アンエクスペクティッドエンカウンター
ブルースの浮気相手が判明した。あとは2人が浮気しているという物的証拠を押さえなくてはならない。
この国の裁判で主に浮気の物的証拠として扱われるのは愛がささやかれた手紙やプレゼントの類だ。
そのような物があるとすれば彼らの自室だろう。もちろんそれらが絶対に存在するという保証はない。だが存在する事にかけるしかなかった。
またまた不法侵入する事になってしまうが、彼らの部屋に忍び込んで証拠を押さえるのだ。仕方がない。主人と自分の一族のためである。
放課後、アランはまず学園の敷地内に建つ貴族寮の方に目を向けた。
比較的金銭に余裕のある貴族は王都に別邸を持ち、そこから学園に通っている。しかし貧乏な貴族はそんなもの持っていないため、学園が運営する寮に住んでいる。
ベルは実家がそれほど裕福ではないため、寮住まいだった。部屋は貴族寮5号館、4階の3号室。
これは生徒名簿から得た情報だ。
アランは学園の廊下を歩きながら、どう侵入するかを思案する。流石に貴族寮に不法侵入した経験のある友人はいなかったので、自分で方法を考えなくてはならない。
…忍び込むなら授業中がベストか。
授業中なら確実にベルは部屋にいないし、寮内に人も少ないので忍び込んだアランの姿を目撃される可能性は低い。後は侵入経路、逃走経路のチェックも重要だ。
「わわっ、うわっ!」
彼がそんな事を考えながら歩いていると、突然目の前でメイドの女の子がツルリと床で滑ってこけた。それと同時に彼女が手に持っていた大量の本が床にぶちまけられる。
「あいたたた…」
アランは散らばった書籍類を素早く拾い集め、メイドの女の子に手渡した。
「大丈夫ですか?」
「あ、ありがとうございます」
「あなたは…」
そのメイドの顔には覚えがあった。
彼女はブルース付きのメイドだ。確か名前は【ティナ・ヴァイ・ミルフィーユ】。シャーロットの付き添いでブルースと会う際に何度か姿を目にしていた。
彼女の特徴は何といっても顔の半分ほどもある長い前髪だ。髪の隙間からうっすらと目が見えているが、前を見づらくはないのだろうかとアランは少し疑問に思った。
「お久しぶりです、ティナ様」
アランは恭しく、ティナに挨拶した。心の内ではどう思っていようとそれを決して表には出さない。普段通りに接する。彼女はブルース陣営の人間だ。浮気の証拠を押さえようとしている事を相手に気取られる訳にはいかない。
「えっと、あなたはシャーロット様の執事でアランさん…でしたっけ?」
「覚えて頂き光栄でございます」
「いえいえ、そんな。私なんかにそんな丁寧にする必要ないですよ。普通に話していただいて結構ですので…」
彼女は両手を振って謙遜した。
ブルースの使用人たちは貴族の子女が多く、平民のアランに対し尊大な態度をとる者が多かったが、何故か彼女だけは腰が低かった。彼女も子爵家の娘であるのにである。
「そういう訳には参りません。ティナ様はフィナンシェ公爵家に仕える使用人であり、また子爵家の御息女でございます。礼を払わねば失礼に当たります」
「ううっ…。もうそれでいいです」
彼女は少し顔を背けて恥ずかしそうにつぶやいた。彼女の性格をよく知っている訳ではないが、礼を払われるのが苦手らしい。
「図書館へ本を返しに行かれる所だったのですか?」
「ええ、そうです。よいしょっと…。では私はこれで失礼します」
彼女は再び大量の本を山積みにして抱えると図書館の方向へ歩き始めた。ヨロヨロと明らかに危なっかしい。
アランはため息を吐くと彼女に声をかけた。主人の婚約者の家に仕えている使用人を助けぬのは不自然だろう。
「差し出がましいようですが、お手伝いをさせて下さい」
「大丈夫です。お気になさらず。うわっと!?」
彼女は言ったそばからよろめいた。アランは慌てて彼女と本を支える。
「何冊か私が持ちます」
「す、すいません…」
アランは高く積まれた本の4分の3ほどをティナから奪い取った。今度は彼女も断らなかった。
「それにしてもこんなに沢山の本を読まれるなんて、ティナ様は勉強熱心なのですね」
「いえ、私が読んだ物じゃないんです。ブルース様が課題のために借りた本を返すように命じられまして」
「流石ブルース様。課題1つとっても手を抜かれないとは恐れ入りました。しかし、この量の本を1人で持ち運ぶのは厳しいでしょう。他の使用人は近くにいなかったのですか?」
「あ、あはは…。その…私が1番下っ端なのでよく雑用を押し付けられるんです」
そこまで聞いてアランは色々察した。
課題のために本を借りたのはブルースだ。だが先ほどの彼女の言葉は「誰に」本の返却を命じられたのかはっきり提示していない。
加えて先ほどの「1番下っ端」という言葉。おそらく他の使用人に命じられて1人で本を持って行くように言われたのだろう。
彼女はブルースの使用人たちの中でコキ使われている立場というのが予想された。少しだけ同情する。
2人は校舎を出て、図書館へと繋がる渡り廊下を歩いていく。
「クンクン…。雨の匂いがしますね。今日はこの後、雨が降りそうです」
ティナが突然小さな鼻を動かしてそのような事を述べ始めた。アランも周りの空気を吸い込んでみたが、特にそのような匂いはしなかった。
それを不思議に思いつつも、話題をブルースの近況にシフトさせる。メイドの彼女なら何か情報を吐いてくれるかもしれない。
「…ブルース様はその後、おかわりありませんか?」
「えっ? ええ、まぁ…はい」
「ここ最近、茶会などに誘って下さらないとシャーロット様が寂しがっておりました。ブルース様のご予定さえよろしければ、また誘って頂けると嬉しいのですが」
「そ、そうですか。ええ、ブルース様もまたシャーロット様とお茶を飲みたいとおっしゃっていました。多分…」
「シャーロット様は自己評価の低いお方ゆえ、ブルース様が他の令嬢方に気移りされやしないかと気が気でないのですよ。聡明なブルース様に限ってそのような事は無いと思いますが」
「そ、その…そうですね。私もそう思いたい…です」
「………」
ティナはアランの言葉に少し目を背けながら、答えづらそうに言い淀んだ。
少しブッコんだ会話をしてみたのだが、彼女は予想以上の反応をしてくれた。嘘をつくのは苦手らしい。
彼女の反応から察するに、ブルースの浮気は彼の使用人連中も知る所となっているようだ。だから彼女は言葉を詰まらせたのだろう。思わぬ情報がゲットできた。
「よっと…」
図書館に着いたアランとティナはカウンターに本を返却した。係の人間が返却された本をチェックしていく。
「アランさん、どうもありがとうございました」
「いえ、お気になさらず。では、私はこれで」
ティナと別れ、図書館を出たアランは当初の予定通り、貴族寮の偵察に向かおうとした。
しかし突然土砂降りの雨が降り出し、撤退を余儀なくされてしまう。この雨の中、貴族寮の周りをうろつくのは流石に怪しまれる。
そういえばと、ティナがこの後雨が降るような事を言っていたのをアランは雨空を見上げながら思い出した。
◇◇◇
メイドのティナさんの登場です。彼女は今度物語にどうかかわっていくのか?
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