EpisodeEx.喫茶店での出来事『その壱』 西園寺紡のあくる日の出来事

 それは本当に偶然だった。

 学校からの帰り道、いつもは車で通う道を今日は珍しく歩いている。

 街に新しくできたという本屋をのぞくために、今日は迎えの車を呼ばなかった。

 そう、本当に偶然。

 帰り際に同じクラスの子たちが、新しくできた本屋は品揃しなぞろえが良いと話していたのを、偶然耳にしたから寄ってみようと思った。

 それ以外の意図も何もなかったのだけれど……何故か目の前には、口を開けて驚いている様子の燈華とうかがいた。


「なんでつむぎがこんなところにいるのよ」

「クラスの子たちが新しくできた本屋は品揃えが良いと言っていたから」

「新しくっていつの情報よ、それ」

「さあ?」

「さあって、知らずに来たの」

「私が普段本を買いに行くのは古書店ばかりだから。今日はたまたま気が乗ったから来てみただけ」

「紡が雑誌とか買っているのを見たことないから、てっきりそういうのには興味がないと思っていた」


 燈華が言うには、ここの本屋は紡が買うような本は売っていないらしい。

 主に最近の若者向けの本を多く取り扱っているとのことだ。


「そう。ならこれ以上ここに用はないわ」


 急に興味が失せた。

 もともと人が多い場所は好きではないし、興味を引くものがないのであれば、これ以上ここに留まる理由もない。

 店を出ようと引き返そうとすると、燈華に引き留められた。


「紡は今日の予定ないのよね?」

「当然でしょう。用があったらこんなところにいないわ」

「だったらこれから一緒にお茶しない?」

「別に構わないわよ」


 燈華は「少し待てて」と言うと、雑誌を抱えてレジに向かっていく。

 人が多く並んでいるレジを見て、しばらくかかりそうだなと思い、近くの雑誌を手に取りパラパラとページをめくった。


「おまたせ」


 雑誌の半分ほどまで目を通したところで燈華が声をかけてきた。

 予想していたよりも彼女が戻ってきたのは早かったようだ。

 読み切れると手に取った雑誌はまだ折り返し地点に差し掛かったところ。

 雑誌を置こうとした手を止め、それを抱きかかえる。


「それどうするの?」

「中途半端っていうのは一番嫌なの。

 普段は絶対に買わないモノだけど、途中まで読んでしまったものだから買うわ」


 雑誌など買ったことがないので、燈華に買い方を聞くと、少しバカにされた。

 自分が世間に少し疎いのは理解しているけど、解せない。

 列に並び、それほど待たずにレジに着く。

 燈華に渡されたポイントカードとかいうものを一緒に店員に渡す。

 会計方法は普段の古書店と変わらないので、それほど困ることもなかった。

 

「待たせたわね、燈華とうか

「それほど待ってないわよ。それじゃあ行きましょうか」

「ところでどこに行くの?

 私は混雑した場所やうるさい場所は嫌よ」

「行くのはいつも一緒に行く喫茶店でどう?」


 燈華に提案されたのはいつも行く喫茶店。

 街のターミナル駅から近い訳でもなく遠くもない、ほどほどの場所にある。

 大通りから外れた場所にあって、細い路地の先にある為、車で直接行くことはできない。

 昔からある喫茶店で、老若男女問わず人気のお店。

 店主の意向から騒いだりするのはダメなお店。

 紡の数少ないお気に入りの場所。


「そこなら良いわよ。静かで好きだから」

「じゃあ決まり!」


 燈華と二人で喫茶店を目指す。

 街の中心位に位置する本屋からだと、少し距離があるけれど、徒歩以外の手段を使うと遠回りになるのは知っている。

 バスで近くまで行くとしても、徒歩とかかる時間が大して変わらない。

 歩くのが最短とは、なんとも皮肉が効いている。

 それもあってか、今から向かう喫茶店は一部を除いて若者には不人気だ。


 駅前にはチェーン店のコーヒーショップはあるし、チェーン店の喫茶店、チェーン店のハンバーガー屋もある。

 あらゆるチェーン店が駅前にあり、遊ぶ場所にも困らないとクラスの子たちが言っていたのを紡は思い出す。

 若者たちの行動範囲は駅前でほぼ完結している。故に駅前以外のお店には紡たちと同年代の人達が少なく、その分静かで落ち着いている雰囲気の場所が多い。

 紡が利用するお店の全ては駅前から外れた場所に集中している。


 店内が喧噪けんそうなお店は好まないし、若者に流行りだと言われているモノもイマイチ良く分からない。

 浮世離うきよばなれしていると言われることも多々あるし、それは自覚している。

 ただ、それはそれでいいと思っている。

 何故なら『魔法使い』とは総じて世間から少し外れたところにいるから。


「ここはいつ来ても静かで良いよねー」

「そうでなければここまで足を運ばないわ」

「コーヒーや紅茶も美味しいし、料理の味は勿論だけどセンスも良い……それなのに、どうして学生はいないのかな?」

「騒いだりしちゃダメってことじゃないかしら。大声で話したりしないのなら多少のお喋りは大丈夫だけど、最近の子は話し声でさえ大声だから。

 あとはシンプルに静かにしていることが出来ない人が多いからだと思うわ」


 燈華と二人で訪れたのは喫茶店『シュテルンシュヌッペ』。

 日本人の店主マスターとドイツ人の奥さんの二人で経営しているお店。

 コーヒーと紅茶、それに軽食が主の喫茶店。

 お店の歴史は古く、一年後にはオープンしてから四十年を迎えるらしい。

 老いた二人だけで経営は難しくなってきたというのが最近の悩みだという。


「紡は何にする?」

「私は紅茶とケーキのセットにしようかしら」

「じゃあ私はコーヒーとケーキのセットにしようかな」

「……注文は任せるわね」


 燈華に注文をしてもらうよう頼み、席を立つ。

 お店の奥の方にあるボックス席から向かうのはカウンター付近にある本棚。店主の趣味で置かれている本は紡から見てもセンスが良いと感じる取り揃え。

 マスターに声をかけ、一冊の本を借りていく。

 席に戻ると席には水の入ったグラスとおしぼりが二人分置いてあった。


「注文しておいたよ」

「ありがとう」

「いつもその本読んでいるけど、飽きないの?」

「飽きないわよ。何度読んでも」


 燈華は「私には無理だ」と言い、グラスの水に口をつけている。

 その様子を見て、視線を見開いた本へと落とす。

 本の内容はドイツ語で書かれた神話や英雄譚、怪談等が集められたもので、日本国内では出回っていないレアものの本。

 普段は本棚には置いてなく、店主が認めたお客にだけ貸し出してくれている。

 紡は数少ない認められた客の一人ということになる。


「本を読んでいるときに悪いんだけどさ、相談に乗って欲しいことがあるの」


 珍しく神妙な面持おももちで声をかけてくる燈華の様子に、読み途中のページへ栞を挟んでから閉じる。

 本を机に置き、しっかりと燈華を見つめる。

 瞳に強い意志を感じる。

 冗談やからかうつもりで声をかけてきた訳ではないみたいようね。


「良いわよ。ただし、紅茶が来るまでの間だけね」

「ありがとう!」


 燈華の声が少し大きい。店主が顔をしかめるのを容易に想像できる。

 とがめるべきか少し考えたが、燈華自身が気付いたのか口に手を当てて黙っている。


「あと、静かにね。私に言われるまでもないことだと思うけど」

「ごめん……」


 それでも一応ポーズも含めて咎めておく。

 唇に指をあてて。


「それで、話しって何?」

冬城とうじょう燈華とうかから西園寺さいおんじつむぎに対してお願いがあります」

「急に畏まってどうしたの」

「本当に大事なお願いがあるから。

 本来であれば契約を結ぶべきことだと分かっているけど、私には対等な立場で契約を申し出るには力が足りないのは自覚しているから、だからお願いするしかないの」

「まあ、話しだけは聴くわ。お願いとやらを引き受けるかどうかはまた別の話しだけど」


 たわいのないお願いなら、友人のよしみで叶えてあげても良いけれど、何でも叶えてあげる訳にはいかない。

 してあげれること、してあげられないこと。それはしっかりと紡の中で線引きしている。

 たとえ友人の頼みであっても、叶えられないものはある。

 まあ、基本はどんなお願いでも叶えてあげられる自信はあるけどね。


「それで、お願いって何?」


 黙ってしまった燈華に問いかける。

 タイムリミットを設定した以上、無駄に時間をかけるのは燈華に対して不誠実だ。

 それに、いつになく真剣な燈華のお願いとやらも気になる。


「私がお願いしたいのは……紡、私に魔法について教えてほしいの。他でもない魔法使いあなたに」

「それは……返答の難しいお願いね」

「それでも私はあなたに教えて欲しい」


 燈華に対する答えは決まっている。

 答えはノー以外ありえない。あってはいけない。

 たとえ友人の頼みであっても、コレは紡がしてあげられないことだ。


「燈華、それは―――」

「ご注文のデザートとドリンクのセット、お持ちしましたよ」


 燈華に対する答えを口にしようとした時、タイムリミットが来てしまった。

 見たことのない若い女性の給仕に間が悪いと感じつつ、届いた紅茶に口をつけようと伸ばした手が止まる。


「燈華、これは何?」

「何ってアイスティーとケーキのセットだけど……もしかして温かい方がよかった?」

「注文を任せたのは私だから、それはいいの。アイスティーと分かれば別に構わないわ」

「とりあえずコレを頂いてから紡の答えを聞かせてよ」

「……分かったわ」


 普段はアイスティーを頼むよりはポットで紅茶を頂く。何故なら香りを楽しみたいから。

 これから暑くなる季節としてはアイスティーも良いと思うけど、頼んだことがないから、一瞬だけウーロン茶かと思って止めた手をまた伸ばす。

 添えられたガムシロップの類には手をつけず、そのままを頂く。


「ケーキはどっちがいい?」


 燈華が頼んでくれていたケーキは二種類。

 フルーツが多めの季節のケーキとチーズケーキの二種類。

 どちらも紡が好きなもので、燈華はどっちを選んでも良いように合わせてくれたみたい。

 どちらにしようか迷う。迷うが答えは決まっている。


「チーズケーキの方を頂くわ」

「じゃあ季節のケーキは私がもらうね。一口ずつ交換しよう」

「良いわよ」


 燈華はこういう時必ず一口は分けてくれる。

 常に気を使わせていると感じるが、これは下心があっての事ではないと知っているから、紡もそれを気にしない。

 たぶん、生まれ持っての気質なのでしょう。何かと世話を焼いてくれる。

 それが不快と感じさせないからそのままを受け入れている。


「はい。一口どうぞ」


 燈華がフォークに一口大のケーキを乗せ、差し出してくる。

 いわゆる『あーん』というやつだけど、慣れてしまってからは恥ずかしさも感じずに受け入れている行為の一つ。


「いただきます」


 一口で頬張ると燈華が笑顔を浮かべている。

 女同士で何が楽しいのかは良く分からないけれど。

 口一杯に果実の酸味が広がる。

 これは失敗した。

 甘めのケーキの後に、果実本来の甘みを際立たせたケーキを食べたらそれは酸っぱいに決まっている。

 紡は酸っぱいのは得意ではない。

 取り乱した様子は見せずに紅茶を一飲みし、息を吐く。


「もしかして酸っぱかった?」

「ええ、少しだけ。でも美味しかったわよ」

「それは良かった!」


 燈華はアイスコーヒーを飲みながら笑っている。

 今度は紡が返す番。

 ケーキを一口大に切り分け、フォークに乗せて燈華へ差し出す。

 無論、あの言葉を添えて。


「燈華、お返しのケーキ。あーん」

「ちょっと恥ずかしいんだけど……あーん」


 燈華は頬を少し染めるとケーキを頬張った。

 ケーキを味わっている燈華の頬が緩む。

 その直後に自分のケーキを食べて顔をしかめるまでの動きは容易に想像できた。


「酸っぱいね、コレ。紡のケーキ食べた後だと果実の酸味だけが際立っちゃって」

「あら、それもまた一つの美味しさよ。私には合わないけど」

「私もコレは遠慮したいよ」


 燈華はアイスコーヒーを一口、二口とストローで吸い上げ、口の中の酸味を流そうとしている。

 そんな燈華を見ていて、ふと心のどこかで楽しいと感じている自分がいることに気づく。


 面倒なことは嫌い。

 いつか来るのであろう終わりを迎えるその時まで、心穏やかでいたいと願うだけの日々。

 そこに新しい色を加えても良いと思っている自分がいる。

 これは良くないたぐいの欲だ。

 でも、良いと感じてしまった。欲を抱いてしまった。

 なら、紡の心は決まっている。


「燈華、さっきの話しだけど」


 燈華が飲んでいるグラスの中身が空になったのを見計らって声をかける。

 二人掛けのテーブルの上のグラスの中には氷だけ。それが解けてカランと音を立てる。

 少しの静寂せいじゃく

 燈華が緊張しているのが分かる。


「紡の答えが決まったってことだよね」

「ええ、私の答えは最初から決まっているわよ」

「分かった。無理なお願いをしてごめんね」


 燈華が目に見えて落ち込んでいる。

 答えは聴く前から分かっていたと言いたげな表情だ。

 確かに、お茶をする前までの答えは燈華が想像していた通り。ただ、紡の考えもたまには変わることもある。

 もう少し落ち込んだ様子の燈華を見ていたい気持ちもあるけど、覚悟をもって頼みこんできたのは分かっている。


「……燈華はなにか勘違いをしているわ」

「だって紡の答えはノーでしょう?」

「自分の中で結論を出すのが早すぎ。

 私はまだ私自身の口から結論を述べていないもの」

「じゃあ教えてくれるの」

「私自身の魔法を受け継ぎたいという意味でなら答えはノーだけど、魔法使いについて知りたいという意味でならイエスよ。

 私はアナタを魔法使いにしてあげることはできないけど、魔術師としての腕は上げてあげられるわよ」

「ありがとう、紡。こんなこと頼めるのは紡しかいないし、ダメもとで頼んでみたけど……引き受けてくれて本当にありがとう。

 私には引き返すなんて選択肢はないし、時間もあまり残されていないから」


 燈華の決心は想像していたよりも強いらしい。

 茶化さないで良かったと心の底から安堵している。大切な友達を失うところだった。

 ただ、気になることを言っている。気がかりは先に潰しておいた方が良い。


「時間がないってどういうこと?」

「御爺様と御婆様の様子が最近よそよそしい気がするの。

 あちこちに連絡を取っているし、今日なんてめったに持ち出さない物まで金庫から出していたし……絶対に何か隠している」

「あの二人がめったに持ち出さない物ね……それは興味深いわ」

「中身は見せてもらったことないけど、手の平くらいの大きさの箱で、大切な友人から譲り受けた大事な物だと、小さい頃に聞いたわ」

「あの二人の友人なんて限られてくるけど、直接聞いてもはぐらかすのは容易に想像できるわ」

「そうなんだよね……聞いても絶対教えてくれないし。

 もし、お二人が私以外の人に魔法を引き継がせようと考えているのなら、絶対に阻止するわ。そうなった時に止めるだけの力が欲しい。

 冬城とうじょうの魔法を他の家に渡すくらいなら、私の手で終わらせる」

「アナタの気持ちは良く分かったわ。そこまでの覚悟があるのなら、もう何も言わないわ。

 ただし、私は厳しいわよ?」

「望むところ。生半可な覚悟じゃ、あの二人を止められないから」


 燈華のお願いについては良く分かった。

 冬城の二人の魔法使いの思惑はよく分からないけど、紡の平穏を壊そうというのなら、容赦はしない。たとえ対立することになったとしても……ね。


「そろそろ私は帰るよ。御爺様と御婆様に相談することもあるし」

「そう。私はもう少しここにいるわ」

「分かった。じゃあ紡、明日からよろしくね」


 燈華は自分の分の伝票を持って席を立った。

 後出しじゃんけんのような奢られ方を好まない紡の事をしっかりと踏まえて、伝票をあらかじめ分けてもらっていたらしい。

 追加の注文をするべく紡は給仕を呼ぶ。

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