襲来する継母と異母妹

 次の日は土曜日だったので学園は休みだった。


 休日と言えどもアランの朝は早い。


 日が昇ると同時に起きて屋敷の庭に生えている植物の水やりと手入れ、厩舎にいる馬の餌やり。それが終わるとクロエと共に屋敷の掃除と点検。その後はクロエが朝食を作っている間にシャーロットのスケジュールの確認や経理などの事務作業をこなす。


 専属執事とは言いつつ、その実態は本来分業である使用人の仕事を全てこなさなくてはならない総雑用執事…とでもいえばいいだろうか。


 彼がようやく食事にありつけるのは主人であるシャーロットが朝食を食べ終えた後だ。


 使用人室で本日の朝刊を読みながら朝食のサンドイッチにかぶりつき、スープと共にそれを喉に押し込む。


 朝刊の一面には気になる記事が載ってあった。


『最近、王国内にて急に人が発狂する事態が多発』


「物騒だな…」


 それによると最近国内で人がいきなり叫び声をあげながらその場で倒れたり、通行人に襲い掛かったりという事件が多発しているという事だ。


 王都も例外ではなく、今月だけで6件も起こっている。


 国王はこれを受けてこの事態の調査を命じたようだが、依然発狂の原因はよく分かっていないらしい。


 アランはシャーロットの予定をもう1度確認して眉をひそめる。彼女は本日王都の商業区へ外出する予定になっていた。そこは朝刊に載っていた発狂事件が起こった場所と近い。


 アランは朝食を食べ終えると、食器を厨房にいるクロエの元に返したのち、シャーロットの部屋に向かった。主人の安全を考えて予定の変更を提案するためだ。


 仮に発狂した人間がシャーロットに襲い掛かってきたとしても、全力で守り通すつもりでいるが、わざわざ危険な区域に赴く必要もあるまい。


 東洋には『君子危うきに近寄らず』という言葉があると聞く。


 シャーロットが本日商業区に行く理由はなので、絶対に今日行かなければならない用事でもない。ここはしばらく様子を見て、事件が解決した後に商業区に赴いたとしても問題ないと思われる。


 そう思ったのだが…。


「予定の変更はないわ」


 アランの提案に対し、シャーロットはピシャリとそれを拒否した。


「そこら辺の一般人ぐらいアランの敵じゃないでしょう。だから私は何の心配もしていないわ」


「しかしお嬢様、わざわざ危険な中行かなくても…」


「くどいわよ」


 自分を信頼してくれているのは嬉しい。だが執事として主人を危険な場所へ行かすのは憚られた。


 2人がそんな問答を繰り広げていると、ふいに屋敷の外が騒がしくなり始める。シャーロットは何事かと部屋のカーテンを少し開け、屋敷の玄関先を覗き見た。


「…あのクソババアが来たようね」


「伯爵夫人がですか!? ですが我々は本日来られるとも何も伺っていないのですが」


「どうせクソババアの気まぐれでしょ」


 「クソババア」とは現在の伯爵夫人…シャーロットにとっては継母に当たる人物の事だ。名を【マーシア・ルーア・マドレーヌ】という。今まで散々シャーロットに嫌がらせをしてきたので、彼女は親しみを込めてそう呼んでいた。


 アランもカーテンの隙間から外を見る。確かに伯爵夫人とそのお付きの者たちが屋敷の前に馬車を止め、続々と降りてきていた。クロエがそれに応対している。


「私も行ってきます」


「あんなの放っておけばいいのよ」


「そういう訳にも参りません。我らが応対しなかった場合、お嬢様に夫人のネチネチが飛ぶ事になりますので」


「フンッ」


 一気に不機嫌になったシャーロットをしり目にアランは部屋を出てクロエの助太刀に向かった。



○○〇



「奥様、ようこそいらっしゃいました。本日もご機嫌麗しゅう…」


「あらやだ、アランじゃないの。平民メイドの次は平民執事だなんて…この屋敷に使用人は平民しかいないのかしら? 高貴な私を出迎えるにはふさわしくなくってよ。あっ、そういえばあの子には平民の使用人しかつけていないのだったわ。そりゃ平民しかいないわね。オーホッホッホッホ!!!」


 皮肉たっぷりにカン高い声で笑いながら、ドスドスと夫人が屋敷の玄関をくぐる。


 久々に拝見した夫人は服の上からでも分かる程でっぷりとした腹を抱え、ドギツイ香水の匂いをさせていた。別に妊娠している訳ではない。ただ単に食べ過ぎで太っているだけだ。


 豚が服を着て歩いている…とアランは一瞬思ったが口には出さなかった。


 今はこんなんでも昔は美人だった。年を追うごとに、小汚い豚にメタモルフォーゼしていったのだ。


「あらかじめ来訪をお伝えいただければ、お出迎えの準備を致しましたものを…」


「それだとお前たちがちゃんと仕事をしているか抜き打ちチェックできないじゃないの。だからわざと便りをださなかったのよ。どれ、掃除はちゃんとやっているのかしら?」


 夫人は近くにあった机の上を人差し指で「つー」っと撫で、指の腹を見た。


「フン、掃除はちゃんとしているみたいね」


 彼女は心底つまらなさそうな顔でそう吐き捨てた。もしそこに埃が溜まっていた場合、彼女はさも愉快そうな顔でアランとクロエを叱りつけただろう。


 数年前、領地の伯爵邸に居た頃は随分彼女からネチネチと嫌味を言われた。その時の事を学習して抜かりはないようにしてある。


 それにいつ誰が来訪しても良いよう、また主人のシャーロットが快適に過ごせるよう屋敷の手入れをするのが使用人の務めだと思っていた。


「お褒め頂きありがとうございます」


 褒められているとは全く思っていないが、一応雇い主の奥方なので礼の言葉を忘れずに述べておく。


「これくらいは出来て当然よ。私の寝室の方は整えられているのかしら? 今度はそっちのチェックよ」


「もちろんでございます。いつ伯爵家の方々が来訪されても問題ないように整えてあります」


「本当かしらねぇ? おいお前たち! 荷物を私の部屋に運びなさい」


 夫人が自分が連れてきた使用人たちにそう命令する。屋敷の外に留めてある馬車の中からメイドたちが大量の荷物を運び出していた。クロエもそれを手伝っている。


「そうそう、アラン。私たちしばらくの間ここに滞在するからね」


「…かしこまりました」


 アランは心の中で舌打ちをしながら承諾の意を示した。ただでさえ今は大変な時なのに、めんどくさい連中が来てしまった。


「ではお部屋までご案内いたしま…」


「アラン、久しぶり!」


 夫人を部屋までエスコートしようとしたところで、何者かがアランの背中に抱きついた。


 彼女も来ていたのかとアランは振り返った。


 母親と同じく青い髪。その綺麗な青髪を左側でサイドテールにまとめている。容姿も母親が美しかった時のものを受け継いでいた。


 アランは抱き着いてきた人物の腕を優しく振りほどくと、その人物に挨拶をする。


「アリシア様、お久しぶりでございます。しかし淑女たるもの、いきなり誰彼構わず抱きつくものではございません」


「誰彼ではないわ、ちゃんと相手は選んでいるわよ」


 アランに抱き着いてきたその人物は【アリシア・ルーア・マドレーヌ】。当主ラッセルとマーシアの娘。シャーロットの異母妹である。異母妹の方は母親とは違い、シャーロットに対して敵対心を持っていないのが救いだった。


 シャーロットとは3歳差であり、来年から貴族学園に通う事になっている。ちょうど入れ違いになる形だ。


 彼女は昔からアランにこうやって親し気に絡んで来る。まだ幼い頃のままのつもりで自分に絡んできているのだろうとアランは思っていた。


 しかし使用人と貴族という関係上、またアランはシャーロットの専属執事という関係上、できればやめて欲しい行為であった。


 もしこの場面をシャーロットに目撃されると、ただでさえ不機嫌な彼女の機嫌が更に悪くなる。


「部屋までエスコートをお願いね、アラン」 


「かしこまりました」


 アランは夫人とアリシアの2人を部屋まで案内した。


 この2人の世話をしながらブルースとベルの浮気の証拠を掴む。かなり骨が折れそうだ。だが、なさねばならぬのだとアランは自分に渇を入れた。



◇◇◇

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