第11話 現実的タイムスリップ
高出力モモモスラスター噴射が生み出す速力は計り知れない。
宇宙空間において摩擦係数は限りなくゼロに近く。つまり空気抵抗による減速を考慮せず、ただ慣性に従い加速し続けるわけだ。
僕らはすでに太陽系を脱出していた。
火星出立から二ヶ月。
とは言え時間感覚などとうに失っている。
宇宙では恒星が沈まないし、ニワトリも鳴いてくれないのだ。
【おはようモモ。今朝はよく眠れたかい?】
モモモ生命体に睡眠の必要はないらしい。
僕が入眠しているとき、彼は黙々と船守をしてくれている。ありがたい限りだ。
「久しぶりに夢を見たよ。彼女の夢だ」
【彼女? あぁ。例のイマジナリーフレンド君か】
首肯する。
僕には幼少の頃から、なぜか女性の姿が見えている。
万年孤独な僕が、寂しさのあまり産み出した幻影の類いだろう。
彼女は信じられないほどの美しさをもつが、一言も口を聞いてくれない。表情も常に真顔だ。
名前は特につけていない。ただ黙々と美しさをひけらかしている。
夢の中の彼女も、いつも通り僕をじっと見つめているばかりだった。
今だってすぐそばにいるんだよ。
【普通は成長と共に消失するらしいがな】
「へんかな?」
【私から見れば、地球人などどいつもこいつもヘンテコばかりさ。一つアドバイスを送るのなら、その子のこと、大切にしてやればいいんじゃない? 君もモモモに触れたのならわかるはずだ、『イマジナリー』の可能性を】
モモモは正確にイメージできる物なら、なんだって再現できる。
【強く想い続けていれば、何かいいことがあるかもしれない】
「期待させてくれんじゃん」
【ところで今後の旅程だが、モモにはブラックホールへ突入してもらうことにした】
「君はしれっとそんなことを言う……」
ブラックホール? あの? 吸引力パネェやつ?
【超密度に圧縮され、光すら逃さないほどの重力を発する天体のことだが】
そこに突入? マジで言ってんの? 人類史上もっともド派手な飛び降り自殺じゃん。
「いやいや、流石に無理あるでしょ。地球から一番近いブラックホールでも、数千光年離れているって記事、昔読んだことあるよ。いくらこの船が早くても、光速を超えることはできないはずだ」
【それはあくまで、『人類が観測したブラックホール』との距離だろう】
ブラックホールは性質上自身で光を発しない。なので観測を行うのは極めて困難とされている。
事実、西暦2,019年にその姿を撮影されるまで、人類はブラックホールの実体すら確かめたことがなかった。
「未確認のブラックホールが近くにあったってこと?」
【あったのではなく、今から作るのだ】
ブラックホールを作る。タコワサは断言した。
あまりに突飛な物言いに、僕は驚くことすらできなかった。
【モモモはどんな物質でも再現できる。ヘリウムガスでも、鋼鉄の巨像でも。そこに『密度』の制限はない】
「!? まさか、君ってやつは!」
【ブラックホール化するほどの高密度な物質を想像する】
タコワサは星を作るつもりなのだ。
僕はモモモをすんごい便利物質くらいに考えていた。
規格を一段上へ引き上げる必要がありそうだ。
「……ふぅ。君の言っていること、なにもわかっちゃいないけれど、ひとまず話を前へ進めよう。なぜブラックホールに突入する必要があるの?」
【惑星クジラは、地球とは異なる銀河にある。距離に換算すれば数十万光年先だ】
とてもではないが生きて辿り着ける距離じゃない。
【そこでブラックホールの特性を利用することにした。外界と内部で流れる相対的な時間のギャップだ】
「あ、それ知ってる」
ブラックホールはあまりに強い重力のため、周囲の空間を大きく歪めてしまう。
法則からは、時間ですら逃れることができない。
空間、時間。量子力学の世界ではこれら二つを統合し、『時空』と呼ぶ。
——ブラックホールの付近では、時の流れが歪み、相対的に遅くなる。一般相対性理論だ。
【内部に限って言えば、君の数秒が外にいる私にとって数年に感じられるはずだ】
上記の発言は空想のようでいて、科学的根拠に基づいた事実である。
地球人類はすでに、未来に限ったタイムスリップならば理論上可能だと証明しているのだ。
【その特性を利用する。モモをブラックホールに閉じ込め、一方私は単独で惑星クジラを目指す。私の数百万年の旅路は、君にとってほんの数時間の出来事に感じられるだろう】
「……言いたいことはなんとなくわかるよ。でも解せないな。はなからブラックホールを作るつもりだったのなら、わざわざ三ヶ月もかけてこんな場所に来る必要はなかったんじゃないの?」
【ブラックホールを作れるだけの豊富なモモモが漂っていて、周囲の物質が少ない場所のほうが好ましかった。へたに降着円盤が発生しても面倒だからな】
「ごめん全然わかんない」
【摂氏一千万度にまであっためられた、ホカホカのガスだよ】
「……わからないなりに尋ねるけれど、その降着円盤ってやつがなかったら、僕は死なずに済むの? 普通に考えて、ブラックホールなんかに突入したらひとたまりもないと思うのだけれど」
ガルガンチュアじゃあるまいし。(映画『インターステラー』に登場する特殊な巨大ブラックホール)
【まさか。私が作ろうとしているのはシュバルツシルト半径がピンボールサイズほどの天体だよ。モモにかかる潮汐力は凄まじく、一瞬にして肉体は引きちぎられ、スパゲティほどの細さに挽かれて消えるだろう。骨も残らない】
「死ぬじゃん!!」
【生身の人間ならそうなるな】
含みのある言い方をするタコワサ。
「何かいい方法があるっていうの?」
【今からモモは私と融合する】
「ん?」
【モモはモモモ生命体になるのだ】
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