第5話 強がり


 時刻は23時を回った。

 気温は更に冷え込み、厚めのパーカーでも少し肌寒い。

 そんな中、康太はコンビニからの帰路についていた。


「飲酒したくせに『苦いの買ってきたら殺す』って……。虎雅のお化け嫌いと同じレベルで意味が分からない」

 

『プリン味』のキャンディを見つめ歩きながら、康太は困ったように呟く。


「大体な、『買ってきてくれませんか』だろ。何だ『殺す』って。俺が警察になったら真っ先に脅迫罪で逮捕してやる」


 パーカーのポケットに手を入れ、コツコツと石を蹴飛ばしながら、康太は愚痴る。

 カリナが世界的な人物だろうが、アイドルだろうが、今現在はその表舞台から姿を消したのも事実。

 故に、立場も年齢も対等だ。


「……ま、最初からタメ口使った俺も同罪か」


 そう結論付け、康太は顔を上げた――その時だった。


「……は?」


 シェアハウスまで残り数十メートル。

 曲がり角を曲がり、少し歩けばそこへ到着するという所で、康太は思わず足を止める。

 それも、そのはずだった。


「何してるんだ……?」


 少し突出した民家の塀。

 一人の人間が座れる程度の場所に、本当に一人の人間が座っている。

 ――それも、黒髪のウルフカットを風に靡かせ、キャンディを咥え、鼻をすすりながら。


 目を凝らしながら、康太はその場所へおもむろに足を進める。

 全容をはっきりと捉える事が出来る場所まで足を進めると、康太は一度立ち止まった。


「……泣いてるのか」


 それは、紛れもなくカリナだ。

 そして、月に照らされて眼下辺りから涙痕が下へ伸びている事からも、泣いていたことは容易に想像出来る。

 康太は「ふぅ」と息を吐き、レジ袋の音を鳴らしながらカリナの方へと再び足を進めた。


「何してるんだ」


 目の前まで来たところで、康太は声をかける。

 その声に、カリナはおもむろに顔を上げる。

 やはり、その猫目は赤くなり、まぶたには濡れ感があった。


「……今度こそバカにしにきたんだね」

「あのな……。あっちこっちで黄昏て泣いて、そろそろ風邪引くぞ」

「……別に泣いてない。仮に泣いてたとして、あんたに関係ないでしょ」

「それは確かに無いかもな。ただ、こんな寒いのにスウェット一枚で泣いている奴を、見放しに出来るわけないだろ」


 見る限り、カリナの服装は完全に秋モード。

 薄いトレーナーに、薄いスウェットパンツという完全に季節外れな格好だった。


「……いらないよ、そんな薄っぺらい優しさ」 

「いらなくない。これでも夢は警察官なんだ」

「……あっそ。私は一人になりたかったから外に出てきただけ。あんたが来たし、部屋に戻ろうかな。さっさと買ってきたキャンディー寄越して」


 カリナはそう言うと、座っていた塀に手を付き、体重を乗せて立ち上がろうとする。

 しかし、その動作は途中で止まり、再び辛そうに座り込んだ。


「どうした?」


 その行動に、康太は不思議そうに問う。


「……なんでもない。早く戻りなよ」

「なんでもないわけないだろ」

「……なんでもないから。本当に」


 頑なにその場を動こうとしないカリナ。

 すると、ふいに康太は"ある事"を思い出した。


「あ。そういえばさっき階段で腕掴んだ時、異常に体温高かったな」


 康太がそう言うと、カリナは図星をつかれたように下を向く。


「ほらな、言わんこっちゃない。風邪引いてるんだろ」

「……うるさ」

「心配してやってるんだ。お礼の一つくらい言え」

「……頼んでない」


 そう言うカリナは、尚も辛そうに座り込んでいる。


「ま。それはそうだな。で、どうやって戻るつもりなんだ? 家まではあと50メートルくらいあるぞ」

「……一人で歩いて戻る」

「立つことも出来ないのに?」

「……本当にうるさい。立てるし」


 そう言いながら、カリナは再び立とうとする。

 しかし体は正直で、腰を上げようとした所で再び座り込んでしまった。


「体は正直だな。じゃあ、俺は帰るから。自分で戻るって言ったからには頑張れよ」


 そんなカリナを横目で流しつつ、康太は再び帰路につく。

 パシリに使われた苛立ちもあり、その行動に容赦は無かった。


「……ねえ」


 5歩程、足を進めた時。

 康太の背中に、カリナの声が届いた。


「なんだ」


 康太がおもむろに振り返ると、小さく手を広げて、潤った瞳で康太を見つめるカリナがいた。


「おんぶして」

「……ん?」

「家の前まででいいから」

「……」

「文句ある? それ以外に方法なんて無いでしょ」

「それはそうだが……嫌じゃないのかって思ってな」

「嫌だよ。けど今はそれしか方法が無いじゃん。頭痛くなってきたから、早くして」

「はっきり『嫌』って言われるこっちの身にもなれ。する気が失せる」

「……へえ。じゃああんたは、困ってる人をそのままにするんだね。夢は警察官って語ってたくせに」

「まったく……。ああ言えばこう言うな。素直に『してください』って言えないのか?」

「……」

「黙りやがったな。……まあいいよ、そこにいて」

 

 そんなカリナに、康太は少々ご立腹。

 とはいえ、最初から見放す気は無かったので、康太はさっさとカリナの元へ向かった。


 中腰になり、塀に座るカリナを背中で迎え入れる姿勢を康太は取る。


「優しく乗ってくれよ」

「……無駄な要望をしないで。私は体調を崩してるの」

「……はいはい」


 そんな会話を挟みつつ、カリナはゆっくりと康太の背中へと乗る。


「立つぞ」

「……うん」

「よい……っと……って、乗ってる?」

「……当たり前でしょ。早く行って」

「……ったく」


 あまりにも軽すぎるカリナの体重。

 流石と言いたくなる所だが、今の康太には鬱憤の方が多いため、褒め言葉が口から出ることはない。


 そのままカリナを背中に乗せ、ほんの少し歩いた所で、カリナが口を開いた。


「……どうして私の居場所が分かったの?」

「たまたま帰り道にいたんだ。探してた訳じゃない」

「……違うよ。そうじゃなくて。何で私の住んでる場所が分かったのって。ストーカーでもしてた?」

「……そんなわけあるか。それもたまたまだ。俺は

アイドルに興味ないって言っただろ」

「ちょっと答えるのに時間があったけど?」

「本当に違う。変な勘違いするな」


 ザザザと、サンダルでコンクリートを踏む音を鳴らしながら、二人の会話は進む。


「しかも……目立つ所にを付けてるじゃん」

「友達の形見的なやつだ。俺のじゃない」

「……ふーん。じゃああんたは『NOVA』には興味が無いの?」

「ずっとそう言ってる。勉強が趣味で、好きなものは特にない」

「……本当に平凡なんだね、あんたは」

「まあ、そうだな。ただただ平和に暮らしてるだけの、平凡な人間だよ」


 康太がそう言うと、カリナがふっと顔の力を抜き、康太の背中へ顔を預ける。


「……平凡人間さんのお名前は? なんて言うの?」


 カリナの意外な質問に、康太は一瞬だけ立ち止まった。


「……なに、急に止まって。びっくりするんだけど」

「……あ、いや。何でもない。悪かった」

 

 ――『別にあんたと仲良くなる気も無いし、私は知らなくていい』


 という、階段前で聞いたカリナの言葉を思い出したからだ。

 

「で、俺の名前が知りたいのか? 急に?」

「……別にいいじゃん。教えてよ。興味は無いけど聞くのは私の自由でしょ」

「……篠塚康太だ」

「……ふーん」


 とはいえ、その事について追及する気にもなれず、康太は再び歩き出した。 

 

「えっと……"天宮カリナ"でいいんだよな……?」


 改めて名前を確認しようと口に出すと、その異常性に康太は若干戸惑う。

 しかし、カリナが拒否することはない。


「……分かってるくせにさ。何回聞かれればいいんだろうね私は」

「いや……改めて考えると相当やばいだろ、この状況。信じ難いにも程がある」

「……何でよ。私だって人間だし、体調くらい崩すよ」

「その、そういうことじゃなくてだな。君をおんぶしてるのが非現実的過ぎるって話だ……って痛った! 何するんだよ!」


 康太が言うと、カリナは唐突に康太の背中に自分のおでこを勢いよく当てた。 

 

「君って呼んだ罰。私、その呼ばれ方好きじゃない」

「……なんだよ急に」

「分からなかった? 君じゃなくて"カリナ"って呼んでって言ってるの」


 カリナの要求に、康太は歩きながら目を見開く。

 

「……まじで言ってるのか? それ」

「まじ。大まじ。超まじ」

「そりゃレベルが高いだろ……。まだ仲良くもなってないのに、いきなり下の名前って」

「意味がわからない。私がそう呼んでって言ってるんだから、素直に聞けばいいの」

「それがレベル高いって言ってんだ。……というか、そっちだって嫌だろ」

「……あのさ。私を誰だと思ってるの? あの"天宮カリナ"だよ」


 ナルシスト的なカリナの物言いだが、実績で言えば"あの"という連体詞で収まるレベルでは無い。

 故に、康太の頭の中は未だに信じ難い感情で一杯だった。

 

「あのってそりゃ……『NOVA』に居た天宮カリナだよな?」

「そうだって。夢だと思ってるなら、今ここであんたの頭ぶん殴ってもいいんだけど」

「……それはやめろ。寒いし痛いし怖いし避けられないし」

「とりあえず、あんた如きに下の名前で呼ばれたって今更ときめく訳ないの。分かる? ばか」


 容赦ない物言いに、康太の心にはズバズバと槍が刺さる。

 

「……まあ、そうか。色んな人間にあだ名で呼ばれる職業だったもんな。今更って話か、確かに」


 そう結論付けると、いつの間にかシェアハウス前へと着いていた。


「ほら、ゆっくり降りろよ」


 玄関前で再び中腰になる康太。


「言われなくても分かってる」


 それに応じ、カリナは辛そうに康太の背中から降りる。


「じゃ、お大事にな……って、無視かよ」


 気付けば、カリナはさっさと玄関へと歩いていた。

 すると、カリナは玄関のドアノブに手を当てた所で立ち止まり、康太の方へ振り返った。


「……そのキャンディはあんたにあげる。助けてくれたお礼ってことで。名前は……忘れても文句言わないでね」


 そう言って、カリナはドアを開け、中へと消えていった。


「……ったく。そもそも俺の金で買ったもんだろ。てか、『ありがとう』って普通に言えないのかあの女は。早速嫌いになりそうだ」


 その華奢な姿を見送りながらも、隠しきれない苛立ちを見せる康太。


「しかしまあ……俺の名前を聞いてくるとは。平凡人間とも仲良くする気はあるんだな、スーパースターあいつにも」


 康太は静かに呟く。


「ま、いいや。寒くなってきたし、さっさと布団戻るか」


 そう呟いて、康太はシェアハウスの扉をゆっくりと開けた。

 

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