Episode1.神代流哉は後悔している『その壱』 屋上と紫煙と

 神代流哉は現在、日本の大学に来た事を後悔している。


 春の新学期から父親が探してくれた海之輪うみのわ市内にある大学に所属する事となったが、どうして日本の大学とはこうもレベルが低いのか。

 講義の内容といい、通っている人間の質といい。


 流哉は他人からの干渉を良しとしない。

 故に中等教育の三年間は留学もしたし、高等学校から先の進学先としては海外を選んだというのに……日本を離れてから五年も経つというのに、人も環境も何も変わらない。


 ただ一人、昼休みの屋上で空を見上げていた。


 何故、こんな姿をさらしているのかというと、ことの発端は春、この大学に来た初日にある。

 正確には学生として入学したのではなく、別の大学から招かれた研究員の一人として私立宇深之輪うみのわ大学を訪れた。

 友人と言うにはそこまで親しい間柄ではなく、知人と呼ぶのが相応しい程度の付き合いの友人もなく、父親の持ってきた話しを都合が良いと思い引き受けた。


 わざわざ学生として所属するよりは、研究員という立場の方が色々と都合がいい。

 何故、中東の戦場で会ったのが最後だった立花楓たちばなかえでが、日本の、それも流哉の故郷である海之輪市にある大学で教鞭きょうべんをとっているのかは分からないが……


「あと一本、あと一本だけと思いながら早十数本……煙草タバコもそろそろ終わりか」

 

 ボックスの中を覗き込み、先程火をつけた煙草が最後の一本であった事を知る。

 大学という組織に所属した初日の昼間から、大学の構内では見知らぬ女子生徒に声をかけられ、囲まれた。

 休む暇などないほどに……


 夜は冬城夫妻からの依頼をこなしていた。冬城とうじょう燈華とうかの観察と見極めに予想以上に時間を浪費していた。


 大学ここに来てから一ヶ月ほど経過した最近は、昼は追いかける女学生をあしらい、夜は危なっかしいお嬢様の監視をする毎日。

 正直、色々と限界が来ていた。


“そもそも、何でオレが、魔法使いがこんな、無様な姿を曝さなきゃならんのだ”


 魔法使い。杖を振ったり、箒に跨って空を飛んだり、お菓子の家に住んでいたりする童話の登場人物。

 魔女と呼ばれる童話や御伽噺の登場人物から、歴史に名を残す人物までいる。

 童話に出てくるようなものとは違うし、歴史に名を残すようなのとも違うが、これでも神秘を行使する魔法使いの一人だ。


 屋上で情けない自信の姿に深い溜息を吐くが、どうやらここも安寧あんねいの場所ではなくなったらしい。

 建物の中、どこかの教室の窓が開いていたのか、下の階層から流哉を探す声が屋上にまで聞こえてくる。


「このままじゃ見つかるのも時間の問題か。

 とりあえず教授達の研究棟の方へ避難させてもらうとするか」


 流哉が現在居るこの建物、外から見ると大きな一つのビルに見えるが、実際は中を壁で真二つに割ったような構造になっている。

 通っている学生位しか知らない事だが、屋上へ行くルートは二つある。

 その一つは教室が集まる教室棟と呼ばれるエリアの最上階から通じているもの。

 もう一つは教室棟からは立ち入ることが出来ない教授達の研究室が集まる研究棟と呼ばれるエリアから通じているもの。

 大学に建物は幾つかあるが、屋上があるのは研究室と教室が物理的に切り離されているのは、この第三号棟と呼ばれるビルだけである。

 教授用と学生用、違うのは教授用の扉には電子ロックが付いているという点だけ。


 重い腰を上げて、コンソールの前まで歩く。

 電子ロックのコントロールパネルを操作し、パスワードを打ち込む。

 教授用の扉を開錠し、研究棟のエリアへ。

 扉を閉め、鍵をかける。

 鍵を掛けた瞬間、屋上から聞えるドアを勢いよく開ける音と女学生達の声に、間一髪と冷や汗をかくが、胸を撫で下ろし研究室棟の階段を下って行く。


「アイツには感謝しないとか。

 この扉のパスワードは意外と役立っているし……感謝するのは業腹だが、背に腹は代えられない。

 暇つぶしに様子見がてら研究室に寄って顔でも出していくか。今外に出て行くとまた見つかりそうだし、逃げ場所を一つ失うのは痛いからな」


 第三号棟西側フロア、数ある研究室の中の一つ。人気の無さそうな文字、『民俗学』と書かれたプレートの前に立ち、扉をノックして中へ入る。


「あいかわらず、大変そうだね。神代かみしろ君」


 くたびれた白衣に身を包んだ三十代くらいに見える男性が湯呑茶碗を一つ差し出してくる。

 白髪と黒髪が混じり、灰色になりつつある髪を短く切り揃え、落ち着いた雰囲気を醸し出す整った顔立ち。目つきは優しく、全体から人の良さを感じさせる中年の大人。


「あなた程じゃないよ、立花教授たちばなせんせい


 突然の来訪にも関らず目の前の白衣を着たおっさん、立花楓たちばなかえでは気軽に、さも当たり前のように歓迎してくれた。


 壁一面に本棚が敷かれたこの風景も見慣れた。

 本棚から一冊の本を取り出し、ページをめくる。

 少しだけ目を通し、感心するような、呆れるような気持になり、元の位置へと戻す。


「この本、この前来た時も読んだような気がする。相変わらず胡散臭うさんくさい噂話を集めているね」

「僕は民俗学の学者だからね。それにこの部屋に同じ本は存在しないよ」

「俺が勘違いしていると?」

「いや、君が言っていることも又事実だ。同じような伝承は世界中何処にでもあるからね」


 そう、本棚の中身はすべて伝奇や昔話し等の本や資料をまとめたファイルが隙間なく並んでいる。それどころか本棚へ入りきらない本を床に敷いた新聞紙の上に乱雑に積み重ねている。

 狭くないはずの室内を窮屈きゅうくつに感じさせるほどにこの部屋は本で埋め尽くされている。


 流也はこの部屋にある資料の全てに目を通している。


「新しく入った資料はあるのか?

 確認して使えるモノなら講義で使おうと思うが」

「新しく入ったモノは僕もまだ目を通し切ってないからこの部屋にはないよ」

「分かった。じゃあ講義の内容は大きく変える必要はないってことでいいな?」

「当初の予定通りでいいよ。わざわざ今学期でやる必要はないからね」


 春に大学へ来て以降、立花この教授の補佐のような位置にいる。

 週に二回ある講義のコマの内の一つを流哉が担当している。

 流哉の宇深之輪大学における立場は、民俗学の客員研究員。

 それ以外の時はこうして研究室に来て、資料の整理や精査を手伝っている。

 研究者だとか、補佐だとかいろいろな立場のようなモノはあるが、ようするに立花楓という男の手伝いをしているだけだ。


 他のわずらわしいことに関わらなくて良いように手配してくれた立花教授こいつには、言葉にして言いこそしないが感謝している。


「まあ、本棚の前に立っていないでこっちへ来て座らないか?」


 流哉は白衣の教授に向かい合うようにソファーに腰掛ける。

 立花楓。

 私立宇深之輪大学の民俗学の教授。歳の割にはその風貌ふうぼうと落ち着いた態度から、実年齢より上に見られる人当たりの良い中年男性。

 それが表向きの素性だ。


「まあ、とりあえず一杯呑んで。ついでに感想をひとつ」


 受け取った湯呑の中身を一気に流し込んで空ける。


「屋上の、職員用扉の暗証番号役立っているよ。今度気が向いたら借りを返す。

 それにしても、湯呑でコーヒーはないでしょう」


 湯呑の中身は立花教授によるオリジナルブレンドのコーヒー。

 この教授、大学内ではコーヒー好きで有名である。


「どうだい今回のブレンドは。初夏に備えて少し酸味を強くしてみたんだけど」

「悪くない。この前の甘ったるいのに比べれば数倍マシ」

「あれは、女の子用だよ。苦いのが苦手な子や甘党な子用とも言えるけどね」


 興味の無さそうに耳を傾ける流哉の姿に立花は苦笑する。

 目の前の湯呑へ新たにコーヒーが注がれる。


「キミのマシという表現が称賛しょうさんだということを僕は知っているよ」


 表の情報では、海外で生活していた時の知り合いである立花と、偶然大学で再開してからまだ二ヶ月ということになっている。

 しかし、実際は数年前に中東の戦場で顔を合わせたのが初めての出会い。

 大学の構内で再会した時に二人して固まってしまったのは、今では二人の間では笑い話しだ。


「こんな所へ来る物好きがオレ以外にもいたとは驚きだ」


 再び湯呑へ注がれたコーヒーに口をつける。


「意外かい? ゼミの後なんかはよく人がいるよ」


 立花も自身のマグカップに口をつける。


「それは気をつけないといけないな。ゼミの時間を確かめておかないと大事な避難場所を一つ失う破目になる」

「はは。それは大変だ。それで、どうだい? 少しは大学ここに、日本には慣れたかい?」

「全然。多分、慣れる事はないだろうな。

 四六時中追いかけられたら慣れるどころか嫌気がさすのは当然のことだと思うが?」


 心底うんざりしているという感情を乗せて答える。

 立花の目に同情の色が見えるが、同情して欲しいわけじゃない。

 ただ、この国が好かないだけだ。


「まあ、君に対する熱気もその内に冷めるでしょう」

「他人事だと思っていい加減なこと言いやがって。そうであって欲しいよ、まったく」

「一ヶ月も立てばテスト期間に入るから、多分追いかけるどころじゃないはずだよ。それでも追いかけているようじゃ、大学生として危ないかな」


 立花教授がさりげなく出してきた人形焼を一口かじり、コーヒーで流し込む。

 湯呑の中のコーヒーはなくなった。

 無言で立ち上がると冷蔵庫を勝手に開け、中に入っていたペットボトルの麦茶を注ぐ。


「本当に、そうであって欲しいよ」


 流哉は再びお茶請けに手を伸ばす。

 中東の戦争では殺し合いをした中の二人は、何かをする訳でもなく向かい合ってお茶を続ける。

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