身体が強張っており、無意識に歩く速度が遅くなっていた。
(大丈夫……大丈夫……)
何度も何度も心の中で自分の中に言い聞かせて、校門をくぐり校内に入る。
一旦入ると更に心臓が大きく脈打ち、段々と周りの音が聞こえなくなってきていた。
薫も、このままではマズいと思っていてもどうしようも無かった。
とにかく、登校したら職員室へ来てと言われているのでそこを目指す事にする。
転入試験や入学の相談などで、何度か神尾南第三中学には訪れた事があり、職員室の場所はわかっている。
早歩きで校舎へ向かっていると、ふと後ろから声をかけられた。
「お~い、貴方転入生だよね~」
「えっ!?だ、誰ですか!?」
薫は驚いて後ろを向くと、真っ赤なジャージに身を包んだ大人の女性が手を振りながら、こちらに小走りで向かっていた。
彼女は豊川涼香。神尾南第三中学校の国語教師だ。そして、転入してきた薫のクラスの担任も務めている。
豊川先生はもしかしたら職員室の場所が分からないかもしれないと思って校門で朝早く校門近くで待機していたのだ。
校門からずっと、声をかけてくれていたのだが、薫は緊張と恐怖で、心音が大きく聞こえ、周囲の音が耳に入らなくなっていたために気づかなかったのだ。
「あぁ、驚かせちゃってゴメンね?私この学校の先生の豊川涼香って言います」
「あ、あ、天土薫…です…その……転入生です…」
「よかったぁー!ちょっと険しい顔してたけど大丈夫?無理しないでいいからね」
豊川先生は薫が名乗るとホッと胸を撫でおろした。しかし薫が転校してきた事情を知っているため、心配もしていた。
薫は豊川先生の気遣いを嬉しく思い、やはりここでやり直せると心の中で、そう思った。
「だ、大丈夫です。はい…!」
「そう?天土さんがそう言うならわかった!でも本当に無理はしないでね?何かあったら何時だって頼ってくれて良いんだから!っ!ゴホッゴホッ…」
自分の胸をドンッ!と叩き、咳き込んでしまった。
薫はそんな先生に駆け寄り背中をさする。果たして背中をさする行為に意味があるのだろうか?そんな風に思っていた。
この時は気づいていなかったが、薫はいつの間にか感じていた重い緊張が解けていたのだった。
その後職員室で、豊川先生から自分のクラスと出席番号。今日の予定と、明日以降の時間割が書いてあるプリントを貰った。
今日は始業式で、薫は体育館の一番後ろで話を聞くそうだ。その後に教室へ移動して転入生の紹介となるらしい。
豊川先生からは緊張するなら、いつの間にか教室にいて、クラスの自己紹介の最中にサラッと先生から紹介してもいいよと言って貰えたが、それくらいは自分で頑張りたいと断った。
体育館では私立高ならでは…と言っていいのか、とても広い室内に少し驚きつつも、校長先生の話や、生徒会長の話などを聞いた。
(PTA会長の話面白かったな……)
などと思っている内に始業式は終わり、豊川先生に連れられて教室へ移動していく。この時何だかんだ他の生徒からチラチラと見られていたのだが、先生からの説明を聞く事に必死になっていた薫は気づかなかった。
今日の薫はとても鈍感だったと言えるだろう。
数分後、教室前の廊下に立ち、豊川先生から案内されるまで待機となった。
(ど、ドキドキ…してない!?あれ?かなり緊張してたと思ってたんだけど……急に落ち着いてる…?)
自分の心に困惑していると、教室から豊川先生が呼ぶ声が聞こえた。
「天土さん、どうぞー!」
とても簡素な呼びかけだ。
だが、薫にとってはそれでよかった。
この少し雑な感じで、彼女の新たな学校生活がスタートするのだ。
少し踏み出して、教室のスライドドアに手をかける。
(ここなら大丈夫……もう、怖い人なんていない。やり直せる…よし!)
この学校には彼女を痛めつける者も、傷付ける者もいない事を願いながら……勢いよく扉を開けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます