第13話 タコワサの消滅

 夢とも現実ともつかないような、細分化された自意識のつぶつぶ。


 妙な表現だが、塵になった僕を言語化すればこうなる。


 脊髄を抜き取られたような虚脱感。肉体というしがらみから解放された魂に、自由はなかった。

 不思議な感覚だ。


 上も下もわからず、重力に従い流れていくばかり。

 海に漂うクラゲやプランクトンなんかは、もしかしたらこんな気持ちなのかもしれない。


 だがとても穏やかだ。


 ブラックホールの中は暗く、静かで、重力にさえ目を瞑れば安眠にちょうどいい。

 

 されど一秒一秒が、タコワサにとっての数年だと言うのだから驚き。


 肉体は消失し、五感も失効した。目的意識だけが鮮明だった。


 間も無く『事象の地平面』。人類が観測できる最後の境界に到達する。そこから先は光であっても決して戻ることができず、物理法則が成り立たなくなる異界だという。


(ん?)


 違和感。  

 いつまで経ってもブラックホールが終わらない。

 外にいるタコワサがモモモ化させる手筈だったのだが。


(これはまずいのかも……)


 待てど暮らせど状況に変化が見られない。

 すでに後戻りできない領域に達している。

 焦りがつぶつぶに伝播していく。モモモが震えている。


 自身がどうというよりも、タコワサのことが気がかりだった。

 彼の身に何かあったのだろうか。


『必ず生きて会おう』


 約束が果たせなくなる。

 それは死よりも恐ろしいことだ。


(タコワサ!!)


 塵はなすすべもなく、事象の地平面に飲まれていった——。





 いつから意識があったのか、釈然としない。

 いましがた目覚めたような気がするし、もうずっと起きている気もする。

 気怠げな脳がなかなか働いてくれないのだ。

 漠然と宙に漂っている。


「やっと見つけた」


 声をかけられた。気づいたときにはそこにいた。

 平凡な顔つきの男だ。

 声の主は僕の姿をしていた。


 ……?


 モモモ体の僕には目も口もない。喋ることはおろか、彼の姿が見えることすら本来あり得ない。

 幻視しているのだ。


「ぼくは。五次元世界であるブラックホールの内側、特異点から、いつも君たちを眺めている存在だ。今は君の姿を借りているが、本体は別の場所にある」


 意味がわからない。

 そんな神様みたいな人が、なぜ僕を探していたの?


「ある事実を伝えるためだ。俺はクジラ星人の生みの親、親が子を慈しむのは当たり前のこと。それがしはタコワサを観測していたからこそ、君がここに来るのが分った」


 つまりあなたは——。


「ミトコンドリア・アダム。そう名乗ればいいのだろう?」


 へぇ。これはまた急なお出ましで。


 彼は僕たちの目的。絶滅に瀕したクジラ星人たちにとって、救世主になり得る存在。


「わたくしの意識は五次元世界に囚われている。ここでしか他者に干渉できない。現段階では、四次元世界に住む君たちの救世主にはなれないよ」


 この人、一人称が定まっていないためか掴みどころがないな。


 僕に伝えたいことってなんだ?


「タコワサは消滅した」


 彼の言葉を反芻する。意味を理解するにしばらくかかる。眠気は晴れて、おぞましさに臆した。


「驚くのも無理はない。消滅はタコワサ自身でさえ予想できなかったことだ。彼は船の修復のため、身体の大部分を補填にあてた。その後ブラックホールを複数個作成し、数百万光年の旅に出た。極め付けは君との同化だ。あれのせいでタコワサの含有モモモは著しく削られ、惑星クジラに辿り着くことなく消滅してしまったのだ」


 ミトコンドリア・アダムの説明を要約するとこうなる。

『僕のヘマのせいでタコワサが消滅した』


 受け入れ難い。認めることなんてできるわけがない。

 絶望が魂に侵食してくる。


 タコワサが。タコワサが。タコワサが。


 目がなくてよかった。涙を止める術はない。

 口がなくてよかった。どんな呪詛を吐いていたかわからない。

 両手がなくてよかった。僕は僕を許せない。自傷でしかな悲しみを慰めてやれない。


(約束したんだ。必ず会おうって……)


「その絶望は君だけのものでない。彼だって同じ気持ちだったはずだ。タコワサはバカじゃない。おそらく早い段階で、自身が消滅してしまうことを悟っただろう。ならばなぜ、ブラックホールを消滅させることなく、タイムスリップを敢行したと思う」


 僕のモモモが不自然に震えていた。

 まるで悲しむ僕を撫でるように。

 タコワサ、君なのかい?


「彼がまだ諦めていないからだ」


 タコワサはまだ、僕と再開する気でいる。

 発言は一縷の望みとなって、か細く僕を照らした。


「君の中にあるタコワサのモモモは今も生きている。それを元手に大いなるこなたが観測すれば、あるいは——」


 タコワサが生き返るかもしれない。


「つまり君のやるべきことは何も変わっていない。宇宙のどこかにあるだろう私の本体を見つけ出し、ブラックホール内部、特異点に幽閉された拙の精神と引き合わせる。すればわしの力でタコワサを復活させてやれるかもしれない」


 ミトコンドリア・アダムを見つけ出す。


「本体がどこにあるのか、自分自身ですらわかっていない。助言してやれることはなにもない。旅は過酷で、長いものになるだろう。タコワサと、そして君自身のモモモが消滅しないために、惑星クジラへ赴き、新たな仲間を見つけるがいい」


 なぜあなたはそこまで。


「感動したからだ」


 強い言葉だ。明確な自意識がモモモに反射し、きらめいている。


「我は産まれて初めて、『友情』なるものを観測した。モモモ生命体にそのような概念は存在しなかった。君はもしやすると、我々に新たな変革をもたらすのかもしれない。ぼくはそれが気になって仕方がない」


 意識が遠のく。復活のときが近い。


「ずっとこんなところにいると、めっぽう退屈なんだ。せいぜい楽しませてくれよ」


 彼の手引きにより、僕は生き返った。

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