第32話 天使との邂逅

「スイカ割りってさぁ、夏のイベントって感じがするじゃん」


 暁人は、砂浜にレジャーシートを広げながら言った。


「あー、誰が言い出したんだろうな。あれ」


 広げたレジャーシートの上に、莉央がスイカを置く。近くのスーパーで購入した、実の詰まったまるまるとしたスイカである。本当はいくつか買いたかったのだが、重いしそんなに食べきれないしで諦めた。誰かひとりが割ってしまったらそれでおしまいだ。


「小さい頃から、夏といえばスイカ割りってイメージを植え付けられると、こう、期待が膨らんでいくわけよ。でさ、俺が中学あがったときに、初めて挑戦する機会があったのね」

「おう」


 莉央は大して興味はなさそうだが、別に退屈そうな顔をするでもなく、ちゃんと聞いてくれた。


「地域の自治会のお祭りだったかな。小さい子も参加するやつ。で、そこで言われたんだよね。あまり強く叩かないようにって」

「あん?」

「目隠しをされて、歩いていって、棒でスイカに触れたらそれでおしまい。あとは大人たちがスイカを綺麗に切って分けるわけ。俺は心底がっかりしたの。わかる?」


 大人の言い分は理解できる。

 第一に、目隠しをしたまま、棒を思いっきり振り下ろすなんて危ない。第二に、ぐちゃぐちゃに割れたスイカは食べづらい。スイカ割りという遊びの本質が、「目隠しをした状態でもスイカの位置を把握し、的確に棒を振り下ろせるか」を試すものだというのなら、問題はないはずだ。


 でも、暁人は「おまえが割ったスイカだぞ」と言われ、目の前に綺麗にカットされたスイカを出された時、がっかりした。


「その時から、俺はずっと満たされないんだよね……。理想のスイカ割りをずっと求めてる」

「よくわかんねーけど、班長も大変なんだな」

「大変なのよ」


 割と大袈裟に言っているところはあるが、あながち嘘でもない。

 暁人は、最後にお出しされるのがぐちゃぐちゃのスイカであったとしても、スイカを叩き割りたかったのだ。


「ま、わかるぜ。スイカ割りの本質は、暴力だもんな」

「いやいや、それは……」

「わかってねーな班長。普通スイカをぐちゃぐちゃにしたら怒られるんだよ。でも、それをやって怒られねーのがスイカ割りだろ。本質は暴力なんだ。目隠しゲームが楽しみたいなら福笑いでもやってろって話だぜ」

「……なるほど」


 莉央のいうことが、正しいような気がしてきた。


 スイカを思い切り叩き割っても怒られない遊び。確かに、暁人が一番魅力を感じていたのはそこなのかもしれない。物事の楽しみ方とは、結局原始的で感情的なものだ。ここに何か、すごく大切なヒントが隠されている気がしたのだが、なんだか思うように頭の中でつながらない。


 さて、そろそろスイカ割りを始めたいが。この海水浴場に来ているはずの縁たちはどこだろう。一緒に遊べるなら、一緒に遊びたいものだが。


「ぴええええっ!」


 暁人がそんなことを考えていると、離れた場所から悲鳴が聞こえてきた。

 こんな素っ頓狂な悲鳴をあげる人物などひとりしかいない。ロコだ。


「え、え、え、え、え……」


 見れば、彼女は腰を抜かしていた。彼女の目の前には5人の男女グループが立っており、そのいずれにも暁人は見覚えがあった。


「え、える……える……ぎゅえっ!!」


 これ以上余計なことを口走らないよう、麗の正拳がロコを黙らせる。


 男女グループの先頭に立っていた女子が、こちらに気づいてぱっと華やかな笑顔を作る。


「おーい! 浅倉くーん!!」

「おお……」


 暁人も手を振りかえす。


「おっ、エルナじゃん」

「違う! 委員長!」


 デリカシー皆無の発言をする莉央を、暁人は速攻で嗜めた。


 パステル系のガーリーなワンピース水着に、透け感のあるガウンを羽織った少女。目下、羽友カルテットがエルナ候補の最右翼と睨んでいる2年1組の天使、クラス委員長の橘縁が、そこにいた。




「改めて、橘縁です。うちのクラスの浅倉くんがお世話になっています」


 全員の自己紹介がひととおり済んだあと、縁が丁寧に頭を下げた。


「わんどこそむったどへわになってらじゃ」

『私たちこそ、いつもお世話になっています』


 麗も、折り目正しくピシッと挨拶をする。すると、麗がきょとんとした顔で首を傾げた。


「へ? いつもって?」

「いやいや、なんでもないよ!」


 麗たちが羽友であると知られるのはいい。しかし、こちらがエルナの正体に気づいていると気付かれるのは、さすがに気まずい。バレてしまったらその時はその時だとも思うが。

 莉央は上機嫌で、防水ポーチからノートと鉛筆を取り出していた。


「なぁ、あんたの似顔絵描かせてくれよ」

「えっ、いいの?」

「ああ。とびっきり天使に描いてやるぜ」


 あれは……まぁ知らなければ実害がないのでいいか!

 普段、自分のファンアートを描いている神絵師がリアルで「似顔絵を描かせてくれ」と言ってくるのは相当な恐怖だとは思うが、知らなければ実害がないのでいいか!!


 ちなみにロコはというと、縁と直接話す緊張に耐えられなかったようで、静乃に膝枕されて安らかな眠りについていた。


「面白い奴らだな」


 縁の班員であり、暁人のクラスメイトであり、ホテルのルームメイトでもある佐竹が、そんなあまりもの班の様子を見て意外そうに言った。


「いや、だから言ったじゃん。みんな良い奴らだって」

「おまえ、どんな奴にもそれ言うじゃん!」

「いやいや、言わない。さすがにどんな奴にもは言わない」


 クラスメイトと戯れ合う暁人を見ながら、静乃が少しだけ複雑な表情をしているのが見えた。

 それから、陽キャの会話にあてられてか、ロコの顔色がどんどん悪くなっていくのが見えた。まぁこっちはどうでもいいか。


 莉央と麗は、憧れの芸能人に会ったような……いや、実際憧れの芸能人と会ったのか。とにかくそんな感じで、縁と話している。莉央はまったく臆しておらず、麗にはわずかに緊張が見られた。


「よーし、スイカ割りやるぞー!」


 暁人は手をぱんぱんと叩いて叫ぶ。すると、莉央は振り返って目を輝かせた。


「おおっ、待ってたぜ!」

「飛鳥馬の順番は最後な」

「なんでだよ!」

「なんか、おまえがトップバッターだと一瞬で終わるだろうという確信がある」


 2年1組の生徒たちは「そんなにすごいのか」とどよめく。それがちょっと気分が良かったのか、胸を張って「しゃあねえなあ」と満足げに言った。


「はーい! あたし、撮影係やるね〜」


 挙手した縁が、大きめのスポーツバッグから、あまり彼女には似つかわしくないゴツめのアイテムを取り出す。

 てっきり静乃のようにカメラを用意してきたのかと思ったが、違った。


 それは、黒い合成樹脂と軽量金属を組み合わせて作られた、大きめの弁当箱のような見た目をしていた。その四方から伸びたパーツにはプロペラが設られており、ディスプレイ付きのリモコンまで付属している。


 ドローンカメラだ。すげぇ立派な奴だ。


 修学旅行に持ってくるにはいささか大仰すぎるアイテムに、一同は目を見張る。


「い、委員長……どこでそんな……」

「えへへ、すごいでしょ〜。鎌倉でも使いたかったんだけど、法律で飛ばしちゃダメなとこだった〜」


 人がたくさん住んでるところだと飛ばしちゃダメだと聞いたことがある。たぶん、このあと行くであろう沼津もダメだろうな。


 とにかくドローンとは恐れ入った。たまに変なところで変な気合いの入れ方をする子だとは思っていたが。


「あれ、くろはーの奴じゃないかな……」


 げっそりした顔で上体を起こし、ロコが呟く。


「こないだ、くろはーがあれと同じドローン買ったって配信してた。海外製の、けっこう良いやつらしいんだよな」

「そうなのか……」


 くろはー。幽蘭堂クロハが。

 縁がエルナなのだとしたら、ひょっとしたらクロハが購入したものを借りて持ってきているのかもしれない。なんだかすごい世界だ。


 縁がスイッチを入れると、プロペラが回転してドローンがふわっと浮かび上がる。それだけで、周囲からは歓声があがった。


「ロコさん、まだ寝ていたほうが……」


 静乃が心配そうに声をかける。


「そういうわけにはいかないよ。あそこにえるーながいるんだ……。混ざらなかったら一生後悔する。えるーな……」


 うわごとのように呟きながら、ふらふらと歩いていくロコ。まるで誘蛾灯に吸い寄せられる虫のようだった。そんなロコを心配して、佐竹たちもついていく。


「みんな白羽エルナのこと好きなんですね……」

「うーん。まぁそれもあると思うけど……」


 ぽつりと呟く静乃。意図はわからないが、なんらかの含みを感じる。暁人は少し考えてから、言葉を続けた。


「えるーなであるかどうかは抜きにして、委員長は良いヤツなんだ。ノセさんは、疎外感みたいなの感じてる?」

「うーん。それだけじゃないですけど……」

「まぁとりあえず色眼鏡は外して見たら?」


 暗に色眼鏡をつけていると言われた静乃は、少しだけ気分を害したようにムッとするが、すぐにその指摘が事実だと受け入れたようだ。

 静乃は砂浜の上に体育座りになって、スイカ割りを楽しもうとする少年少女から目を逸らし、膝に自らの頬を押し当てる。


「……嫉妬、なのかなぁ」

「えっ?」


 到底、静乃から出てくるとは思えない言葉が飛び出しきたので、思わず聞き返してしまった。


「私ねぇ、嫌な女なんですよ」

「そうなの?」

「えぇ。17歳の浅倉くんにはわからないでしょうけど」

「俺まだ16だよ。誕生日が11月だから」

「うわーまじか。若いなー……」


 暁人はこのとき初めて、静乃が自分の弱さを曝け出しているところを見た気がする。

 これまでも、静乃の身長いじりとか年齢いじりとかで、彼女が慌てふためくところは見てきた。あれも間違いなく静乃の素ではあるのだろうが、きっとあの瞬間も、静乃は楽しんでいたように思う。言うなればまだ彼女には、取り繕う余裕があったのだ。「嫌な女なんですよ」には、そういったものを全て取り払った、重みのある実感が伴っていた。


「それって、俺聞けるやつ?」

「言いません。16歳に全部ぶちまけて負担を背負わせるようじゃ、私は大人としてオシマイです」

「そっかー」


 そんなこと気にしなきゃいいのに。


 そう思うのは、自分が子供だからなのか。


 暁人は静乃の隣に並んで、あまりもの班と2年1組陽キャ班がスイカ割りに打ち込む様を見ていた。


 莉央の言葉が不意に頭に浮かぶ。スイカ割りは、暴力。


 暁人たちの見守る中、ロコが目隠しをされ、ぐるぐる回され、棒を握らされている。彼女は1歩2歩歩くとそのままよろめき、砂の中に倒れこんだ。心配そうに駆け寄った縁が何か言葉をかけると、ロコは幸せそうに事切れた。まぁ彼女も本望だろう。

 続いて麗の挑戦。周りが囃し立てる中、棒を握ってよろよろと歩く麗が、思いっきり振り下ろした先はただの砂の塊だった。悔しげに地団駄を踏んでいる。


 その様子を、ドローンカメラが空から一部始終撮影していた。縁は操作にはさほど慣れていない様子だったが、ときおり付属の説明書らしきものを真剣に読んだりしている。海外製なら説明書も英語だったりしないのか。縁は英語の成績悪いけど大丈夫か。


「おい、班長!」


 次に棒を渡された莉央が、こっちに向かって叫んだ。


「やんねーのかよ! アタシがやっちまうぞ!」

「あー、そうだな!」


 暁人は立ち上がり、水着についた砂を払った。


「次はノセさんだ!」


 隣で静乃が、びっくりしたように暁人を見上げていた。暁人は、そんな静乃に視線を落とすと、肩をすくめて言う。


「良いこと教えてやろうノセさん。その年で高校生と一緒に修学旅行来てる時点で、とっくに大人としてはオシマイだよ」


 静乃はさらに驚いたように目を見張り、それから少しだけ笑った。


「いじわる」

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