第3話 グッバイアース!

「アババババ」


 この苦痛はきっと地球の怒りだ。

 大地を捨て、宇宙に逃避することへの罰なのだ。


 そう思ってしまうほど苦しかった。


 UFOは大気圏外へ向け上昇、急加速を始めた。

 重力負荷は凄まじく、内臓がひっくりかえってしまいそう。


 どうにか耐えて、UFOは無事外気圏に突入。(グッバイアース。別れを惜しむ暇すらないね!)


 今度は宇宙という、無重力空間のアンバランスに晒され、自律神経は均衡を失い——。


「うげぇ」


 痴態を晒す。

 ゲロをぶち撒ける。


(無重力だからすごいことになっている)


 宇宙酔いというやつだ。

 無重力下で平衡感覚が乱れ、脳機能に障害が発生する。

 症状は乗り物酔いに近く、吐き気やめまいにみまわられる。宇宙飛行士と違い、特殊な訓練を積んでいない僕の容体は特にひどく。


「もれちゃった……」


 人生歴19年、初めての失禁である。

 なさけない……。


【人とは難儀な生態だな。変えの衣服とタオルが必要だ】


 この船は奇怪だ。

 一見なにもないがらんどうの空間なのに、タコワサが命じるだけで望んだ物品が補充される。


 現にいまも虚空から衣服とタオルが出現した。

(四次元ポケットみたい!)


【ついでに、船体を君が過ごしやすい環境へ整えようか】


 次の瞬間、さらに驚きの光景を目の当たりにする。

 グググと音を鳴らし、船殻が変形を始めたのだ。

 

 船は巨大な塊を宇宙空間へ放出した。

(亀が卵を産んだみたい)


 塊とUFO本体は細長いワイヤーのような紐で連結されており、距離が離れていても互いに作用し合っている。


 おそらく塊が支点になっているのだろう、UFOは大きく回転を開始した。


 スリング投石ヒモを振り回しつづけるイメージに近い。UFOは莫大な遠心力を獲得した。


 遠心力。つまりはだ。


【無重力下における地球生命は、宇宙酔いだけでなく筋力の衰えや、骨量の低下などといった問題をはらんでいる。性急だが今のうちに対策を講じておきたい】


「げふっ!!」


 吐瀉物の上に着地した僕の意識は、ブラックアウトを起こした。







 目が覚める。酔いはひかくてきマシになった。

 平静を取り戻した僕は、ようやく宇宙を観察することができた。


 透けた天蓋を見上げる。


「すげぇ——」

 光景にひとまず嘆息する。


 暗がりにまぶされた万物のかがやき。星雲。


 虚無と神秘は調和を成し、悠然とたたずむ星々がじっと僕に微笑みかけている。

 

 あとは何もない。


 たったそれだけの悲しい景色だ。

 けれど、けれども。

 感動するには、十分に過ぎるだろう。


「生きててよかった」


 本当に、腹の底からそう思えたんだ。

 人生で初めて絶景に胸打たれた。


 不思議と涙が止まらない。


 昂りを目に焼き付けよう。

 何度だって思い起こせるように。


【地球はあそこだよ】


 タコワサが触手で示す。


 すでに遠く離れ、手のひらで収まるサイズになった故郷はけれど、いまだ瑞々しい青をたたえていた。


 仰ぐことしかできなかった青空は、もう僕を見守ってくれない。


 届かない。戻ることはできない。

 ここまで来てようやく、僕は別れを惜しく感じていた。


 知らなかった。

 地球はあんなにも美しいのか。


 もしまた帰ることがあったのなら、もう少し大切にしてやってもいいかもしれないな。

 地球も。僕自身も。


【いくらでも感傷にひたってくれていい。私も宇宙を眺めるのは好きだ】


 回転することで遠心力をえた船内から見上げる星空は、流星群かのように流転していた。


 すっげー!


 何時間でも観察することができた。


「っていうか、マジで宇宙来ちゃったよ」


 感動は落ち着き、次にふつふつと自覚が湧き立つ。


 え? 宇宙? マジで?


 どうしよう。とんでもないことになってしまった。

 遅まきの焦りに冷や汗をかいた。


「びっくりだ」


 いくら憧れていたとはいえ、軽ノリで決めすぎたかもしれない。


 後悔はない。けれど圧倒的に余裕が足りない。

 非日常の連続でハイになっていたのだろう。


 よくよく考えればUFOって。宇宙人ってなんだよ、どんな状況だよ!?


 気になることは他にもたくさんある。

 例えば服だ。


 気絶している間に着替えさせてくれたのだろう、無地の衣服は着心地がよかった。

 どのような素材なのか。触れてみると繊維を感じることができない。シリコンのような滑らかな感触だ(タコワサの質感に近いものがある)。

 もしかしたら地球由来のものでないのかもしれない。


 寒さは感じない。

 宇宙は限りなく冷たい空間だとおよび聞くが、船内は人間が過ごしやすい温度に調整されていた。


 タコワサはどうだろう。

 彼も人間と同じく、これくらいが適温なのだろうか。僕のせいで凍えてはいないだろうか。


 思えば彼の生態はとても不思議だ。


 どういう原理で念話を可能にしている?

 口で会話をする必要がないためか、彼の頭には耳も口も。目以外の部位が見当たらない。

 ではどのように食事を摂取している?


 いやまてよ。口で栄養を補給するというのも、やや人間的解釈だ。

 例えばあの触手で体内に取り込んでいるのかもしれない。


 タコワサは数本の触手を巧みに扱い自立している。

 僕を抱き起こしたことや、着替えさせてくれたことからもわかる通り、人並み以上に器用な使い方ができていると思われる。


 マジでタコみたいだ。

 

 そういえば、タコの口は触手の内側に隠れている。

 タコワサも同じく、ここからは見えないよもぎ餅の下部に口がついているのかも。


『鯨骨生物群集個体番号1127』

 いったいどういう意味?


 あれこれ考えているうちに、タコワサが僕を睨めつけていることに気づいた。


「ど、どうかしましたか」

【なぜ気になることがあるのに、直接私に尋ねてこない?】


 うぐ。

 耳が痛い。

 僕ってば宇宙人相手にも持ち前のコミュ障を発揮している。


「会話って、結構体力つかうからね」

【君は本当にめんどうくさい奴だね】


 返す言葉もございません。


【先へ進もう。桃姫君、つまらない話か面白い話。どちらから先に聞きたい?】


 僕はつまらない男だから、つまらない返答をする。

「お任せします」


【単刀直入に言う。君はまもなく窒息死する】


 ……。


 ねぇタコワサ、それってどっちの話?

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