第6話 君の名は希望 ①


 新たな世界に飛び込み、様々な出来事があった。

 ハウスメイトである佐藤虎雅と緒方太陽との出会い。

 同じくハウスメイトである少女推定カリナとの出会い。

 ――そしてその少女推定カリナが本人であることの発覚。


 まだ入居して一週間しか経過していないものの、内容の濃さで言えば一ヶ月だ。

 とにかく、良い意味でも悪い意味でも疲れるような。

 そんな一週間だった。


「――」


 その疲労に体を蝕まれた康太は、灰色の布団に身を包ませ、すやすやと心地良さそうな寝息を立てている。

 大学の入学式は順当に終わり、初回講義の開始日は明々後日しあさっての月曜日。

 ここで風邪を引いたり、何らかの病に罹るのを阻止する為にも、睡眠時間は確保しておきたいところだ。


「……っ」


 しかし、そんな願いも虚しく、康太はある異変に気付いてゆっくりと目を覚ます。

 重いまぶたを開けながら、若干ピントのズレた視界で時計に視線を送ると、短針は2時を指している。


「……こんな時間に……なんだこの音は」


 その異変の答え合わせをするように、起きたての耳をゆっくりと音の鳴るほうへシフトした。


 トントンと、階段を降りる音。


 階段が目の前にある康太の部屋には、誰かが階段を降りる音が聞こえやすいという弱点があった。

 

 堅苦しい真面目人間の康太は、幽霊など非科学的なものは全く信じないため、それは論外。

 そして、階段を降りる音の軽さからしても、虎雅と太陽の二人では無さそうだ。

 となれば――。


「……絶対アイツだろ……」


 その元凶は――天宮カリナであることを確信。


 初対面でパシリに使われたこと、何食わぬ顔で上から目線だったこと、そして現在。

 段々と溜まっていた鬱憤の作用で、康太は無意識に立ち上がった。


「……ほんとにムカつく。有名だったから何なんだ。だったら偉いのかよ」


 至極真っ当な事を言いながら、康太はゆっくりとドアノブに指をかける。

 そのまま、苛立つ心をその指へ乗せ、康太はドアノブを捻ると、ゆっくりと階段を降りていった。


 ◇◇◇


「……くそったれが。やっぱりアイツだった」


 階段を降り、康太はすぐに中庭に視線を送ると、やはりそこにはカリナの姿があった。


 相変わらず、白いイスに深く腰をかけ、腕を組みながら夜空を見上げている。

 その姿からしても、天宮カリナであることは間違いない。


「……はぁ。面倒くせえ。けどムカつくから仕方ないよな」


 そう言って、「ふぅ」と軽く一息吐き、康太は中庭へ続く窓へと足を進めると、勢いよくその窓を開け、中庭へ足を進めた。


 ガチャと、少しばかり深夜には似つかない音が響くと、カリナは康太の方へと振り向く。


「コイツ……」

 

 端正な顔を見て、康太は確信した、

 反省などしていない。

 他人の生活など気にも留めていない。

 平然と、普通に、当たり前のような顔で、カリナはその場に佇んでいる。

 足を組み、腕を組み、舌ではキャンディを転がして。

 ただただ無神経なカリナの姿。

 その姿を視界に入れると、康太の心の中はさらに苛立ちで埋め尽くされていく。


「……何時だと思ってんだよ、おい」

「何時って? 2時くらい?」

「もう一回言ってみろ、何時だ。夜の何時で、今は何をする時間なのか言ってみろ」

「何回聞くの? 深夜でしょ。時間なんて知らない」


 ただただ無愛想で、他人行儀なカリナの言葉。

 しかし、シェアハウスで共に住む以上、"同居人"であるのだ。

 

「普通の人間は何をしてる時間なのか聞いてんだよ」


 アイドルだったから何なんだ。

 世界的な人物だったから何なんだ。

 特別な人間だったから何なんだ。


 その思いの作用で発生する怒りに身を任せ、康太は言葉を強く言う。


「何その質問。普通の人は寝てるんじゃない? あ、でもあんたはここにいるしそれは違うのかな」

「違うって何だよ……」

「違うでしょ。だってあんた寝てないし」

「違うって何なんだよ!」


 いつまでも無神経なカリナに、康太は露骨に怒気を含めて言葉を発する。

 しかし、カリナはそんな康太などお構いなしに、そっぽを向いている。


「お前のせいで起きたって言ったらどうするんだ? 来週から講義も始まるし、ちゃんと睡眠取りたいのに、お前のせいで起きたって言ったらどうするんだよ」

「――」

「なあ、そもそもお前は熱があるんだろ? 何でそんなに動き回れるんだよ。誰かに移ったらどうするんだ? 責任取れんのか? おい」

「――」


 知り合ってまだ数日も経たない人間にキレるなど、シェアハウスの立ち回りとしては、絶対に不正解である。

 しかし、ここで鬱憤を溜めながらこれからの生活を送るくらいならば、ここで今、伝えるべきことを伝える方がいい。

 例えそれが――世界で重宝された存在だとしても。


「俺は夢を叶えるためにここに来たんだよ。邪魔をするな。熱があるなら安静にしてろ。他人に気を使え。それがシェアハウスのルールだろうが!」


 周りには迷惑にならない程度で、かつ相手にはしっかりと伝わるように康太は言う。 

 怒った反動で息を切らし、肩が揺れている。

 

 すると、カリナはゆっくりと振り返り、康太の方へ視線を向けた。


「――怒ってる?」


 意味不明な問いだった。

 むしろ、火に油を注ぐような、そんな問い。


「……は?」

「はやく答えて」

「見て分かんないのか?」

「分からない。だから聞いてるの」

「怒ってるだろ。どう考えても。お前に、お前だけに怒ってるんだよ」


 はっきりと言い切って、康太はカリナへ強い視線を送る。

 すると、カリナは「そう」と言いながら、おもむろに立ち上がった。


「何だよ。俺が間違ったこと言ってんのか」

「別に。あんたの言う通りだもん。私が悪い」

「意外と素直に認めるんだな」


 康太のおちょくりには目もくれず、カリナはおもむろな足取りで入口の窓へと向かう。


「ねえ」


 すると、康太の方には振り向かずに、カリナは窓のノブに指をかけた所で立ち止まった。


「……今度は何だ」

の話として聞いて」

「何だよ。怖いな」

「怖がらなくていいから」

「……はいはい。で、何だ」

「あのさ。私がもし、あんたの部屋の前でわざと足音を立ててたって言ったら、どうする?」


 意味不明な質問が康太へと飛んでいく。


「意味が分からないな。また俺を怒らせようとしてるのか?」

「だから言ったじゃん。の話として聞いてって」

「それが意味不明なんだよ。どうするもこうするもないだろ、そんな問い」

「……あっそ」

「はあ?」


 何故か不満げなカリナ。

 しかし、その真意が康太には分からず、どうすることも出来ない。


 ――すると、カリナは何故かと少しだけ悪戯に笑みを浮かべながら、康太の方へと振り向く。


「また明日ね、おやすみ」


 それだけ言い残し、カリナはシェアハウスの中へと姿を消した。


「……」


 中庭で冷たい風に吹かれ、いつの間にか眠気も覚めてしまったことを康太は自覚する。


 カリナが簡単に誰かに心を開くような人間では無いことくらい、オタクではない康太でも容易に分かる。

 歩んできた人生から見ても、それは確実に。

 

 故に、『あんたの部屋の前でわざと足音を立ててた』というカリナの言葉が、康太の思考の歯車を掻き乱していた。

 額面通りに受け取るならば、それは完全に『かまってちゃん』の行動だ。

 しかし、カリナに限ってそんなことは絶対にありえない。


「……言い過ぎたのか、俺」


 思考の終着点に辿り着き、康太はため息を吐く。

 それは、『言い過ぎた』ということ。


 ストレスに身を任せた結果、怒気も過剰に強くなって、言葉遣いも女子に向けるものでは無くなってしまった。

 思い返せば、『お前』だとか、『おい』だとか、普段なら親しくない人間には絶対に使わない言葉だ。

 故に、その言葉を直に放たれたカリナは、傷付いていることを隠すためにも、意味不明な言動で康太を掻き乱し、誤魔化していたのかもしれない。

 あのプライドが高そうな性格を鑑みても、ありえない事では無さそうだ。

 そう考えれば、最後にニヤリと笑ったことも辻褄が合う。


「……言い過ぎたな、完全に」


 若干の後悔が生まれた所で、康太もシェアハウスの中へと姿を消した。

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