第2話 人影


 時は経ち、3月中旬になった。

 時期的には卒業シーズン。言い換えれば、新生活への準備の期間。最も切なく、忙しい季節と言っても過言では無い。

 無論、それは無事に卒業式を終えた康太にとっても例外では無かった。


「康太〜! これは持ってくの〜?」


 翌日に控えたシェアハウスへの入居。

 その準備を進めていると、1階から陽気な母親の声が康太の耳元へ届く。


「これって何だ! 2階にいるから分からん!」

「これよこれ! 缶バッジがついたリュックサック!」

「缶バッジって?」

の!」

「あ……」


 母親からのおぞましい言葉に、康太の表情は一瞬で凍る。

 が、時すでに遅し。

 

「てか! あんたいつから『天宮カリナ』なんて好きになったのよ! 同い年だからって狙ってるんじゃないでしょうね!」

「……はぁ。めんどくさい事になった」

「ちょっと! 聞いてんの!? 康太!?」

「何言ってんだ! 狙うわけないだろ! そもそも会うことすら不可能だ!」

「あっそ! ならいいけど! ここに置いとくわね」

「はいはい! っていつの間に俺の部屋にいる!?」


 忍者の如く階段を上がってきていた母親に驚きつつ、ドアの前に置かれたリュックサックにしっかりと天宮カリナの缶バッジが付いている事を確認。

 そして、母親は再び忍者の如く、階段を下っていった。

 


「……しかしまあ、俺の親の世代すら知ってるなんてな。さすがだな、は」


 カリナの缶バッジを見ながら、何となく康太はそんなことを思う。

 すると、テーブルの上に置いていたスマホから着信音が響いた。


「ん」


 スマホを手に取り、画面を見る。

 そこには『久保風雅』の文字だ。


「もしもし?」

『あ、もしもーし。風雅だけど』

「おう。どうした?」

「準備は順調かなーって思ってさ」


 康太が電話に出ると、風雅の嬉しそうな声色がスマホの向こうから返ってくる。

 

「うん、まあ。大きい荷物は先に送ってあるし、小さい荷物だけだからそんなに苦じゃないな」

『そっかそっか。何かトラブルでも起きてないか心配になっちゃってさ』

「トラブル……あ。さっきお母さんに『天宮カリナ』の缶バッジを見られたぞ」

『トラブルの意味知ってる? それは僕の布教作戦が成功してるってことだから、トラブルでも何でも無いよ? 寧ろ超順調!』

「んだそれ。勝手にそんな作戦遂行するな。てか年齢層どうなってんだよ」

『ふはは! ともかく、康太が順調そうなら良かったよ。僕はどんどん寂しくなってくるけどね』


 少しだけトーンが下がった風雅の声色。

 とはいえ、気にするほどでは無い。


「『NOVA』はまだ推し続けるのか?」


 天宮カリナが脱退した今、何となく康太はそんなことが気になった。


『まあ、そりゃそうだろ! カリナが抜けたのは悲しいけど、だからってオタク降りるのは他のメンバーが悲しむだけだし!』

「そうか。お前はオタクの鏡だな、本当に」

『そりゃどうも! オタク冥利に尽きます!』


 風雅がそう言うと、『あ!』と何かを思い出したように前置きし、続ける。


『そういえば、カリナの缶バッジは外してないんだよな!? なんかトラブル扱いしてたけど!?』


 露骨に焦るような声色になる風雅に、康太は「ふっ」と笑う。

 

「外してないよ。だからお母さんに見つかったんだ」

『……ふぅ。それなら良かった。ちゃんと付けてよ』

「はいはい。じゃあ、俺は準備進めるからまた後でな」

『はーい。またねー』


 そうして、康太はスマホの画面を見つめ、一瞬の間を置いてからゆっくりと通話を切る。

 通話終了の音が部屋に静かに響く。軽く息を吐きながら、康太はスマホをテーブルに置くと、リュックに付いているカリナの缶バッジを見つめる。

 すると、一つの"ある事"が頭の中に浮かんだ。

 

「――"未成年飲酒"、か。しかし不思議だな。あれほど核的な存在なら、事務所やら周囲の人間やらが根こそぎ監視してそうな気もするが」


『天宮カリナ』ともなれば、その名前だけでも経済効果や宣伝効果は計り知れない。

 中枢的な存在である事は、事務所自身が最も把握していたはず。

 それなのに、『未成年飲酒』などという、監視次第では幾らでも阻止出来そうな不祥事を起こすのだろうか。

 ふと、そんなことが康太の中では引っかかった。


「……まあどうでもいいか。縁もゆかりもない俺が気にすることでもないな」


 そう結論付け、康太はカリナの缶バッジから視線を外し、再び準備に取りかかった。


 ◇◇◇


 入居当日の金曜日。 

 都内から3時間ほど車を走らせ、建物の喧騒感も程よく抑えられた場所に、入居先であるシェアハウスは建っている。

 到着した頃には日は落ちかけ、空はオレンジ色に包まれていた。


「ここに住むのか……」


 一通りの整理を終え、改めてシェアハウスを正面から見た康太は感嘆の息を漏らす。


シェアハウスの外観は、どこかヨーロッパの街角にありそうな、スタイリッシュな洋風デザインが目を引く。

 白い壁に沿って、黒い鉄製のバルコニーがアクセントを加え、広々としたガラス窓が光をたっぷりと取り込んでいる。

 屋根は緩やかな傾斜がついたモダンなデザインで、玄関にはシンプルながらも洗練された木製のドアが鎮座している。全体的に落ち着いた雰囲気を漂わせながらも、どこか高級感を感じさせる造りだ。  


「どう? 実感湧いてきた?」


 そんな康太を「ふふ」と笑いながら、隣に立つ母親が康太に問う。


「これだけ大きいと、逆に湧かないな……我が家が小さすぎたのか」

「ナチュラルにディスらないでくれます?」

「あはは、嘘だよ嘘」

「まったく。とりあえず、勉強頑張るのよ。その為にここに入るんだから」


 ポンと、康太の肩を母親が叩く。

 その言葉に「はいよ」と康太も微笑むと、母親は「うふふ」と微笑み返した。


「じゃあ、お母さんは帰るからね。ルームメイトとも上手くやるのよ」

「……おう」


 どこか哀愁が漂う母親の顔を見ながら、康太は返事をする。

 その返事を聞き、母親はゆっくりと車へと歩き出した。


「母さん!」


 母親が車に乗り込もうとした所で、康太は大きな声で呼び止める。


「……ん? 忘れ物でもした? 学校始まるの再来週の月曜日だし、実家から送るのも全然間に合うよ?」


 その声に反応し、おもむろに康太の方へ振り返る母親。

 そして、母親の顔を見ながら、康太は言った。


「今まで、色々とお世話になった。本当にありがとう。俺、ちゃんと夢のために頑張るから!」

「――」


 康太の決意に、母親の目にはうるうると綺麗な涙が溜まっていく。

 そして、涙のダムが決壊する前に、母親は大きく手を振った。


「まったくもう、頑張るのよ! 帰ってくる時は笑顔でね!」


 そう言って、母親はおもむろに車へ乗り込み、キーを回して、寂しさをエンジン音で上書きする。


「優しい子に育てるのが上手いのね、私ったら」


 シェアハウスの玄関を開け、新たな世界に飛び込んでいく息子を車の中から見送りながら、母親はポツンと呟いた。


 ◇◇◇


「――」


 木製のドアを開けると、シェアハウスの内観が康太の視界を染める。

 見るのは初めてでは無いものの、何度観ても新鮮だ。


 まず目に飛び込んでくるのは広々とした開放的な空間。正面にはダイニングエリアが広がっていて、木目調の長テーブルが中央に配置されている。テーブルの上にはシンプルなデザインのランプが置かれ、落ち着いた雰囲気。

 左手には、中庭に続く大きなガラス窓があり、自然光が差し込んで部屋全体を明るくしている。

 そして、右手には一際目を引く大きな階段が堂々と佇んでいる。階段は美しい木製の手すりが特徴で、上品にカーブを描きながら2階へと続いていた。

 まるで城のような造りでありながらも、どこか温かみを感じさせる空間だ。


「うし、とりあえず部屋戻るか」


 改めて、新生活に対する決意を固めながら、康太は広々とした空間に足を踏み入れる。

 一歩踏み込み、何気なく中庭へ続く窓に視線をやった――その時だった。


「――ん?」


 そのガラス越しに映るのは、夕景を見ながら黄昏たそがれている一人の少女。

 そしてその人影に――康太はやけに見覚えがあった。

 

 離れていても分かる、艶めいた黒髪のウルフカット。

 推定8頭身から織りなされる、抜群のスタイル。

 夕日のオレンジ色に引けを取らない、色白の肌。


 "見覚え"の全てに当てはまり、一分の隙がない程に想像の人物へとマッチしていく。


「まさか……な」


 康太は背負っていたリュックサックをおもむろに床へ下ろし、想像の人物――"天宮カリナ"がプリントされた缶バッジを見ながら、ポツンと呟く。


 ――その"まさか"が、"まさか"であることには気付かずに。

 

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