第3話 接触


「篠塚くん。入居者みんな集まったみたいだから、食堂に来てくれる?」


 入居してから一週間が経った頃の金曜日。

 自室で暇つぶしに勉強をしていた康太の元へ、大家さんである白髪混じりの中年女性から声がかかった。


 あれからの一週間というもの、康太は中庭で見た美少女とも会うことはなく(自室でひたすら勉強していたからだが)、気にも留めることは無かった。

 とはいえ、こうして初めての対面式となれば、その気持ちには少なからず動揺と緊張が出てくる。


「……分かりました。すぐ行きます」


 何より、リュックサックには"天宮カリナの缶バッジ"が付いている。

 

 仮に、あの時中庭で見た美少女が天宮カリナ本人で、康太の缶バッジの存在に気づいた場合。


 アイドルに無関心な康太にとっての不安材料は、ファンとしての気恥しさだとか、オタクとしての気まずさだとかではなく、シンプルに友達になり辛いという点だけ。

 それは、シェアハウスで共に過ごしていく上で致命的だ。


「……まあ、あの人に俺のリュックさえ見せなきゃ大丈夫か」


 そう結論付け、康太はゆっくりと自室のドアを開けた。


 ◇◇◇


「はい! みんな集まったかな!」


 1階、リビングの中央部分に鎮座する木目調のダイニングテーブル。それを取り囲む"4つ"のダイニングチェアに、"3人"の男子が腰を下ろしていた。

 肝心なあの美少女はいないが、缶バッジが確定でバレないならば、それはそれで良いだろう。


「……」

「……」

「……」


 左手に座る康太、その対面に座る2人の男子。

 各々が緊張で硬直しており、リビングには堅苦しい雰囲気が流れている。


「ほらほら、一緒に住むんだから。そんなに緊張しないの」


 その雰囲気を壊すように、大家さんがパンパンと手を叩く。


「じゃあ、まずはそれぞれ自己紹介してみよっか。学部と名前と趣味! 篠塚くんから言ってみよう!」

「え……俺からですか……」

「だって、この感じだと誰も言わないじゃない。男の子だってのに、みーんなガチガチだし」

「まあそうですね……」


 大家さんからの唐突な指名に納得し、康太はおもむろに立ち上がる。

 そして、「ふぅ」と一息吐いてから、自己紹介を始めた。


「法学部に入ります、篠塚康太です。趣味は……勉強ですかね。よろしくお願いします」


 頭を下げ、一拍置いて頭を上げた所で、康太は対面に座る2人の男子へと視線を送る。


「……って、なんすかその目。俺の自己紹介、何か変でした?」


 ありえないほどに驚きの目線を送られている事に、康太は不思議そうに問う。


「いやいや……勉強が趣味のイケメンって、そんなドMこの世に存在するわけねえだろ」

「どういうこと? え? まさか康太くん、クローン人間だったりする……?」


 対面の2人は心底怪訝な目線を送っている。


「ど、ドM!? いやいや、どちらかと言えばSですよ、俺」

「おいおい……尚更そんな人間いるか不思議に思えてくるぜ……」

「その通りだね……」


 尚も変わらない2人の視線に康太が驚いていると、その2人は拳を前に突き出した。

 

「ま、よろしくな。康太」

「よろしくね、康太くん」


 微笑む2人。

 その拳に呼応するように、康太は2人の拳に順番にタッチする。


「じゃあ次は……オレの番だな」


 すると、康太の対面、左側に座るフェードカットの爽やかな男の子が立ち上がる。


「文学部に入る、佐藤虎雅さとうこうがだ。趣味は筋トレ。よろしく頼むよ」

「見るからにガタイ良いな」

「だろ? 筋肉破壊しまくって再生させまくったんだよ。オレの筋肉も喜んでるぜ」


 そう言って、虎雅は上腕二頭筋をゴツゴツと叩く。

 確かに、盛り上がり方が常人ではない。

 

「そりゃすごい……っておい、それでよく俺の事ドMとか言えたな!?」

「がはは、うるせえ」

 

 茶々を入れる康太に、虎雅は笑う。

 それを見て、右手側に座るもう1人の男の子も微笑んだ。


「虎雅くんね、よろしく」

「よろしく、虎雅」

「おう!」


 再び、拳でのハイタッチを終えると、残る1人の男の子がおもむろに立ち上がる。


「僕は心理学部に入る予定の、緒方太陽おがたたいようです。趣味は……焼肉めぐりかな。見ての通り、そのせいでお腹が出てきちゃってるんですけどあははは」


 ポンポンと、太陽は自らのお腹を叩きながら豪快な音を鳴らしている。


「いいな。焼肉は俺もよく行くよ」

「お、まじで!? なんで太らないの!?」

「いや、そこは『好きなお肉は!?』とか聞くのが相場だろーが。ちなみにオレも焼肉は好きだぜ」

「おお! 虎雅くんも! なんで太らないんだ!」

「……以下同文だな」


 ループが始まりそうな所を康太が抑え、3人の自己紹介は無事に終了。

 すると、大家さんがパチンと手を叩き、視線を注目させた。


「よし! 自己紹介も無事に終了したことだし、後は自由に過ごしてもらって構わないから。ルールも特には設けないから、みんなで過ごしやすい環境にしてね」


 微笑みながら、大家さんが言う。

 すると、虎雅が「そういや」と前置きして、


「何で椅子は4つなんだ? もう1人いるのか?」


 と、大家さんへと問う。

 その問いに、大家さんの表情は何故か徐々に困ったような表情になっていく。


「あー……まあ、うん。いるよ」

「はあ!? いるのかよ! そいつはどこ行ったんだ! 大事な対面式だってのに! 幽霊とかはゴメンだぞ!」

「まあまあ、虎雅くん落ち着いて。僕も気になるから、ゆっくり話を聞こうよ」

「だな。太陽の言う通りだ、虎雅」

「……そうだな。悪かった」


 騒ぐ虎雅を、太陽と康太が優しく抑える。

 それを確認してから、大家さんはゆっくりと口を開いた。


「あそこ、見て」


 大家さんは中庭へ続く窓ガラスに指を差す。

 それを追うように、三人は視線をそこへ。

「――」

「――」

「――」


 康太の、否、三人の視界に映るのは、夕日を見つめ黄昏ている一人の少女。

 その容姿は――あの日、康太が見た姿と全く一緒だ。


「……色々事情があってね、あの子。大学にも通ってる訳じゃないの。それに、本人から『いつか私から名乗るから、名前は言わないで』って言われてる。だから……知りたかったら各自で接触してみて。まあ、見た瞬間に分かるとは思うんだけど」

「見た瞬間に分かるって……んだそれ、有名人か?」

「……まあ、そんな所ね。じゃあ、私は帰るから、平和に過ごすように。何かあったらキッチンに私の電話番号があるから、連絡してちょうだい。ルールは……『気を使う』こと。それだけ!」


 虎雅の問いにはっきりと答えは言わず、大家さんはリビングを後にした。


 大家さんが居なくなり、リビングには3人の姿、そして中庭には1人の少女。


「何だよアイツ、何か怖ぇな……」

「だね……本当に幽霊だったりして……!?」

「おい、幽霊はまじでゴメンだぞ!? 本当に部屋に引きこもるからな、オレ!」

「その体つきで言うセリフでは無いな……」


 康太が虎雅の意外な弱点に笑いつつ、3人はしばらく談笑し、関係を深めた。


 ◇◇◇


 時刻は22時を回り、窓から差し込む自然光は月光だけとなった。

 眠りにつく人間もちらほらと出始める時間帯だ。


「結局……これ、意味無かったな」


 ベッドの前に置かれたリュックサック、それに付く天宮カリナの缶バッジを見ながら、康太は呟く。


 自己紹介をした際、想像よりも遥かにコミュニケーション能力が高い住人達に出会った事もあり、関係構築は円滑に進んだ。

 それどころか、『NOVA』オタクは1人も居なかった。


「とはいえ、きっかけを作ろうとしてくれた風雅には感謝しないとな。さ、歯磨きでもいくか」


 そう言って、康太はリュックから歯ブラシセットを取り出そうとする。

 しかし、歯ブラシセットは手探りでも見つからない。


「あれ……持ってきたはずなんだけどな……」


 隅々まで指先を当てるも、それは無い。

 つまり、立派な忘れ物だ。


「はぁ。やっぱり忘れ物してたか」


 康太は自分のだらしなさを叱責する。

 そして、母親へ『送ってほしい』と連絡しようとした所で、手を止めた。


「……いや、どう考えても送ってもらう程の物じゃないよな」


 母親の手間や送料には、『歯磨きセット1つ』はどう考えても見合っていない。

 それを康太は確認すると、ゆっくりと立ち上がる。

 

「買いに行くかー、寒いけど。ついでにおやつも買い溜めておこう、太陽も食うだろうし」


 そう言って、康太は"リュックサック"を背負い、自らの部屋を後に。


 ドアを開けると、すぐに階段はある。

 足を進め、相変わらず豪華な雰囲気を醸し出している階段を、スマホを触りながらゆっくりと下りきった時。


「あ」


 前方に存在感を感じ、ふと顔を上げる。

 そして、その存在感の招待を康太は視界に入れると、驚きのあまりに声を出す。

 それも、そのはずだった。


「――」

 

 身長は170センチと少しばかりだろうか。

 それでいて、股下にはスラッと長い足が伸びている。

 そして何より、顔の小ささ、パーツ、配置。

 全てにおいて、それは"完璧"を超えている。


 アイドルに無関心な康太でも――「美人だ」と痛感する程に。


 そんな完全無欠の推定カリナ少女が、康太の前には立っていた。


「――何? そんなジロジロ見て。ストーカー?」


 ロリポップ型の小さなキャンディを舐めながら、推定カリナ少女は怪訝な目付きで康太を睨む。

 若干猫目であることも相まって、威圧感は半端ない。


「……忘れ物したからコンビニに行こうと思ってたら急に出てきて驚いたんだ」

「へえ。まあどうでもいい。どいて」


 他所よそしい態度を続ける推定カリナ少女

 そのまま、推定カリナ少女が康太の横を通り過ぎようとした時、康太は言った。


「天宮カリナ、か?」


 康太の問いで、二人の間の空気はどんよりと重くなる。


「――そうだけど?」


 一瞬、カリナは目を見開いた後、再び淡白な口調でその答えを口にする。

 やはり、康太の思惑通り、あの日あの時あの場所で見た美少女は――天宮カリナだった。

  

「やっぱそうだったのか……。別に、なにとかは無い。ただ、君もここに住んでる一人だろ。名前くらいは確認しておこうと思ってな」

「そう。別にあんたと仲良くなる気も無いし、私は知らなくていいかな」


 そう言って、カリナは再び康太の横を通ろうと足を進める。

 すると、康太は強引にカリナの腕を掴んだ。


「やっぱり、ちゃんと名乗ってくれ。いつまでも距離を置くのはお互いに得策じゃないはずだ。名前くらいいいだろ」


 腕を掴まれたカリナは、特に康太の方へ振り返ることも無く、淡々と話を進める。

 

「得策かどうかは過ごしてみて決まるの。この時点で断言するなんて、頭が堅いね。それに、私は天宮カリナだって何回言ったら分かるの?」

「堅い人間とはよく言われる。が、間違ってることは言ってないはずだ。君から名乗ったのも今ので初めてだろ」

「合ってるとか間違ってるとかどうでもいいから。あとさ」


 そう言って、カリナはおもむろに康太の方へ振り返る。


「気安く私に触らな……」


 しかし、言い切る前に少女は目を見開いて固まった。

 視線の先にあるのは、康太のリュックサックに付く――天宮カリナ、否、自分自身の缶バッジ。


「あ……いや、これはその、俺のじゃな……」

「……わざわざここまで、私をバカにしにきたの?」


 途端に、カリナの声は弱々しくなる。

 とはいえ、それをこの状況で追及する気にはさすがになれず、康太は続ける。

 

「それは……悪かった。さすがに無頓着だった。けど……」

「けど?」

「断じてバカにしてるわけじゃない。むしろ、平凡人間の俺は、誰かに希望を与えてる君を憧れたことだってあるくらいだ」


 康太がそう言うと、カリナはキャンディから口を離し、「はぁ」と、それを康太の方へと向けた。


「……何だ」

「別に。味に飽きただけ」

「確かにもう舐め終わりそうだな」

「だね、ちょうどいいや。コンビニ行くならキャンディを一本買ってきてよ。味は甘め。『コーヒー味』とか苦いの買ってきたら……殺すから」

「どうでもいいって言ってたのに、俺がコンビニ行く事は覚えてたんだな」

「頬を殴られたくなかったらそれ以上無駄な事を言わないで。さっさと買ってきてばか」

「……はいはい。もう少し頼む態度を考えてくれてもいいんだけどな」


 唐突なパシリに苛立ちつつ、それを悟られないように康太は視線を逸らす。

 そうして、カリナは返事もしないまま、階段をゆっくりと上がっていった。


 一人になった階段前。

 あの日、あの時、全世界を虜にさせた伝説のアイドル――の姿とはかけ離れていた対応に、康太は一つため息を吐いた。それも、悪い意味で。


 しかし、この時はまだ知る由もなかった。

 ――後に待ち受ける、更なる修羅場を。 


 

 

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