Episode2.魔法連盟『その壱』仕掛け扉と貴婦人の幽霊

 流哉はロンドンの町を闊歩する。

 濡れないようにとコートの内側に抱えている書類封筒など今すぐにでも投げ捨ててやりたい気持ちにもなるが、数日分の、それも徹夜をしてまで仕上げた仕事を徒労に終える結果は割に合わないと思い留まる。


 駅が近づくにつれ、早朝から降り続いた雨は随分と雨脚を弱めていた。

 この様子であれば雨はまもなく降り止むのかもしれない。


「雨が降り続こうが降り止もうがオレにはあまり関係のない話しか」


 雨が止みそうな空とは反対に、流也の気持ちは沈む一方だ。

 寝不足で機嫌が悪いところへ見計らったかのようなタイミングで関りを持ちたくない人達からの指名依頼。会う為には海を挟んだ彼方先の日本にわざわざ帰らなければならず、残念なことにロンドンこちらへ呼びつけるよりも自分から動いた方が効率もいい。


 これから挨拶に向かう『魔法連盟』の本拠地も、本音を言ってしまえば自ら率先して行きたい場所ではない。

 魔術師を纏める大元と言えば聞こえはいいが、その実態は裏切りと裏切りによる恨みと妬みの集う場所だ。

 味方と敵に二分された幾つもの集団が組織という体裁のもとに一つになっている。組織に属さない身としてはこの上なく深く関わりになりたくない集まりだ。


 そんな事を考えていると、ズキズキと主張する頭痛に表情を歪ませ、地下鉄の入り口を下りて行く。

 カレンダーと関係のない生活リズムの流也とは異なり、世間は愛すべき勤労者と将来有望な学生で駅は混雑する時間。

 そんな中、駅構内を人気の少ない方へと進んでいく。


 人の気配が少なくなってきた頃、通路の壁に寄りかかりコートのポケットに押し込んだスマートフォンを取り出す。

 点滅するランプの光に気付き、画面を操作してメールのアプリケーションを開く。

 それは母親からのメールの着信を知らせるものであった。


「メールを送ってきたのが四時間前って、やっぱ時差のこと完全に忘れていたんだな」


 溜息を一つつき、スマートフォンをコートのポケットへ再び押し込む。

 人気のない方へ、目的地を目指して流哉は再び歩みを進める。


 周りに人影が消え、気配をまったく感じなくさせるほど外れた場所まで来ると、用心深く周りを確認し階段を降りる。

 地下へと続く階段の途中、踊り場で立ち止まると、再び周囲に人がいないことを確認し、『スタッフ・オンリー』と書かれたドアを開け、中へ堂々と侵入する。

 部屋の中は平凡な一室。駅に勤務する職員の休憩室だ。置いてある物は部屋を暖める程度の小さいヒーターに小型のテレビ、後は机が置いてある程度だ。

 どこにでもある普通の部屋だが、そこには本来の利用者であるはずの職員の姿はない。

 部屋の壁に掛けてある鍵を取ると、入ってきた扉に鍵をかける。


 施錠されておらず無人だった部屋に『何故鍵をかけるのか』、それはこの部屋を使う上でのルールだからである。

 決められた仕来りにのっとり、余計なことはしない。それがこの世界で生きる上でまず身に着けるべきことだからだ。

 魔法連盟の秘密を守るうえで必要な仕来りであることは、創始者の一人である先代より聞いており、何より祖母の言いつけを破るほど傲慢ごうまんになった覚えはない。


 扉に鍵を掛けた途端、石造りの床が動き出し、地下鉄の駅とは別方向に延びる隠し階段が現れる。目的地である魔法連盟の本拠地への入り口が開く。


 魔法連盟の入り口の一つが地下鉄の駅内にあるのは『極めて都合がよい』の一点に尽きる。

 一日に多くの人の出入りがある駅という施設は、人の痕跡を隠しやすく、少しの仕掛けを施すことで一般の社会に溶け込めるのは、秘密を第一とする魔法連盟にとって非常に都合がいいからだ。

 この駅にも入り口と部屋までの通路、そして室内の三ヶ所には一般人の認識をそらす為の仕掛けが施されている。入り口を使用する者が少々気を付けさえすれば立派な隠し通路が出来上がり、安全に目的地への入り口を利用できる。

 その為の仕来りであり、『使用者は必ず鍵をかける』というルールがあるのだ。

 部屋の中から鍵をかけるのも地下への入り口を開くための仕掛け。


 よくできた仕掛けだと感心しつつも、鍵を壁に掛け直し、階段を降り始める。

 ある程度階段を降りたところで、動いた仕掛け床は元の位置へ戻るべく再び動き始めた。

 入り口を開く仕掛けと対をなす閉めるための仕掛けが作動し、地下への入り口の使用権は次の者へと移行する。

 

 仄暗ほのぐらい階段を降り切ると開けた空間に出る。

 何も無く、更に下へと続く階段とその両脇に石造りの悪魔の像が置いてあるだけ。

 悪魔像の彫刻はこだわりを感じ、名のある職人の手によって作られたものだと素人目にも分かる。

 本来であれば博物館や資料館に寄贈されていてもおかしくのない代物なのだろう。

 そのような価値のある物が、人目のつかない隠された通路の途中などにあるのは意味があってのことか、いわくつきのどちらかだ。


 流哉は石像を一瞥いちべつするとそのまま階段を再び下り始める。

 数段ほど降りたところで来た道を振り返ると、石像が階段を塞ぐように動いていた。


 石像の仕掛けは魔法連盟の関係者と迷い人を分ける仕組みであり、侵入者に対する最後通告でもある。

『これより先の安全と命の保証はできない』という意味と、『同業の者であるならばこれくらい対処できるだろう』という挑発も兼ねている。


 新米やこちらの道へ入らざるを得なかった者にとっては最初の試練。

 経験者やこの施設に通う者にとっては見慣れた光景であり、幾度となく繰り返されるやり取りに飽きと鬱陶しさが纏わりつく。


 どこからか吹き込む薄気味悪い風が身体に絡みつき、動かしている手足に若干の痺れを感じるが、歩みを進める速度を落とすことはない。

 手足に違和感を覚えるが、それは毎回のことで変わらない繰り返しには慣れている。

 

 そう、この階段を降りるさなかに纏わりつく自然のセキュリティーである心霊現象ポルターガイストというものは既に慣れきっている。


 突然襲う寒気や頭痛、抵抗力の低い者は浮遊感に襲われその場で崩れるように倒れることもある。

 まさに適性のないものに対しては最適の試練となり、こちら側に属さない一般人や盗賊に対しては今生への別れを告げる瞬間となる。

 この迷宮への入り口に住まう貴婦人の亡霊。彼女の底意地の悪さは、悪業を積み続ける我々には丁度良く、途中の広間にあった悪魔の像は彼女をあれより上に行かせない為の封印だ。


『また来たの、坊や。毎日毎日飽きもせずに来るわね』

「お前に会うために来たわけじゃない。さっさと通してくれないか?」

『本当につまらない坊や。可愛げくらいありなさいよ』

「生憎と恐怖という感情には縁がなくてね。消されたくなければさっさと通せ、毎日繰り返すこの嫌がらせには飽き飽きしている」

『可愛くない子ね、たまには驚くくらいしなさいよ。この前通った子は泡を吹いて倒れてくれて本当に楽しかったわ』

「そうかい。大方貴族のボンボン辺りだろう?

 あまり遊んでばかりいるとオレが消す前に誰かが消しにくるぞ」

『既に除霊専門のまじない師くずれが来たけど、私が遊んであげたら倒れちゃったわよ。それにこの前侵入者を数人掃除しておいたから、フォンに釘をさされる程度で済んだわ』

「力もないのに出しゃばるからそうなるんだ。強くなったと誤解した青二才には丁度いい薬になっただろう。

 フォンが咎めないのなら、オレが勝手に処分する訳にはいかないか……それで、侵入者はどうした?」

『もういないわよ。魂は私が頂いちゃったし、身体の方は連盟が回収していったもの』

「始末してあるのなら文句はない。先を急ぐから通るぞ」

『あ、ちょっと待ちなさい。もう少し世間話くらい付き合いなさいよ』


 階段に住みつく貴族の娘の幽霊との会話を早々と切り上げ、幽霊からの手荒い歓迎を受け流す。ついでとばかりに貴婦人へ嫌味を言うのもいつものことだ。


 流也に幽霊の干渉は意味をなさない。

 初めて訪れた貴族のボンボンでも、ましてや新米などでもない。幽霊などとうの昔に理解し終えている。

 まあ、泡を吹いて倒れるなんて聞いたことがなかったが、それだけ耐性のない者が来たということだろう。

 そのような者まで招くとは、魔術の世界でも人手不足は深刻なようだ。


 未練を残し、未だにこの世にすがりつくような弱い意志などは助けるに値しない。直接手を下すこともなく、ただその存在が薄れ消え去る日が来るまで放っておく。

 優しさなどではない。

 同情もしない。

 興味がないことには関わらない。

 昔からも、そしてこれからも。この考えを変えるつもりはない。


 貴婦人の幽霊が何か喚いているが、それにわざわざ付き合ってやるほど暇じゃない。

 侵入者に関しては、後始末を押し付けられないことを願おう。


 余計な時間を使わされたが、再び石造りの階段を降る。薄暗く、足元が僅かに照らされている程度の足場の悪い悪路を進み続ける。

 階段の途中からキャンドルが設置されており、その明かりが足元を照らす。横を通過した後すぐに灯された明かりは吹き消されるように消えていく。


 降り始めてどれくらいたったのか感覚が鈍り始めた頃、嫌気がさすほどひたすらに階段を降り続けるとようやく終りが見えた。

 ロンドンという町の地下に広がる、業を積み続ける我々の町が。

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