第28話 容疑者 橘縁
『浅倉く〜ん、こっちこっち〜!』
暁人が開いた動画ファイルは、去年の函館港まつりの時のものだ。暁人は、縁や他のクラスメイトたちと一緒に祭りへと繰り出した。動画を回し始めてまもなく、青い浴衣を着た少女が、黄色い何かを片手に手を大きく振っている。
『委員長、何持ってるんだ?』
『ふふ、とうきみ〜。浅倉くん達にはあげないよ〜』
『食い意地張ってんな』
『お昼に陸上部でたくさん走ったっさ。だからお腹すいちゃって……』
少し恥ずかしそうな顔をしながら、縁は焼きとうもろこしを齧っている。その後、控えめに笑いながら暁人たちと一緒に祭りを巡る縁の様子を、あまりもの班・羽友トリオは食い入るように見つめていた。
「もうこいつがエルナで良いだろ」
「こんこはえるなみでぇなてんしらしさもっちゅんず」
「陽キャの生態を見せつけられて気分が悪い」
反応は三者三様だが、縁がエルナであるという暁人の推理に異を唱えるものはいなかった。
「あ、でもさ、前にえるーな、うちの班の出来事みたいなこと配信で言ってなかったっけ? あの時は、『そういうのウチの班でもあった〜!』って思ったけどさ。その、橘さん? の班でもあったのかな」
「あー、あれか。明日の伊豆の観光ルート決めた時の話な。委員長の班も同じような揉め事はあったらしい。羽田を降りたときにもちらっと聞いた」
「な、なるほど……。うーん……」
橘縁が白羽エルナ。考えてみれば、これほどしっくり来る結論もない。優しく柔らかな物腰ながらしっかりと芯があり、エルナによく似た弾むようなイントネーションで喋る。
しかし、だとして、どうするべきだ?
暁人はこれまで散々、自分が羽友であることを縁に話してきた。そのとき彼女がどう思っていたかは、真剣に考えると吐き気がしてくるのでいったん置いておく。
重要なのは、縁がこれまで一度も暁人にエルナの正体を打ち明けるそぶりがなかったことだ。アクキーが見つかってしまったのは誤算だったのだろうが、あの時でさえ彼女はすっとぼけ続けた。つまり、縁は明確に、暁人が自分の正体に気づくことを望んでいないのではないか。
暁人がそれを告げると、羽友トリオも腕を組んで考え込んだ。
「あ、あの……あ、浅倉くん……」
「あ、ごめんノセさん。さっき遮っちゃって。どうかした?」
「えっ? あ、ああそうです! はい。その話なんですけど!」
静乃は、ずっと片手に持っていたスマホを操作すると、その画面を暁人に向けて突きつける。とあるSNSの画面だった。
「あの、この事務所ですよね。白羽エルナが所属してるのって……」
「あ、ああ……」
そこには、「弊社タレント宛てのプレゼント受付再開について」と書かれた、事務所の発表が掲載されている。
危険物騒ぎで1ヶ月ほど停止していたプレゼントの受付を、再開するという通達。社内でプレゼントを選定するシステムがきちんと確立し、所属タレントの安全が確保できると判断してのことらしかった。これが意味するところは、暁人にもわかる。
「……つまり、本人に直絶返す必要はなくなったってことか」
「ですね」
そもそもエルナ探しは、いつアクキーを事務所に送れるか、そもそも送れるようにうなるのかわからないというところから始まった。もし、事務所にアクキーを送付してエルナに返すことができるなら、本人を突き止める必要はなくなる。
暁人は、通知文を読み進める。そこには、「弊社所属タレントの強い要望により」とも書かれていた。
プレゼントをもらうことを純粋に喜んでいるライバーもいるだろうから断定的なことは言えないが、縁がアクキーの返却をしやすいよう運営に相談しれくれたという可能性も……いや、さすがにそれは考えすぎか。
「んー……まぁ、エルナが直接返して欲しくねぇってんなら仕方ねぇか」
莉央も静乃のスマホを覗き込んで、拍子抜けしたように呟く。
「せがおさまりいさそんずな。じょっぱたってしゃあねびょん」
麗も静かに頷いていた。
「直接なんて考えたら吐きそうだし、それでいいよ……」
ロコの声には疲労の色が濃い。
「そうだな……」
暁人は青い空を見上げながら、静かに言った。
「みんな振り回してごめん。まずはバスに戻ろうか」
背負っていた重荷が急に全部放り出されあような、そんな感じだった。決して空虚なわけではないし、結論としては正しいものを得たはずなのだが、なんだか1ヶ月間無駄に走り回ってしまったような感じがある。暁人のそんな複雑な心境を察したのか、班員たちも何も言えなくなっていた。
ただひとりロコだけが、これからまたあの吊り橋を渡ることを思い出して、青くなっていた。
あっという間に時間の過ぎ去っていくような感覚。思い返せば、エルナのアクキーを拾った日もこんな感じだった気がする。
バスは伊豆・修善寺のホテルへと到着し、その後班長会議を経て、夕食の時間があり、入浴の時間があり、気づけば夜になっていた。班長会議では縁と顔を合わせたはずだが、何を話したのかほとんど覚えていない。ボロは出さなかったし、穏便に済ませられたとは思う。
暁人は、ホテルのロビーに設られた足湯に浸かりながら、この2日間と1ヶ月のことを考えていた。
アクキーの返却問題は、結局時間が解決してくれた。
エルナのアクキーを拾って、班員たちを疑い、ドタバタしたこの2日間。まるっと全部無駄骨だったかと思うと、さすがに徒労感も出るというものだ。目的のひとつを急に取り上げられて、何をすれば良いのかわからなくなるような感覚。
縁に疑いの目をむけ、あれこれ考えなくて済む、という意味では、ほっとしているのも確かなのだが。
「はぁ……」
ぱちゃ、と水面を蹴り、ため息も出る。
浅倉暁人、まだまだフレッシュな16歳だが、この時ばかりはミドルクライシスに襲われる中年サラリーマンのような面構えであった。
「おっ、班長! しけたツラしてんな〜!」
そんな時だった、ロコの調子にのったとき特有の、上擦ったような煽り文句が聞こえてきた。
顔をあげると、そこにはツルツルの湯上がりタマゴ肌になったあまりもの班の面々が、思い思いの荷物を片手に立っている。みんな学校指定のジャージではなく、部屋に備え付けの浴衣を着ていた。
「……あー」
この時、珍しく暁人は言葉に詰まっていた。いつもなら滑らかに取り繕ったり、軽口を叩いたりできるはずなのに、なんにも言葉が出てこなかったのである。
「なんだぁ? 班長、魂抜けてんな。風呂上がりの美少女4人を見て言うことはそれだけか? お?」
こいつ、出先から戻ってくると本当に元気になるな。テンションの乱高下がヤバすぎるだろ。
ロコはのっしのっしと大股でこちらに歩いてくると、暁人の隣に座って同じように足湯に浸かる。
『定年を迎えたおじさんのようですね』
麗は予備のスマホを持っていた。自作の翻訳アプリもしっかり機能しているようだ。
「足湯とかつまんねーよ。卓球やろうぜ」
莉央はぜんぜん協調性がない。ただ、1人でも楽しめる莉央が遊びに誘ってくるのは、彼女なりに距離を詰めていると考えるべきだろう。
麗は、暁人を挟んでロコとは反対側に、莉央も結局対面に腰を下ろした。少し遅れて、静乃も莉央の隣に座る。彼女は何か言いたげだが、ただひとこと「お疲れ様です」とだけ発するにとどまった。
あまりもの班の5人で足湯を堪能する。正面に座る静乃は、ささっと裾を押さえるのに対し、莉央はすらりとした脚線を惜しげもなく晒していた。
暁人は大きくため息をついて、本音を吐き出した。
「いやぁ、なんか空回ってたなぁって思って」
「何が?」
「んー、結局、時間が解決するような問題を一生懸命追い回してたなって」
笑ってそう言うが、そこにいる4人は『なに言ってんだおまえ』と言わんばかりの勢いで、食い入るように暁人を見つめていた。
「え、な、なに……?」
予想だにしていなかった反応に、思わずそんな言葉が漏れる。
「いや班長、時間で解決しないような問題があったから、ボクらはこうして一緒に足湯入ってんだろ」
「ん」
ロコの言葉に、麗も頷いた。莉央は腕を組んだまま特に何も言わなかったが、どうやら彼女たちと同意見のようだ。だが、ロコと麗は莉央が黙っていることそのものが気に食わないようで、視線をギュンと彼女へ向ける。それに気づいた莉央は、「うっ」と声を漏らしてから、絞り出すように言った。
「あー……まぁ、その……なんだ」
意味のない言葉を吐くのも、少し気まずそうだ。
「絵ぇ描きゃ良いって言ったろ、班長」
そう言って、莉央は荷物の中から大学ノートを取り出し、暁人に手渡した。
「おかげさまでアタシは楽しんでる。そいつは大事じゃねぇのか?」
暁人が大学ノートをぱらぱらめくると、この2日間の出来事がびっしりと、莉央の天才的な筆致で描かれていた。モノクロの線画だけで描かれた絵からは、風が吹き抜ける音や、静かなざわめきが聞こえてきそうだった。記憶の中の何気ない瞬間が、彼女の筆の中でまるで生きているように蘇る。
確かに、こりゃ彼女にカメラは必要ないわけだ、とも思う。
1日目は、鶴岡八幡宮や鎌倉大仏、ホテルの窓から見た箱根の景色などを描いているのに対し、その日の夜から少しずつ班員らしきものの絵が増えていく。すべて鉛筆によるモノクロイラストなのに、動き出しそうな躍動感があった。暁人が参加していない女子部屋の雰囲気が、写真などよりも鮮明に伝ってくる。
「……ロコって、寝相悪いんだな」
「良いんだよそういうのは!」
ロコがばっと大学ノートを取り上げる。
「ボクらは楽しかったっつってんの! それより大事なことなんてないだろ!」
暁人はびっくりしていた。この上ない正論だったからだ。
いや、確かにその通りだった。最初からずっと、そのつもりだったはずだ。エルナの正体を突き止めて、彼女にアクキーを返してあげたい気持ちはずっとあったが、それと修学旅行を楽しむのはまったく別の問題だったはずだ。むしろ暁人は最初から気にしていた。彼女たちが、修学旅行を楽しめるかどうかを。楽しんで欲しいと思っていたはずだ。
「浅倉くんは……」
それまで、ずっと浮かない顔だった静乃が、正面から暁人を見据える。
「白羽エルナの正体が誰かわからないと、この修学旅行、楽しめないですか?」
そんなことは、ない。暁人はかぶりを振った。
暁人は、班のみんなに修学旅行を楽しんでほしいと思っていた。そして今、彼女たちは修学旅行を楽しんでいる。
「――じゃあいいか!」
満面の笑み。憑き物が落ちたような顔で、暁人はようやく笑った。
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