当主の無茶ぶり

 あの後、婚約者ブルースの浮気現場を目撃したシャーロットとアランは静かにその場を離れた。


 「主の婚約者が浮気をしているんだからその場を押さえろよ!」と声をあげる人もいるかもしれない。


 しかし、この問題はそう単純な物ではないのだ。


 この婚約が平民同士であればそれが正しい。婚約という契約違反を犯し、責められるべきは向こうの方である。契約違反を犯した者に対し、契約違反された者は婚約を続行するか、解消するかを決める権利が与えられる。


 だがこれは貴族同士の婚約なのだ。


 マドレーヌ伯爵家とブルースの実家、フィナンシェ公爵家との間には持っている力に歴然とした差があった。かたや田舎の伯爵家、かたや中央政界に幅を利かせている公爵家である。立場はこちらの方が下だ。


 向こうが素直に非を認めればそれでいい。しかしアランはシャーロットの付き添いで何度かブルースに拝謁した事があるが、彼が素直に非を認める性格だとは思えなかった。


 彼は典型的な貴族といった性格である。つまりはプライドが高い。


 それ故に自らの非を認めず、こちらに難癖をつけてくる可能性も十分に考えられた。下手を打てば家が潰れかねない。


 公爵家と争いになった場合、不利なのはこちらの方だ。争うにしてもまず向こうが言い逃れできないほどの浮気の決定的な証拠を集め、周辺の貴族家や王室などに根回しをし、こちら側に抱き込む必要性がある。


 いきなり喧嘩を売るのは愚の骨頂だ。


 貴族社会では持っているの権力の大きさこそが大正義なのである。


 そういう理由でアランはひとまず当主の指示を仰ぐ事にした。


 学園が終わり次第、この事を伯爵家当主である【ラッセル・ルーア・マドレーヌ】に報告する。当主は王都から離れた領地にいるため、手紙での報告になる。


 アランは封筒に厳封の魔法シールの魔法をかけ、当主以外の人間が読めないようにすると、郵便局へ行き速達便で手紙を出した。


 速達便は転移の魔法ワープを使って宛先近くの郵便局に手紙を送り届けるので、遠く離れた地に送る場合は通常郵便より非常に早く着くのが利点だ。その分値段も高いが仕方がない。


 次の日、朝1番の便で当主から返事が届いた。アランは配達人から手紙を受け取ると伯爵家別邸にある男性使用人室に戻り、当主が一体どのような決断をしたのか、内心やきもきしながら手紙の封を破いた。


「…マジか」


「アラン君、御当主様はなんて言ってきたの?」


 たまたま替えの掃除用具を男性使用人室に取りに来ていた黒髪ショートカットで、可愛らしい顔をしたメイド【クロエ・ビスコッテ】が彼に声をかける。


 彼女はアランの同僚であり、シャーロットの専属メイドでもある。同い年で幼い頃からシャーロットに仕えてきたので、気の置けない仲だった。


 アランはクロエに当主からの手紙を見せた。浮気の件は彼女にも話してある。


「うわ…御当主様本気? お嬢様おいたわしや…」


 手紙にはこう書いてあった。


『ブルース様も火遊びしたい年頃だろう。なので彼を責めるような真似はせず、シャーロットとの婚約を維持するように努めよ。公爵家との縁談は当家にとって躍進のまたとないチャンスである。くれぐれも公爵家の方々に失礼のなきよう』


 ほぼ完全に降伏宣言であった。当主は公爵家と争うような事はせず、できるだけ穏便に事を済ませるよう指示してきた。浮気は見て見ぬフリをし、婚約を維持せよというのである。


 貴族家の当主というのは自分の家を守る事を第1に考えて行動するのだから、そういう意味でラッセルの行動は正しい。だが父親としては失格だった。娘を完全に出世のための道具としか考えていない。


 使用人2人はシャーロットの事を哀れに思った。本当に彼女が不憫でならない。それと同時に自分たちの力のなさを呪った。


「お嬢様にどう伝える?」


「どうって…このまま伝えるしかないだろう」


「私がどうかしたかしら?」


「「これはお嬢様、おはようございます」」


 声のした方を見ると男性使用人室の扉を開けて、シャーロットが立っていた。起きたばかりのようでまだ髪はボサボサのパジャマ姿である。


 普段より早い起床だった。いつもならもう1時間ほどはベッドの中だ。


 彼女はカンが鋭い。何か虫の騒ぎのような物を感じて早く目が覚めたのかもしれない。


「お嬢様。そのような姿で出歩かれては、はしたのうございます。すぐに着替えの準備をいたしますのでお部屋にお戻りください」


 跪き挨拶をした後、クロエがシャーロットに部屋へ戻るよう促した。手紙の内容を彼女に知られたくないという思いがあるのだろう。


「お父様からの手紙、来たのよね? 見せなさい」


「こちらに」


 アランは素直に手紙をシャーロットに見せた。クロエがハラハラした表情をしていたが、隠し通せるものでもない。


「ふぅん。まぁ、あの人はこういう人よね」


 シャーロットは手紙に目を通すと淡白にそう吐き捨てた。父親にはもう何も期待していないのだろう。 


「フフッ」


 そして不敵に笑った。その不敵に笑う主人の姿を見て、アランは背筋が寒くなった。彼女は幼い頃からのクセで、内心ブチ切れているほど不敵に笑うのだ。


「決めたわ。私は婚約破棄に向けて動きます。私の専属執事とメイドであるあなたたち2人は…当然私の味方よね?」


「「お嬢様!?」」


 シャーロットはニヤリと悪い笑みを浮かべながら自分の従者たちにそう問うた。2人は主の発言に驚き、考え直すように迫る。


「お、お嬢様お待ちください。クロエ個人といたしましては…お嬢様を応援しとうございます。しかし勝手に婚約破棄をすれば、御当主様と公爵家が黙っていないでしょう。お嬢様と私たち2人の力だけでどうこうできるものではございません」


「何も私から婚約破棄を突き付ける訳ではないわ。向こうから婚約破棄してくれるようにしむけるのよ。そうね、例えば…じゃなくてにさせてやるとか。もちろん周りに根回しした上でね。そうすれば向こうの意向に沿っているのだから、こちらが責められる事もないし、お父様あの権力の犬も向こうの言葉には従うでしょ」


 アランもクロエに続き、シャーロットをなんとか説得しようと試みる。


「仮に向こうから婚約破棄されたとしてもです。御当主様は婚約破棄されたお嬢様に激怒されるでしょう。そうなれば今度はお家に居場所がなくなり、爵位だけは高い変態ジジイや性格破城者の元に嫁がされるかもしれませんよ。私はお嬢様がこれ以上不幸な目にあうのは反対です」


 今回の婚約が白紙に戻ったとしても、シャーロットが自由に結婚相手を選べるわけではない。貴族の娘という性質上、その身体に流れている血を最大限利用されるのだ。


 特にシャーロットは実家での立場が悪い。公爵家との婚約がなくなれば、厄介払いとしてそうなる可能性も十分考えられた。そうなるくらいならば…まだ公爵家に嫁いだ方がマシである。


 それにこの婚約が破綻になるとアランの一族は全員クビになってしまうのだ。アラン個人だけならともかく、一族全員を巻き込んでしまう事になるのは憚られた。


「構わないわ。私はあの家を出て行くから」


「ですが…」


「アラン、あなた昔私に『一生お守りいたします』って言ったわよね? アレは嘘だったの?」


「うっ…」


 突然幼き日の言葉を言質に盗られ、困惑するアラン。隣のクロエが「アラン君そんな事言ってたの?」とジト目で睨んで来る。


 アランは悩んだ。専属執事としてはもちろんシャーロットの幸せを願いたい。だが婚約破棄されれば一族全員路頭に迷う事になる。


 現在王国は景気が悪く、再就職先も容易に見つかるような状況ではなかった。最悪の場合は一族全員野垂れ死である。一族全員を人質に取られているようなものだ。


「…分かりました。ではこうしましょう!」


 アランは悩んだ。そして悩んだ末にとある妥協案を導き出した。


「私が責任をもってブルース様と浮気相手を別れさせ、ならびにブルース様にはお嬢様だけを愛するよう、幸せにするよう誓わせます。これでいかがでしょうか?」


 シャーロットの幸せと自分の家族の命、その他もろもろを考慮した上での妥協案であった。現在考えられる限りの大団円の結末を提案する。


 アランはこれでどうかとシャーロットの顔を窺った。


「そう、じゃあ1カ月」


「は?」


「1カ月だけ時間をあげるわ。その期間内でどうにかできない場合、私は自分の目的に向けて動きます。もちろんその時はあなたたち2人にも私を手伝ってもらうから。有無は言わせないわよ。フフッ」


 シャーロットはそう言って再び不敵に笑った。



○○〇



今の時点での主人公の考えるハッピーエンドと本当のハッピーエンドはまた変わってきます。この物語の本当のハッピーエンドはどうなるのか、お楽しみに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る