第34話 ドローン事変

まねじゃだめ


 落下したドローンを診ていた麗が振り返り、かぶりを振った。彼女はソフト面だけでなくハード面にも造詣が深いようだ。


 縁の話では、班の女子3人でドローンを飛ばして動画などを撮っているときにナンパされたらしい。やり口が多少強引で、触られそうになった縁がそれを振り払うときに、コントローラーも放り投げてしまった。その後ドローンに意識を向ける余裕はなく、気がついたらドローンは落下しておじゃんになっていたということだ。静乃がすぐに駆けつけてくれたので、妙なことをされたりはしなかったらしく、そこだけはほっとした。


 しかし、


「委員長、あんな高そうなやつ……」

「んー。ちょっと困っちゃったね……」


 班の女子、佐藤さんと鈴木さんの心配そうな声を受けて、縁は困ったような笑顔を浮かべた。


 ロコも、壊れたドローンを覗き込んで青い顔をしていた。


「班長……。このままじゃ、モノフェの間にヒビが入っちゃうんじゃ……」

「ん、ん-……。そりゃないと思うけど……」


 もっとも、あれが幽蘭堂クロハからの借り物だという証拠はないのだが。だが万一そうだったとすると、エルナが旅行先で借り物のドローンを壊してしまったことになる。モノトーン・フェザーの仲がこれで拗れるとは思っていないが、気まずいことになるかもしれない。

 いや、案外あの2人なら笑い話的な方向に持っていくのかもしれないけど。うーん。


「まぁ、やっぱあの人たちすぐに逃すんじゃなかったな……」


 暁人が珍しく物騒なことを言い、莉央が「だろ?」と呟く。


『なんの話ですか?』


 壊れたドローンを縁に返した麗が、莉央と一緒にこちらへ歩いてくる。


「んー。あのドローンがくろはーからの借り物なんじゃないのって話」

「さっきの奴らに金出させようぜ」


 莉央は拳を鳴らしながら周囲を見回していた。怖すぎる。

 一方でロコは、縁たちの方をずっと見ている。


「……もし違ったとしても、なんか……嫌だな。える……じゃないや。橘さん、あのドローンまだまだ使う気だったのかな」

「この旅行中はわかんないな。沼津でも東京でも使えないだろうし」

『今夜のホテルでのレクリエーションで空撮写真を撮って、卒業アルバムに載せたいと言っていました』


 なるほど、彼女らしい。


 なんとなく、暁人は想像してみた。縁がこの修学旅行に向けて計画を立てているところを。彼女はあの性格だから、きっとドローンの持ち込みだって、先生にきちんと確認と許可をとっているだろう。山岡教諭はなんだかんだこういう時は生徒の側に立って、渋い顔をする学年主任や教頭を説き伏せる。

 縁の班のレクリエーション係は、鈴木さんだったはずだ。鈴木さんと、レクの時にドローン空撮をしたいという話をして、鈴木さんは、それじゃあみんなが上を向くようなタイミングをどこかで作ろうと提案する。きっと、彼女たちは彼女たちの、素敵な計画を立てていたのだろう。


 しかし、ドローンは壊れてしまった。そうした彼女の諸々が、水泡に帰す。


 なんとなく、嫌な気持ちになった。


『私もドローンを使うことは聞いていましたし、その為にいろいろと準備をしました』


 班のレク係である麗が、翻訳アプリ越しにそう言った。合成音声は平坦だし麗自身も無表情だが、どこか落胆しているようにも見える。


「そうか、藤崎も……」

『レクリエーションはいかにも学生が考えましたというようなぬるい催しですが、修学旅行をより楽しいものにするために力は尽くしてきたつもりです。残念ですね』

「同じやつ買えたりしねぇの? 今どきでっかい家電量販店とか行けば売ってるだろ。沼津とか行ったらあるんじゃねぇのか?」


 莉央が尋ねるが、それに対しても、麗はかぶりを振った。


『調べてみましたが、全国でも取り扱いが少ないですね。秋葉原に2店舗、日本橋に1店舗です。各店舗に在庫が1台ずつ』

「くろはーも海外製のすごいのだって自慢してたもんなぁ……」


 頭を突き合わせて悩む羽友トリオ。暁人は、ちらりと静乃を見た。彼女は会話の輪に加わらず、じっと何かを考えている。途中、暁人の視線に気づいてはっとすると、少し気まずそうに目を逸らし、だがやがて、こんなことを言った。


「行けます。秋葉原」

「えっ?」

「まだ朝の10時過ぎです。東名高速を使えば、片道3時間、17時までには、修善寺のホテルに戻れます」


 静乃は砂浜に簡単な地図を書く。

 17時半までにホテルに戻るのが、3日目の自由行動の決まりだ。今から急いでここを発ち、東京に着くのが13時半。急いでドローンを購入し、折り返しで向こうを発つのが14時。修善寺のホテルには17時に戻れる。そういう計算だった。


「いや、でも……」


 ロコがおずおずと切り出す。


「その場合、美味しい駿河湾の幸は……」

「ありません。コンビニおにぎりを車内で食べます」

「世界一の金は?」

「見れません」

堂ヶ島どがずままりんくるーず……」

「諦めてください」


 木の枝をぽいっと放り捨てて、静乃は3人に、いや、暁人を含める4人に尋ねる。


「……だから、まぁ、言ってみただけですけど」


 今までの温和な静乃とは違う、試すような目つきだった。


 だがその中には、どこか懇願するような感情が見え隠れしている。誰かひとりに、「じゃあやめよう」と言ってもらいたがっている。そんな感じがした。


 暁人は、ちらっと縁の方を見る。落ち込んだ様子の班員たちを、彼女なりに励ましているのが見えた。「大丈夫!」だの「いつかは壊れちゃうもんなんだから!」だの「諸行無常だよ!」だの。ワードセンスはちょいちょい独特だが、彼女らしい言い回しだった。


「俺行くよ」


 暁人は言った。


「予定時間までには戻るから、先生にはうまいこと言っといてくれ」

「………」


 静乃がこちらを見てくる。驚いてはいなかった。ある種の納得と、諦念――とも違う。「ああ、やっぱりそうなんだ」とでも言うような、そんな感情がこもった視線だ。

 他の班員の反応も、似たり寄ったりだ。


「……まぁ、それも面白いかもな」


 ぽつりと、ロコが言った。


「えっ、ロコ来るの?」

「は? 行くが? むしろなんで置いていこうとしてんの? まさか自分は抜けるけど楽しんでこいなんてこと言うつもりじゃないよな?」

「アタシも行くぜー。どうせ第一希望外れてるし、どこでも良いや」


 莉央も気楽に声をあげた。


『待ってください』


 麗のスマホから聞こえる合成音声。振り向けば、彼女は人差し指と中指の間にクレジットカードを挟んでポーズを決めている。


『あなた達のお小遣いだけで、果たして海外製の高級ドローンを買えるでしょうか』

アプリで稼いでる人ふじさき……!」

『私はまだカードを作れないので、祖父の名義なのですが』

「良いのか? 藤崎は堂ヶ島行きたかったんだろ?」

『どうせもうすぐ夏休みです。みんなで改めて行きましょう』


 なんか今、めちゃくちゃ嬉しいことを言ってくれたな。


 暁人が口火を切る形で、あまりもの班たちは自然と東京へと行く流れになっている。暁人は、静乃を見た。


「わ、私は……」


 静乃は、視線を彷徨わせた。

 この秋葉原への強行軍を提案したのは彼女だが、それでも静乃は迷っている。


 縁の手助けをするために、旅程を変えることを躊躇している?

 そうは思えなかった。確かに何か思うところがあるのは事実だろうが、それでも静乃は縁たちを守るためにナンパ野郎の矢面に立てるような女性だ。それに、そもそも助けるつもりがまったくないのなら、こんな提案はしなければ良い。


 じゃあ、水族館に行けないのが残念なのか?

 それは……無いという根拠はないな。でも、それならそうと言うような気もする。麗は「また今度みんなで来よう」と言ったようにだ。でも、また来るお金がないとか……。

 そもそも、ここでドローンを買いに行く気になっている暁人たちの方がおかしいのであって、静乃の反応は至って普通だ。


 いや、


 暁人は納得しかけたが、それでもこう言った。


「ノセさんごめん、行こう」

「え……」

「本当にごめん、ノセさん。みんなで行く場所決めたのにな」


 頭を掻きながら、言葉を続ける。


「俺は、このまま何もしないで伊豆旅行続けるより、できることがあるならやりたいって思うし、みんなも、ついて来てくれるって言うし。そんなときにノセさんを仲間外れにはしたくない」


 シンプルな結論だった。


 静乃がどう思っているか。それはこの際どうでも良い。これは修学旅行だ。あまりもの班の中から、さらにひとりあまりものを出すなんてことはしたくない。

 それにだ。


「楽しい思い出にする。それに、水族館に行きたかったなら、その埋め合わせも絶対にする。だから、一緒に行こう。一緒に来てくれないか?」

「………」


 それが、果たしてどれくらい彼女に響いたのかはわからない。そして、どのような葛藤があり、その上で自分を納得させたのかも、わからない。あるいは、納得なんてまだしていないのかもしれない。

 静乃は逡巡の末、ぼそりと呟いた。


「……そういうところなんですよね」

「うっ」


 真意までは理解できなかったが、ポジティブな意味ではなさそうだった。

 だが、静乃はそれからすぐに顔をあげて、頷く。


「わかりました。いきましょう、東京に」

「よ、よし!」


 全員は、だっと砂浜を駆け、駐車場へと向かっていく。こうなったら善は急げだ。1分たりとも迷っている時間はない。幸いにして、暁人たちを御浜ビーチに連れてきたタクシーは、ロコの立てたフラグに流されることなく、依然としてそこに停車していた。

 停車しているタクシーの窓を叩き、叫ぶ。


「カルロス! 東京だ、東京に行くぞ!」


 だが陽気なラテン系運転手カルロスは、酔い止め薬「トラベリオンEX」を握りしめ、車内で白目を剥いていた。


「か、カルローーーーーーーース!!!!!」

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