第29話 宣戦布告

「おー。綺麗に撮れてるもんだな」


 莉央のスマホには、麗が撮った三島スカイウォークでの写真が残っている。長い吊り橋から臨む富士山と駿河湾の絶景は、ロングジップスライドを楽しんだ後に撮ったものなのだろう。他にも、森の中で撮った写真が多数収められていた。暁人は写真にはそこまで詳しくないので、これが実際写真としてどんなものかまではわからない。だが、麗が撮ったというだけで価値は十分だった。


『明日の堂ヶ島クルーズも楽しみです』


 麗は相変わらず無表情だが。期待からわずかに血色が良くなっているように見える。


「ボクは美味しいもんが食べられたらなんでもいいなぁ」


 天井を見上げながら、ロコが呟く。


「ここの夕食も美味しかったな。金目鯛……桜エビ……」

「海鮮ばっかじゃねーか。帰っても食えね?」

「浅はかだなー。金目鯛は温海域の深海魚だから北海道じゃ獲れないんだぞ。桜エビは漁業の営業許可を出してるのが静岡県だけだから、駿河湾でしか獲れないんだ」

「へー」


 へーとは言うが、莉央は心底興味がなさそうだった。


「アタシは一応世界一の金をコースに入れたけど、割となんでも良いな」

「飛鳥馬さんの絵、楽しみにしてますね」


 静乃が笑顔で言い、莉央が「おう」とだけ応える。


「班長は?」

「え?」


 ロコが隣から覗き込むように尋ねてきた。


「班長は何が楽しみ?」

「俺はみんなが楽しけりゃそれでいいけど」

「いや、そういうの良いからさ」


 暁人は割と本音を言ったつもりなのだが、ロコは若干不機嫌気味になってその言葉を軽くあしらう。すると、今度は反対側から麗も口を挟んできた。


『班長はこの2日間、私たちのことを気にかけていたので、3日目は思いっきり楽しんでほしいです』

「んー、なるほど」


 まぁ言われてみればそうか。1日目に莉央を気遣ったり、2日目は麗とロコをそれぞれフォローしたりしていた。暁人はそれ自体が楽しいし、その結果として彼女たちが修学旅行を楽しんでくれるなら、得るものとしては十分だとは思うが。確かに個人的にやりたいことや、楽しみにしていることがないではない。


「ビーチでスイカ割りしたい」

「思ったよりガキっぽいな」

「なんだと?」

「ひい、陽キャが怒った〜♪」


 暁人が睨むと、嬉しそうに飛び退くロコ。ほんとにこいつ、一度上り調子になると際限なく調子にのるな。


「人生で一度も成功したことないんだよ。今年こそは成功させたい」

『意外とかわいいモチベーションですね』


 暁人は毎年、スイカ割りに並々ならぬ――というほどでもないか。まぁひとかどの情熱を燃やしているのだ。「スイカを綺麗に割れたら良いことがある」と願掛けをし、初めて挑戦したのが中学1年と割と遅め。それ以来、綺麗に割るどころか一度も当てたことがない。一度、貰い物の夕張メロンで試したら大成功だったが、送ってくれた農家の人にえらく怒られてノーカンになっている。


「スイカがどこにあるんだよ」

「明日はタクシー移動ですから、どこか適当なスーパーにでも寄ってもらいましょう。御浜ビーチの近くなら、どこかあるんじゃないでしょうか」


 もちろん、スイカ割り以外にも楽しみは色々ある。

 堂ヶ島マリンクルーズで見にいく天窓洞の絶景は、楽しみすぎて余計な知見を仕入れないよう、SNSでミュートワードに設定し情報の遮断を徹底した。本物のきんなんていうのは見たことないから土肥金山も楽しみだし、伊豆・三津シーパラダイスではペンギンと触れ合うコーナーには絶対に行きたいと思っている。暁人がそのひとつひとつを口に出すと、班員たちは呆れたり、驚いたり、からかったりしてきた。話せば話すほど、翌日の楽しみが膨れ上がっていくような感覚があった。


「そろそろ消灯の時間だな」


 暁人は、ロビーの時計を見て言う。


「うおー、明日も楽しみだー! 班長、おやすみー!」

「ああ、おやすみ。廊下は走るなよ」


 元気に駆け出していくロコを嗜め、暁人たちは部屋に戻る女子班員たちを見送った。


 が、


「ノセさん」


 最後にぺこりと一礼して帰ろうとする静乃を、引き止める。


「なんかあった?」

「え、えっ?」


 動揺も露わに振り返る静乃。


 みんなで足湯に浸かっている時から、彼女はちょっと変だった。もともとおとなしい感じの人ではあるが、それにしたってやけに口数が少ない。怒っているような、あるいは何かに悩んでいるような、そんな感じがした。


「ん、んーと……」

「言えないなら、無理して言わなくて良いけど……」


 と、言いかけて、暁人はかぶりを振った。


「いや、でも聞きたくはあるな。なんだろ、みんなに隠し事してることとか?」


 静乃の実年齢は、他のみんなにはまだバラしていない。これだけ一緒に生活していてバレていないというのもすごい話だが。ただ、班員同士が仲良くなればなるほど、秘密を抱えていることに後ろめたくなる、という感覚は、わからなくもない。


 だがどうも、静乃の悩みはそれだけではないようだ。彼女は少し視線を彷徨わせた後、言葉をこのように続ける。


「私の……問題なんです。だから……には、言えません」

「それを言われちゃうとなぁ」


 毒杯を呷るような躊躇ののちに吐き出した言葉を、暁人は正面から受け止めた。


 絶対に、本音じゃない。それがわかっただけでも十分だ。

 静乃はずっと旅行を楽しんでいたし、なんならみんなとどんどん仲良くなっていった。にもかかわらず、口ではずっと「仲良くなりたくない」と言っている。彼女を苦しめているのは、この矛盾だろう。


「明日は楽しめそう?」

「うー……が、がんばります」

「そこは約束してくれないと困るなぁ」


 まぁ良いか、と暁人は言った。


「心配しないでノセさん。俺はあの3人を楽しませた実績持ちだからね」


 あの足湯でロコたちに言われた言葉が、はからずも今、暁人の背中を押している。だが、静乃はぐっと言葉に詰まりながらも、頑固にも食い下がってきた。


「ど、どうですかね……! 人生経験の差ってやつがありますからね……!」


 たぶん、いける。問題ない。暁人には自信があった。

 なぜならもう、静乃は修学旅行を楽しんでいるからだ。


 何があったのかはわからないが、何かが急に、彼女の心に蓋をした。ならその蓋を取るだけだ。


 人生経験がなんだというのか。こちとら16×4で64年分である。まぁ、ロコあたりは1人分としてカウントするか疑問の余地があるけども。


「おやすみ、ノセさん。

「……おやすみなさい、浅倉くん。


 互いに宣戦布告を残して、浅倉暁人と一ノ瀬静乃は、それぞれの部屋へと戻っていった。


 どうやら、静乃の「仲良くなりたくない」と、向き合う時がきたようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る