第8話 君の名は希望 ③
「この講義はテストではなくレポートで最終評価をつけるからな。そして、休めるのは三回までだ。だがサボらず来るように努力しろ」
初回講義開始日。
無事にこの日を迎えられたが、康太の心の中は変なザワめきで満たされていた。
最終評価がレポートだとか、三回休めるだとか、断じてそれが原因ではない。
「……結局日曜日も一回も降りてこなかったな、アイツ」
カリナは結局、昨日も部屋から姿を現すことは無かった。
発熱が治っていない可能性も否定は出来ないが、それでもわざわざ深夜に黄昏ていたカリナだ。
日中の暖かい時間ですら2階から降りてこないのは、さすがに不自然だろう。
朝飯や昼飯、遂には夜飯の時間ですら降りてこなかった。
各々で食べる時間は自由ではあるものの、康太はカリナとの件もあり、比較的長い時間リビングに滞在していた。
それでも、カリナの姿を見ることは無かった。
「……隣も誰もいないしな。それのせいでもあるのか、心配症になるのは」
講義が行われている教室は、大学の中でもトップクラスの大きさを誇っている。
1年次の必修科目ということもあり、同学年の人間が大勢いるのだが、康太の隣には誰一人として着席していない。
「……」
チラチラと周りを見ると、バグった距離感で座っているカップル、全員が派手な髪色をしている陽キャ集団など、様々な人間達がまとまって座っている。
その中、真面目人間の篠塚康太は3つの椅子が付属した横長のテーブル、そしてド真ん中の椅子に1人で着席中。
そんな事実に虚しさが最高潮に達しそうな所で、康太は無駄な思考を除外した。
「……まあ、勉強しに来たからな。友達くらいその内出来るだろ」
無論、最優先事項は学業だ。
友達や恋人は二の次である。
とはいえ、やはり虚しいことに変わりは無い。
「この講義の流れを説明するぞ。まずこの講義の名前は『キャリア育成』だ。これからお前達が職に就いて、家族を養っていく上で……」
野太い男性の声が、淡々と講義の流れを説明していく。
様々な職種の分析、卒業生からのアドバイス、自己PRなど。
とにかく、キャリアを育成していく上で最低限の事柄について、この講義では学んでいくらしい。
「……もう寝てるのかよ、すごいな」
教授の話を聞きながらチラチラと周りを見てみると、既に机に突っ伏して撃沈している生徒がちらほらと見受けられる。
とはいえ、初回の講義はオリエンテーションで終わる為、そこまで被害は無さそうだ。
「……そんで今来たやつもいると」
前方のドア。
中々に開音が鳴るドアから、途中参加で何人かの生徒が入ってくる。
良くも悪くも大学という感じだ。
しかし、そんな生徒には構わず、前方に立つ白髪混じりの中年教授は淡々とプロジェクターから映し出されるパワーポイントを順番にスライドさせ、分かりやすく説明をしている。
すんなりと頭に入ってくる事からも、教授としてかなりの技量があるのだろう。
新鮮な大学の空気を感じつつ、康太は静かに教授の話を聞く。
そのまま30分程経過した所で――教室には若干の異変が発生した。
「ねえ、今入ってきた人ってさ……」
「この大学に来るわけないだろ……」
「めっちゃ似てない……?」
「え!? ……いや、ありえないってば」
「見間違いだよ。絶対に」
「本物な訳ないだろ」
「夢見すぎだっつーのお前は。オタク補正で目ん玉おかしくなってんぞ」
途端に、教室内が多数のヒソヒソ声で埋めつくされる。
「……どうした? 隣に誰もいないから分からん」
しかし康太には、この騒音が何に対しての騒音なのかが分からない。
考えても仕方が無いため、康太は再び教授の方へ意識をシフトする。
この騒音を前にしても、教授の冷静さに変わりは無い。
淡々と説明を続けながら、プロジェクターに繋がるリモコンでスライドを動かしている。
――その時だった。
「――」
康太の隣、誰もいなかったはずの椅子に、1つの人影が落とし込まれる。
それを視界の端で捉えた康太は、恐る恐るその人影の方へ、一瞬だけ視線を向ける。
「……どうも……え……は?」
その人影は予想外の人物。
――思わず、綺麗に二度見をしてしまう程に。
「――おーはよ、平凡人間さんっ」
黒色のキャップを深く被り、ピンク色のセーターを身に纏う女子。
ナチュラルなメイクが施されているものの、その顔面は人類の完成系と言っていい。
――
「……いや、え?」
「何味のキャンディ買ってもらおうかなー。苦いのは食べれないし、でも今は甘い味の気分でもないなー」
「……ちょ、ちょっと待ってくれ。まさかさっきのざわめきとか、全部お前だったのか……?」
「カリナって呼んでってお願いしたよね、私」
「……ああ、それはそうだった。カリナのせいでざわめいてたのか?」
「さあ? 私はただ授業に来ただけだもん。ざわめきなんかあった?」
カリナはとぼけているが、康太は確信している。
さっきのざわめきは完全に、
「……あっただろ……ってか、大学入ってないんじゃなかったのか?」
「入ってないよ?」
「……あのな……当たり前のように言ってるけどな。今は講義中だぞ」
「知ってるけど。初回なんてどうせオリエンテーションでしょ。そもそも出席だって取ってないんじゃない?」
「……言われてみればそうだな……」
カリナに指摘され、康太はヒソヒソ声で納得する。
すると、カリナはおもむろに机に突っ伏し始め、そのまま康太の方へ顔を向けると、深く被っていたキャップの
「ねえ、キャンディ買いに行こうよ」
それが天然産なのか、アイドル経験からなのかは分からない。
しかし、誰が見ても心を持っていかれそうな、そんな破壊力がある。
が、康太の心の中は"カリナが姿を見せた"という安堵が大きかった。
「……はあ?」
「気が向いたら俺のところに来いって言ってたじゃん。今ちょうど気が向いたの。だからさ、ね?」
「……い、今は無理だろさすがに。講義中だ」
「ふーん。せっかく許してあげようと思ったのに、断るんだ」
「……タイミングを考えろよ。いつでも買いに行けるだろキャンディなんて」
「私は今食べたいの。いまいまいま!」
「……知るか。俺は講義を聞きたいんだ。それに、変に目立ちたくない」
「ふーん」
尚も続くカリナの上目遣い。
すると、カリナは「あーあ」と言いながら、再び机に突っ伏して、
「じゃあこの講義が終わったら、私はこの大群と一緒に教室を出るの?」
「……そういうことだ。我慢しろ」
「誰か一人にでも、私が
「……」
「ね、篠塚康太くん?」
周囲のヒソヒソ話の内容からしても、講義終わりにチラッと確認してくる人間は必ずいる。
故に、本人だとバレるのも時間の問題。
「……分かった。分かったから帽子を深く被れ」
言いくるめられた事に悔しさを覚えつつ、康太はカリナのキャップを強引にカリナの頭へ押し付ける。
「んふふ、はーい」
「……マスクは無いのか」
「無いよ。いらないもん」
「……本当に無防備だな、お前は」
「カリナがいい」
「……いいから行くぞ、ほら」
そう言って、康太はおもむろに立ち上がる。
講義が終了パートに差し掛かっていたこともあり、既に何人か退室していた為、そこまで被害は無さそうだ。
「待ってよ。私を置いてくとかありえないから」
「……バカ言うな。自分が誰か分かってるのか?」
「天宮カリナだけど?」
「……だけどじゃねーよ!」
「ふん。じゃあ外で待ってて。私が後に出る」
「……はいはい」
返事をし、康太はそそくさと前方のドアへ足を進める。
「……え、絶対そうだよね、あれ」
「……ありえない。……いや、ありえなくない、のか?」
「……さすがにだ……よな?」
「……まさかな。あの
「……出て正解だったな、これは」
足を進めながら、勝手に耳に入ってくるヒソヒソ話でカリナの提案が得策だったことを知る。
そのままドアを開けると、康太は広々とした廊下へと出た。
◇◇◇
「心臓に悪すぎる。本当に死ぬかと思った」
大学構内の端っこの方に位置する芝生広場でお尻を付きながら、康太は菓子パンを、カリナは康太が買ってくれたキャンディを頬張っていた。
「んふふ、みーんな私の話してた」
「だな。……って、やっぱざわめきに気付いてたのか」
「当たり前でしょ。私だって耳ついてるし。人間だし」
「……あのな。正常な人間なら、入ってもない大学の講義なんて受けないんだよ」
「そんなの知らないもん。大学なんて誰が入ってもバレないでしょ」
「……ったく」
理解出来ないカリナの言い分だが、実際にバレていない為に一定の説得力はある。不思議だ。
「そういや、ここに来るまでによく身バレしなかったな。意外と気付かないもんなのか?」
「まあね。キャップ深く被ってれば意外と気付かれない」
「へえ。そんなもんなんだな」
「うん。てか、あんただって私が隣に座るまで全然気付いてなかったじゃん」
「……まあそうだな」
「意外と気付かないもんなんだよね、みんな」
舌でキャンディを転がしながら、カリナは言う。
「まあ、会えるなんて思ってないからな」
「……え?」
「いや、会えると思ってる人なんかいないだろ。あの天宮カリナに」
康太がそう言うと、カリナは一瞬だけ微笑んだ。
「あんたは会えると思ってたの? 私に」
「んなわけない。仮にも日本で一番有名な女の子だし」
「……そっか」
会話が途切れ、風の音が2人の静寂を包み込む。
すると、カリナが勢い良く音を立てて芝生に寝転ぶ。
そのまま、口を開いた。
「……あんたはさ、私に会えたのに、何か特別な感情を抱かない訳? その、驕りとかそういうのじゃなくて、普通に気になるんだけど」
カリナの質問は、至極真っ当だった。
誰しも、有名人と会えるとなればテンションは上がる。
ましてやそれが人気女優、人気アイドルならば、緊張さえ生まれる程だ。
――とはいえ。
康太の答えは、1つしかない。
「別に。シェアハウスの同居人だとしか思ってないな」
康太の答えに、カリナは目を見開く。
そのまま、少しばかり固まった。
「ん? どうした? 喉に詰まったのか?」
「……ああ、んーん。何でもない。ちょっとボーッとしてた」
「そうか」
康太はそう言い、再び菓子パンを口に運ぶ。
すると、カリナが若干体を傾け、芝生に座る康太を寝ながら見上げるよう形になった。
「……何だ、食べたいのか、このパン」
「んーん。違う。別にいらない」
「……そうか。急にこっち向いたから、食べたいのかと思った」
「それは違うけど、何だと思う? 私が康太くんの方に向いた理由」
やはり、何かしら意味があったらしい。
しかしその答えは口にせず、カリナは康太へ言葉を委ねる。
「ええ……パンを食べたいんだろ? 正直に言えよ」
「正直に言うけど、全然いらない。美味しそうじゃないもん」
「何か傷つくな。他に理由なんてあるのか?」
康太が質問すると、カリナはニヤリと微笑む。
そして、言った。
「私と友達になってほしいなって思って」
カリナの言葉に、今度は康太が目を見開く。
「……友達? どうして急に?」
「理由なんているの?」
「いや、唐突すぎて。驚いた」
「友達になるのなんていつだって唐突だよ。で、答えは?」
ウキウキと、カリナは寝ながら上目遣いで康太を見る。
「……断ったら殺されるやつだな、これ」
「んふふ、よくお分かりで。じゃあ、友達契約成立ってことね」
「代償が重すぎるけどな」
「うるさい」
風が芝生を揺らし、康太が菓子パンを丁度食べ終わった時。
2人の友達契約は、ここに成立した。
「食べ終わった事だし、俺は次の講義あるから。カリナは真っ直ぐ家に帰れ」
「ふん。言われなくても分かってる」
そんな会話を交わしつつ、康太はカリナに背を向けて歩き出す。
すると――後ろから「ねえ」と声がかかった。
その声に応じ、康太は振り向くと、舐め切ったキャンディの棒をこちらへ向けながら、怪訝な表情を浮かべるカリナがいる。
「私に惚れたりしないでね」
カリナの言葉は、康太の予想の遥か上をいくものだった。
「……それはない。講義に乱入してくる変人だし」
康太が言うと、カリナは妖艶にニヤける。
そして、
「どうかな?」
それだけ言って、カリナは康太に背を向けて歩き出す。
「……なんだアイツ」
その姿を見送りつつ、康太も次の講義室へと、足を進めた。
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