第25話 みじめになるだろ!

「高いところ怖いの?」


 片手に持ったソフトクリームを差し出して、暁人はそう言った。

 げっそり顔をしていたロコだったが、丸テーブルでしばらく休憩しているうちに、いくらか元気を取り戻してきたらしい。顔色はよくなっている。不機嫌そうな顔を浮かべているのは相変わらずだが。


「班長は、ボクがアイスで機嫌を直すような子供だと思ってるのか?」

「いや、俺が食いたかっただけだけど。いらないの?」

「……いります」


 観念したように呟いて、彰人からソフトクリームを受け取るロコ。ソフトクリームを舐めながら吊り橋の方を見ると、彼女のテンションとは裏腹に、憎らしいくらいの快晴のもとそびえる富士の威容が眩しかった。ロングジップスライドに挑戦する生徒たちの楽しげな歓声が遠ざかっていくたび、ロコは大きなため息を漏らす。


 ロコは、ロングジップスライドをキャンセルした。

 吊り橋もいざ目の当たりにすると足が震えて一歩も動けないという有様であり、結局、南側エリアで休むことになった。


 本来なら、こういう時は引率の先生がロコについていてやるべきなのだが、山岡教諭は誰よりもロングジップスライドに挑戦したがったので、結局は暁人がロコを連れて休憩エリアまで移動することになった。


「……班長も行ってきたら? ボクに構うことないだろ」

「お前を1人にすんのはいろんな意味でちょっと無理だよ」


 まぁ、実際ちょっと楽しそうだなとは思ったが。滅多にできる経験ではないし、やっておきたかったなーという気持ちはある。


 ただ、どのみちロコを置いていっては楽しめるものも楽しめない。それならば、彼女が過ごす退屈な時間の話し相手になった方が、暁人としてはよっぽど楽しい時間を過ごせるのは事実なのだ。

 結局、『高いところ怖いの?』に対する回答はないままだ。別に嫌なら答えなくても良いけども。


 暁人も丸テーブルについて頬杖をつきソフトクリームを舐めていると、何かをこらえるような苦悶の声が響いてきた。


「う……うう……」


 ロコの両目から、涙がぼろぼろと溢れ始めていた。


「えっ!? あ、あれっ! うそ、えっ!?」


 慌てて立ち上がる暁人。周囲の観光客が、こちらに好奇の視線を向けている。


 なんだ。何があった!? なんで急に泣き出したんだ!? さっぱりわからない!

 浅倉暁人の人間強度をもってしても、完全に不測の事態だった。


「ろ、ロコ? おいどうした? なんだよ急に……」

「ふぐッ……! う゛ッ! お゛うッ……!」


 嗚咽が割と洒落にならないデカさだ。彼女は、残ったソフトクリームを口に放り込むと、泣きながらもしゃもしゃとコーンを咀嚼し始めた。


『見て、きっと別れ話よ』

『可哀想に……』

『あの男遊んでそうだから……』


 聞き捨てならない誹謗中傷が周囲から飛んでくる。

 誰がわざわざ三島スカイウォークまできて別れ話するっていうんだよ! シチュエーションを選ぶにしたってもっと近場で済ませるわ!


「ろ、ロコ! いったん静かな場所に行こう! なっ!?」

「お゛うンッ……!」


 暁人は、ロコの手を引っ掴んで席を立つ。その間も彼女の、獣のような啜り泣きは止まなかった。





「……放せよぉっ!」


 しばらく進んだところで、暁人の手をばっと振り払い、ロコが叫んだ。


「な、なんだ。どうしたロコ」

「うるさい、ボクに優しくするな! みじめになるだろ!」


 これまでいっさいそんな素振りを見せていなかったのに、急にそんなことを捲し立てられて、暁人も面食らう。ロコは顔を真っ赤に泣き腫らして、荒い呼吸を繰り返していた。だが、その目元にはわずかに動揺が混じっていて、衝動的に吐き出してしまった言葉への後悔が滲んでいた。


 ロコはまたくるりと背中を向け、脱兎のごとく走り出す。


「あっ、おいこら!」

「追ってくるなよぉ! 呆れて突き放せよ! 嫌なところ見せろ!」

「何言ってんだ!?」


 暁人には、ロコの言っていることの意味がよくわからなかった。だが、彼女は逃げながらも本音を叫び散らかす。


「毎回調子のいいこと言って迷惑かけて、そのくせ何にもできなくて! でも周りの奴らはみんな良い奴らだ! ボクは陽キャを敵だと思ってたのに、班長もボクに優しくする! ボクはチョロいから嬉しかった! でも、それじゃあボクは誰を恨めば良いんだよ!」

「う、恨まないとダメなの……?」

「そうやって自我保ってんだよ陰キャ(クソデカ主語)は! 自分より優れたやつが人格的に劣ってると思わないと世界のバランスが取れないの!」


 行き止まりのフェンスにぶち当たったロコが、くるりと振り返って叫ぶ。


「おかしくないか!? なんでうちの班には天才画家と天才プログラマーがいるんだよ!」

「それは俺もおかしいと思った」

「ボクは何も持ってないし、性格だってウンチだ! でも一ノ瀬さんは変な人だけど良い人で、班長は陽キャで良い人じゃん! せめてこういう時くらいボクを無視して楽しんでくれたら、ボクは納得できた! でも、班長は遊びに行くのを我慢して、ボクは自分の嫌なところを見せつけられるだけだ! 今だって……」


 そこで、ロコは言葉をつぐんだ。視線を泳がせたのち、暁人を正面から見据える。


「今だって……自分勝手なこと言って班長を嫌な気持ちにさせてる」

「い、いや。実はそんななってないけど……」

「なれよぉ!」


 どっちかというと、ロコが本音をぶつけてくれた嬉しさの方が勝ってしまっていた。


 正直言って、ロコの言葉の意味は半分くらいしか理解できない。だが、はっきりしていることはひとつある。


 ロコは苦しんでいる。一歩を踏み出す痛みに身を焼かれている。本当に、他者への嫉妬を自分の中で誤魔化すのを良しとしているだけなら、彼女はこんな風に怒ってはいないはずだ。たぶん、最初に会った時のように何かを冷笑し、見下す態度を取り続けただろう。


「ロコ」

「来るな。飛び降りるぞ」


 フェンスを掴んでロコが言う。


「ロコ」

「できないと思ってるのか? そうかもね。ボクはビビリだからさ」

「ロコ」

「止まってよ班長。ボクが飛び降りたら……後悔するでしょ。だから……」

「いや、そっちは崖じゃないぞ」

「えっ」


 ロコがフェンスの向こう側を覗き込むと、そこは高さ1メートルほどの段差になっていた。

 吊り橋がかかっているのは正反対。暁人の背後であり、人間ひとり軽くバラバラになりそうな高さの絶景が広がっている。確かにそこのフェンスを掴んで同じことを言われたら、暁人ももう少し冷静ではいられなかった。


「……何やってんだよぉ」


 ずるずるとその場に座り込んで、ロコは情けない声をあげる。そのまま、あまり意味のなさない鳴き声を発し続けるのを、暁人は何も言わずにただ見守っていた。

 ようやく落ち着いたあたりで、ロコは目元をぬぐいながらぽつりぽつりとしゃべりだす。


「クラスで孤立してる時は楽だったな……。さっきみたいなこと考えなくてよかったし。修学旅行来てからだよ。こんなこと思うなら、修学旅行なんか……」

「ロコ」


 暁人は優しく声をあげて、彼女の肩を叩いた。


「やめとけ。言ったら後悔するぞ」

「………うん」


 蚊の鳴くような小さな声だが、こくりと頷くロコ。


「班長がいいやつで良かったと思ってるよ」


 それから、フェンスに背中を預け、つぶやく。


「修学旅行は楽しいしさ。みんなまぁ、気に入らないところもあるけど、話せば楽しい。でも、その度に何もない自分が嫌になるんだよな。一方的になんかもらってる気分になるし、こいつら、友達選ぼうと思ったらボクよりいいやついっぱいいるよなって」


 暁人は、語り続けるロコの隣に座り込んだ。

 友達に順位なんかつけても仕方ないんだけどな。でも、そんなことを言ってもロコは納得しないだろう。どちらかを選ぶタイミングが来た時に、どちらかを後回しにするのは変わらない。


 ちなみに、自分の分のソフトクリームは片付ける余裕がなかったので、彼の手の中でドロドロに溶けてしまっている。暁人はロコの話を聴きながら、ふやけたコーンを口に放り込んだ。


「そうは言っても、嫌なやつになるのも難しい。どうすりゃいいんだ」

「うーん、ボクにセクハラでもしてみるか? だいぶポイント下がるぞ」

「ちょっとリスクが高すぎるな……」


 暁人は、ジャージをこんもりと押し上げるロコの胸元をちらっと見てから、首を横に振った。


「まぁ、なんなくていいよ。班長は、班長で良い」

「この修学旅行終わったら班長じゃなくなるけど……」

「嫌だ。ずっと班長でいてよ」


 無茶なことを言う。

 もっとも、呼び方なんていうのは自由だ。修学旅行が終われば縁が切れるというわけでもない。ロコの好きなように呼べば良いだろう。


「班長。なんかボクにしてほしいことないか?」

「うん?」

「このままだと、なんか……バランス悪いだろ……。いっぱい愚痴聞いてもらったしさ……」

「うーん……」


 別に、そこまで負担になってもいないし、嫌な気持ちにもなっていないしなぁ。


 暁人はそう思うのだが、おそらくロコは納得しないだろう。バランス云々は、言ってしまえばロコの納得の話だ。

 彼女は自分を納得させるために、対価を払いたがっている。


 暁人は、少し考えていた。もちろんだ。


「……質問でも良いか?」

「うん? いいよ」


 この一歩を踏み出すには、とても勇気がいる。何かが致命的に変質してしまう可能性があるからだ。

 だが、同じ恐怖を少なくともロコは味わったはずだ。だから、立ち止まっているわけにはいかなかった。


 暁人は覚悟を決め、そして隣に座るロコを見た。

 口を閉じ、風に吹かれる彼女の横顔。すんとしている時のロコは、やはり普段と違ってどこか儚げな印象がある。


「ロコってさ、」


 そして暁人は、その質問を口にした。


「Vtuberやってんの?」

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