第31話 海だーっ!!

「えーと、カルロス! 俺たちは御浜ビーチに行くけど、その前にどこかでスイカ買いたいの! わかる!? 御浜ビーチ!」

Minha mãeお母さん bitchビッチ!?」

「ノー! ミ・ハ・マ! ビーチ!」


 助手席に座る暁人が、地図を指差しながら叫び続け、5分が経過していた。


 カルロス・ドス・サントス。ブラジル出身の愉快なタクシードライバーだ。5人乗りのタクシーは少し作りがゆったりめだが、静乃がだいぶスペースを占有するおかげで席はぱんぱん。おまけにこの状態であるから、ロコや莉央などはすでにぐったりしていた。


「なんでニコニコ交通はこんなドライバーをよこしたんだよ……」

「さぁ……人手不足なんだろ……」


 麗は身を乗り出し、このままでは埒が明かないと勝手にカーナビの操作を始める。


 しかし、


まねだめわがねじゃわからないぽるとがるごだはんでポルトガル語だもの

「ここにきていまさら、言語の壁でつまづくことってあるんですねぇ……」


 静乃もしみじみと呟いている。


「なんで地元のタクシー会社の人間が地名わかんないんだよ! みはま!」

「オー! ミハマ! 西のほうのね! イ! わかったよ!」


 カルロスがようやく手を叩く。タクシーはようやく動きだし、一同はほっとため息をついた。


「大丈夫か? この人……」


 みなが思っていたことを、ロコがはっきりと代弁する。


「ま、まぁ大丈夫ですよ。ほら、運転はかなり上手ですよ」


 実際、静乃の指摘した通り、タクシードライバーとしてのカルロスの運転テクはなかなかのものだった。スピードはそれなりに出ているはずなのに、車内はほとんど揺れず快適だ。修善寺を出発したタクシーは国道414号を西に進み始め、スムーズに御浜海水浴場を目指していく。


「まぁ、確かにこれなら……ん?」


 ようやく落ち着いたロコだったが、何か見てはいけないものに気づいたように、目を見開く。


「どうした、加納」

「加納って言うな」


 律儀に突っ込んでから、ロコが指差した先はダッシュボード。半開きになったそこから、青い小さな紙箱がのぞいている。


「班長、それ……」

「ん? ああこれ? ええと、第2類医薬品トラベリオンEXエクスプレス……。あ」


 見覚えのある名前だった。というか、鎌倉でロコのために買ってやった酔い止め薬であった。飛行機のCAさんに教えてもらった、「めちゃくちゃ効くヤツ」である。


「い、いやいや……」


 静乃は苦笑いして手を横に振る。


「ほ、ほら。お客さんのために常備してるかもしれないですし……」

「アーソレ!? ソレ、カルロスの薬ダヨ! 悪いけどあげられないヨ!」


 ふたたび、気まずい沈黙が車内を支配する。


「大丈夫か? この人……」


 ロコの2回目のつぶやきに異を唱えるものは、誰もいなかった。





 そこから先は、思いの外スムーズに進んだ。特別な理由は何もない。ただ、言葉で伝えることに疲れて翻訳アプリを使うことにしただけだ。会話はスムーズになったが、車内の全員が「篠崎って大変だったんだなぁ」としみじみ頷くと、麗はそれはそれで不本意とでも言いたげな顔をしていた。


 道中のスーパーでスイカを買い、彼らは御浜海水浴場へと到着する。予定より10分ほど遅れたが、誤差の範囲だろう。


 すなわち、


「海だーっ!!」


 あまりもの班の愉快な仲間たちが、更衣室から飛び出して叫ぶ。潮騒がそこまで届いていて、すでに何人かの海水浴客が、波と戯れていた。

 ビーチに到着してすぐ、彼らは海の家の更衣室へと駆け込んだ。数分後に飛び出してきた時には、もう水着だった。


 最初に暁人がビーチで遊びたい、と提案した時はみんな乗り気ではなかったし、ロコに至っては「おまえらに水着見せたくないんだが」とまで言っていたはずだが、みんな見事に水着になっていた。水着を持ってくるくらい楽しみにしていたのは素直に嬉しい話だ。


「な、なにニヤニヤしてるんだよう、班長……」


 静乃の背後に隠れながら、ロコが言う。暁人は笑顔で答えた。


「いやぁ、みんなの水着が見れてよかったなって」

「言い方!!!!!」


 ロコの水着は、大袈裟なフリルがついた黒のタンキニだった。あまり胸の目立つようなものにはしたくなかったのだろう。さらに上からラッシュガードも羽織っている。デザインはそうじて地味めだが、やたらと目立つスタイルを考えるとそのくらいでちょうど良いような気もする。


「ロコさん、気が進まないなら無理に着替えなくても良かったんですよ?」

「それはそれでなんか仲間外れみたいで嫌だ……」


 そんなロコが隠れていた静乃はというと、白いパレオがついた上品なワンピースタイプの水着だ。色は柔らかいラベンダー。胸元や腰の部分にはレース風の装飾が入っている。つばの広い帽子をかぶっていて、サンダルもリボン付きで可愛いデザイン。いかにも「大人の夏」といった色香が漂うものの、品を損なっていないのが静乃らしい。

 上品でアダルティな水着だ。背の高い彼女にも似合っている。年齢相応と言えばそうなのだが、似合いすぎていて年齢バレしないか心配だ。


たんげぇでっただデッッッッッッッッッッカ……」


 そう呟く麗の声に、静乃とロコは肩をびくりと震わせて縮こまった。気にするなら着替えなければ良いのに。別に水着にならなくても仲間はずれにしないのに。


 麗の水着は紺色のワンピースタイプ。ウェストにリボンが巻かれており、ほんのり透け感のあるスカートも含めて可愛らしいデザインだった。いつものクマさんバッグはおいてきており、白黒の浮き輪を持っている。首からは防水ケースに入ったスマホをぶら下げていた。


 麗が東北訛りででっかいと言ったのは静乃のことでも、ましてやロコの胸のことでもない。彼女は駿河湾の向こうに見える富士山を目を輝かせていた。


「おい班長、早くスイカ割ろーぜ」


 莉央は鮮やかなオレンジ色の水着に、迷彩柄のラッシュガードを羽織っていた。ロコと違い、ラッシュガードは肌を隠すためというよりシンプルなおしゃれだろう。堂々とした様子で身体を隠す様子もなく、意外と狭めの布面積が陽光を鮮やかに照り返している。腰には、少し大きめの防水ポーチをつけていた。


「まぁちょっと待てって」


 ちなみに暁人は、シンプルなブルーのショートパンツだ。薄めの青色で、サイドに白いラインが入った爽やかなデザイン。去年も七重浜海水浴場で着用した思い出の海パンだ。あの時は曇天で肌寒く、唇を紫にしながら帰った記憶がある。

 暁人は駐車場に停めてあるタクシーまで駆け寄ると、待機中のカルロスに声をかける。


「カルロス! 30分くらい遊んだら戻るから!」

「OK! イッテラッシャーイ!」


 人懐っこい笑みで手を振るカルロス。

 駐車場には何台か車が停まっており、その中にはニコニコ交通のタクシーも1台だけ停車していた。縁たちの班もすでに来ているのかもしれない。


「班長班長」


 ロコが暁人の脇腹をちょんちょんと突っついてきた。


「なんだロコ」

「なんかを勘違いしたカルロスがどっか行っちゃって、帰る時にタクシーがない! ってトラブル、あるあるだよね〜って思ったんだけど、言ったら現実になりそうだったから言わなかったんだよ。偉くない?」

「たった今全部台無しになった気がするけど……」


 暁人が冷静に告げると、ロコははっとして口を覆った。とりあえず軽く小突いておく。


 暁人はちらっと静乃を見た。潮風に帽子を押さえながら、麗と同じように富士山を眺めている。天候に恵まれ、景色もいい。持ってきたバッグから例の高級カメラを取り出すと、シャッターを押す。


「おっ、一ノ瀬さん! ボクも! ボクも撮って!」

「えっ! あ、は、はい!」


 はしゃぎながら駆け寄っていくロコ。すると、その様子を眺めたまま、麗がスマホのスピーカーをこちらに向けた。


『班長、ロコのあれ、わざとだと思いますか?』

「ノセさんが元気ないからダル絡みしにいってるって? いやぁ、素なんじゃないの?」


 ロコはそういう配慮ができない奴だとは言わないが、多分、わざとやるときはもっとわざとらしさが出る。ああやって自然体で絡みにいってる時はだいたい素だと思う。


『私もそう思います』


 頷く麗。暁人は彼女を見て、ふと、尋ねてみた。


「……藤崎は、今んとこどこが一番楽しかった?」

『なんですか藪から棒に。芦ノ湖です』

「スマホ落としたのに?」

『それを差し引いてもギリギリ芦ノ湖です。スカイウォークのロングジップスライドも最高でしたが』


 そこまで楽しんでくれたなら、頑張ってボートを漕いだ甲斐もあるというものだ。

 そういえば、と暁人は思い出した。あのとき、「もっと外に出れば良いのに」的なことを言ったら、「知ったような口をきくな」と怒られた気がする。


 麗は、そんな暁人の思考を読んだわけではないだろうが、こう続けた。


『外に出ること、他人と関わることは煩わしいと感じることもあります。何しろ、言葉が通じません。アプリで話すことをいろいろと突っ込まれるのも面倒です。なので、私は修学旅行に来るつもりはありませんでした』

「でも、えるーなの配信を見て変わった、と」

『はい。ロコのクソコメとエルナさんの言葉のおかげです』


 その言葉と共に、麗は少しだけ穏やかな顔をする。


『祖父母は心配していましたが、杞憂だったようです。班長も静乃も、私の意図を汲み取ろうと最大限努力してくれました。今までも、そういう人はいたのでしょうが、私に向き合う気持ちが足りなかったのです』

「……ええと?」


 麗がここまで自分のことを話してくれるとは思わなかったので、暁人は少しびっくりしてしまった。すると、麗はスマホを防水ケースにしまって、こう続ける。


すずのもそったもんだんたがな静乃もそうなんじゃないかな

「向き合う気持ちの話?」


 こくん、と麗が頷いた。


 そこまで聞いて、麗が麗なりに暁人を励まそうとしているのだと気づいた。暁人がちゃんと向き合う気持ちで居続ければ、静乃は心を開いてくれると、そう言いたいのだろう。


「班長! スイカ!」


 莉央のイライラした声が飛んでくる。これ以上放っておくと後が怖そうだ。


「よし、行こうか藤崎」

「ん」


 暁人は砂浜に降ろしたスイカを拾い上げて、莉央の待つ波打ち際へと向かった。

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