第27話 容疑者 藤崎麗

 三島スカイウォークのスタッフは優秀で、あっという間に麗を見つけてくれた。


 暁人は自分でも探そうと吊り橋を渡り、ロコもめちゃくちゃビビりながらそれについてきて、2人で向こう岸のエリアまで渡ったのだが、ほぼ無駄足となった。さらに言うなら、向こう岸の北エリアについた暁人とロコを真っ先に出迎えてくれたのは、麗でも静乃でも莉央でもなく、やぼったいメガネをかけてニコニコと笑う山岡教諭であった。


「よう、浅倉」


 山岡教諭は片手をあげて言う。


「いやぁ、大変だったね。お疲れ様」

「ま、まぁ、俺は何もしてないんですが」

「ははは。先生もだよ。何もしてないし、何もしたくない」


 そう言ってから、山岡教諭は小声で暁人に耳打ちをした。


「一応ねぇ、スタッフさんに迷惑かけちゃった分、藤崎に指導をしないといけないんだけど、面倒臭いからしたくないんだよね。彼女も反省してるみたいだし、浅倉の方から軽くお説教だけしといてくれないかな」

「良いですけど……」

「じゃ、頼んだよ。よろしく〜」


 手をひらひらと振りながら、山岡教諭は去っていった。うーん、措置としては温情をかけてもらったことになるのか? これで「昼間、藤崎が問題を起こしたけど、ちゃんと叱っといたからもう怒らないでね」というアピールができるわけだ。この夜にあるであろう班長会議では、暁人の顔も立つ。山岡教諭が暁人をあまりもの班に押し込んだのは、暁人が班をまとめあげることで山岡教諭自身の評価が上がることを見越してのことだが、さすがに楽して益を取ることにはぬかりないようだ。


 周りには他の班の生徒もいて、なかば野次馬的にこちらを見ていたが、「迷惑をかけたこと」に対して憤っているような生徒はいなさそうだった。スケジュールが乱れたわけでもなし。迷子になったと判断するや、すぐに暁人に連絡してきた麗の判断が良かったという話でもある。


「さてと、藤崎たちはどこかな……ロコ?」


 さっきから、暁人のジャージの裾をぎゅっと握ったまま、ロコは死にそうな顔で荒い呼吸を繰り返している。なんかこの旅行中、彼女のこんな顔しか見ていないような気がする。いや、さすがにもっとキラキラした笑顔とかもあったか。


「し、しぬかとおもった……しぬかと……」

「帰りもあの橋渡るんだぞ」

「そ、そんなぁ!?」


 そう言えば『高いところ怖いの?』という質問への回答はまだもらっていない気がするが、もう聞かなくても良さそうだ。


 北エリアを歩き回ると、麗たちはすぐに見つかった。




「へぇー。結構綺麗に撮れてるじゃねぇか」

「わ、私の写真より上手い……。私のカメラ55万なのに……」


 ベンチに座りクマのバッグを抱いた麗の左右で、莉央と静乃がスマホの画面を覗き込んでいる。


 麗は少し照れているのかクマのバッグを強く抱きしめたまま足をぶらぶらさせていたが、暁人たちが近づいてきたのに気づくと、はっと顔をあげた。


「はんぢょ!」


 ベンチから立ち上がり、麗がたたたっと駆け寄ってくる。彼女は暁人とロコの前で立ち止まって、一呼吸置いてから、ぺこっと頭を下げた。


「しんべかげでけにな……」

「まぁまぁ。すぐに見つかって良かったじゃない」


 言葉の意味こそわからないがニュアンスを受け取って、暁人は笑う。


「ほんにめぐせぇごとだびょん」

「ま、まぁでも、判断は良かっただろ。スケジュールもちゃんと時間通りだしさ」


 暁人の後ろからひょっこり顔を覗かせて、ロコが言った。彼女は麗に話しかけるのもおっかなびっくりといった様子で心の動揺を隠しきれず、ずっとそわそわしている。


 無理もない。暁人とロコは今、目の前にいるゴスロリ無口東北訛り少女が、白羽エルナの正体だと疑っているのだ。


「浅倉くん、どうかしたんですか?」


 静乃が首を傾げているが、莉央はどうやら気づいたようだ。


「加納は違ったってことか、班長」


 こくんと頷く暁人。なんの話をしているのかわからない麗が、きょとんと首を傾げていた。


 暁人は深呼吸して息を整え、真剣な眼差しで麗を見る。


「はんぢょ……?」

「藤崎、先に謝っておくよ。ごめんな」

「どったごとじゃ」

「……白羽エルナのことなんだ」


 カバンから、大事にしまっておいたアクリルキーホルダーを取り出す。


 橋を渡る間、少し考えていた。

 もう残る候補は麗しかいない以上、無理に問い詰める必要もないのではないかと。静乃にアクキーを渡して、そっと返してもらうのが一番良いのではないかと。だが麗に、というか班員の誰かに隠し事をするような形で事態に決着をつけることへの違和感が、どうしても拭えなかった。

 きっと、ファンの行動としては間違っているのかもしれない。暁人の思い描く理想の羽友のあり方とは、ズレたことをするのかもしれない。だが、暁人は班の一員として、麗に対して隠し事はしたくなかった。


 麗の目が、大きく見開かれる。


「班長……どこまでわかって、言ってるの?」


 小さな唇から漏れた声は、弾むようなイントネーションを持っていた。声がわずかに震え、ややぎこちない印象はあるが、記憶にあるの喋り方によく似ていた。静乃と莉央が驚いた顔を見せる。ロコが目を伏せ、暁人はしっかりと正面から麗を見据えた。


「全部だ」

「そっか……全部か……」


 少し目を閉じて、考える麗。それから彼女は、額に汗を滲ませ、おそるおそる聞いてきた。


「……私が、これまで彼女に投げた、スパチャの累計金額も?」

「ん?」

「え?」


 一瞬だけ、時が止まる。暁人はロコを見て、ロコは莉央を見て、莉央は暁人を見た。静乃は微妙に蚊帳の外だった。


 びしっとロコが手で十字を作る。


「作戦ターーーーーーーイム!!」


 それから、ロコがぐっと暁人と莉央の袖を掴んで、離れた場所まで引っ張って行った。


「え、えるーなってそんなに誰かにスパチャ投げてるっけ?」

「いや、聞いたことない……」

「っていうか、むしろエルナがもらってる側だよな。配信で毎回赤スパ投げてるやついるだろ」

「ああ、かなりあ氏ね」

「あいつずっと無言で投げてるけど、最初の1回だけはコメントついてなかったか?」

「そうだ! 覚えてる。確か、事務所所属になってしばらく後だよ」

「おまえらキッショ。なんでわかるんだよ……」


 暁人と莉央はスマホを開き、エルナの配信アーカイブを確認する。


 なんの変哲もない雑談配信枠。そこに、今や名物リスナーとなった“かなりあ”氏の、初の赤スパコメントが綴られていた。


『私も、エルナみたいに喋れるようになりたい』


 3人は改めて顔を見合わせ、それから麗に振り返る。


「「「ど、どういうこと……?」」」

わがきぎてぇんだば私が聞きたいんだけど!!」





 麗はエルナではなかった。

 エルナの配信で、毎回無言で高額スパチャを叩きつけていく名物リスナー・かなりあ氏だったのである。麗は実はこれまで結構なアプリ開発に携わっており、お金はたくさん持っているのだった。考えてみれば、鶴岡天満宮でも財布を開いて万札を握りしめていた気がする。昨日、荷物を持って部屋から消えたのは、エルナの凸を見ながらひとりで標準語の練習をするためだったらしい。荷物というのはもちろん、自前のラップトップだ。


「にしてもめちゃくちゃ上手だったな……」

「電話越しだとエルナかなって思ったもんね」


 確かに声質は違うと言えば違うし、緊張のためか声の震えている様子も見受けられたが、抑揚や声のトーン自体はほぼ完コピと言って良いレベルだった。


 麗は、学生の身分でありながらアプリ開発で収入を得ている。あるとき仕事の関係でVtuberを調べる機会があり、その際に目に留まったのが、白羽エルナだったのだという。彼女の甘い声と弾むようなイントネーションに魅了された麗は、少しずつ、彼女の喋り方を真似して標準語の練習を始めた。


「そったにほめねでげ……。まんだまんだだじゃ」


 麗は少し頬を赤くして、顔をクマのバッグに埋めている。


「藤崎が修学旅行にきたのはあれか。やっぱ、アタシと同じでエルナの配信がきっかけか?」

「ん」


 莉央の言葉に、頷く麗。まぁそうだろうな、と暁人は思った。

 まさかエルナのあの言葉をきっかけに、問題児3人がいっせいに修学旅行に来る気になるとは。


「ちなみにあのコメントしたのボクだぞ」

「それ言うんだ……」


 自慢げに胸を張ってクソコメしたことを主張するロコ。すると、莉央と麗が「おおっ」と目を輝かせてロコの肩を叩いた。


「あのくだらねぇクソコメはどうかと思うけどよ、結果的にはファインプレーだぜ!」

「ん、ん」


 莉央が機嫌よく笑い、麗も頷いている。場の空気が和やかになり、朗らかな笑い声が三島スカイウォークに響き渡った。


 だが、お話はこれで終わりではない。


「それで」


 莉央が、ぐりんと暁人に顔を向ける。


「こりゃどういうことなんだ、班長」

「わかんない……」


 暁人は、さっき取り出したばかりのアクキーを見て考え込んだ。


 何か見落としがあるのだろうか。このアクリルキーホルダーを落とすことができたのは、あまりもの班の4人だけだったはず。その全員がエルナではないとしたら、このキーホルダーを落としたのは一体誰なのか。ひょっとして、そもそもこれはエルナの所有物ではなかった? それにしたって、アクキーは現実に存在しているのだから、誰かがこれを落としたことは変わらない。

 みんなが嘘をついているとは考えにくい。だとしたら、残る可能性とはなんだ……?


「あ、あのう……」


 暁人の背後でおずおずと、気まずそうに静乃が手を挙げる。


「実はなんですけどぉ……」

「いや……そうか!」


 暁人ははっと顔をあげる。びくっと肩を振るわせる静乃。


「なにかわかったのかよ、班長」

「ああ。もしかしたら、……!」


 これが推理ドラマなら、全員のハッとした顔のカットが小気味良いSEと共に切り替わったことだろう。


 そう、アクキーは暁人が見た時点で、廊下に落ちていたわけではなかった。暁人は、カバンのポケットから顔を覗かせていたのを指摘したに過ぎないのだ。もしポケットから飛び出していたのが偶然で、暁人の指摘が単なる事故なのだとしたら。


 その可能性を考慮に入れた時、候補はもうひとり浮上する。


「委員長……!」


 暁人のクラスメイトであり、2年1組の委員長である橘縁。


 白羽エルナの正体は、彼女だ。

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