第24話 揺れるバスとファン心

 午後に『アウトドアコース』を選択した班は、芦ノ湖の遊覧が終わった後、三津スカイウォークへと移動する。箱根からは離れることになるが、次の宿泊先である伊豆の修善寺まではそう遠くない。それなりに長く遊べる予定だ。

 あまりもの班を含め、参加する班はそこまで多くはないようで、今回の移動用バスは席にそれなりに余裕があった。初めてあまりもの班はそれぞれバラバラの席に腰を落ち着ける。


 ちなみにこのコースの引率役は、暁人たち2年1組の担任である山岡教諭である。

 のっけからハイテンションで、バス内ではさっそくうざがられていた。


「………」


 だが、暁人には山岡教諭をフォローする心の余裕はなかった。


 ロコが、白羽エルナ。


 確定ではないが、今のところその公算がもっとも高い。

 覆る可能性があるとすれば、スマホを失った麗が標準語で何かを喋る時か。


「うーん……」


 暁人は腕を組んで考えていた。


「難しそうな顔ですね浅倉くん。楽しんでます?」

「むずいね。なにぶん佳境だから」


 隣に座った静乃に、暁人は正直に返答する。


「ノセさん、昨日、ロコと藤崎はいつ頃部屋に戻ってきたの?」

「うーん。ロコさんが、件の『凸待ち配信』が始まってから30分くらいかな?」

「なるほど」


 暁人はスマホを取り出し、昨日の幽蘭堂クロハの配信アーカイブを開いた。熱心なファンがタイムスタンプを残していてくれているので、エルナの凸のタイミングや凸終わりのタイミングがすぐにわかる。

 エルナがクロハの配信に滞在したのは15分ほど。通話を終えてからのんびり部屋に戻ったとしても、30分というのは十分納得できる時間だ。そしてロコはスマホにピッチクラフトを入れているので、エルナの声で通話することができる。


「一応聞いておくけど、藤崎は?」

「藤崎さんはかなり長い間いませんでしたね。私が浅倉くんと飛鳥馬さんに呼び出されて、戻って来たら部屋にいました。どこ行ってたんでしょうね」


 あのホテルにそんな長時間ぶらつくようなところはなかったと思うのだが。


「他には何か?」

「藤崎さんは結構大きな荷物持って行ってました。今考えたらラップトップだったのかな」

「怪しいっちゃ怪しいけど、プログラマーだってわかるとなぁ」


 やはり、エルナ候補はロコに傾いている。


 白羽エルナは、自称陰キャだ。だが学校生活を始め、あらゆるものを積極的に楽しもうという前向きな姿勢を持っている。

 最初、ロコの考え方はエルナのスタンスと正反対だと思っていた。常に物事に対して不平や不満を漏らす皮肉屋。が、実際一緒に修学旅行に来てみると、多分それは彼女の本音ではないのだろうというのがわかる。ロコは莉央と同じで、楽しみ方がわかっていないだけなのだ。「楽しめない自分」から逃げるために、あんな斜に構えた態度を取ったりする。


 Vtuber、バーチャルYoutuberというものは、誰しもがなりたい自分になれる。

 大人が子供に、男が女に、人間が人外に。白羽エルナが、加納浩子の「なりたい自分」なのだとしたら。


 彼女にどうやって、その話をすればいいのだろうか。


「ノセさんが、もしロコだったとしてさ」

「えっ、あ、はい」

「それで、自分の理想像をVtuberとして演じていたとして、やっぱそういうのはバレたくないよね」


 暁人の質問に、静乃はしばらく黙って考え込んだ。彼女は真剣な眼差しで正面を見つめたまま、こくんと首を縦に振る。


「それは、そうですよ」

「だよね」

「でも……」


 静乃は、やや迷いながらも言葉を続ける。


「でも?」

「この班のみんなになら、話して良いって思うかもしれません」

「そういうもんかな」

「浅倉くんにはわからないかもしれないですけど、この修学旅行、みんなにとってすごい特別なものになってますよ」


 そう言われて、暁人は驚いたように目を見開いた。


「みんな誰も言いませんけどね。多分、不安があって来たと思うんです。修学旅行、楽しめるのかなって」

「………」

「今は飛鳥馬さんも藤崎さんもロコさんも、楽しんでるはずです。それはわかるでしょう?」

「それは……うん」


 暁人は、芦ノ湖で見た麗の笑顔を思い出す。あのあと、彼女は大切なスマホを落としてしまったわけだが、そのあと麗は、静乃やロコに「プログラムが自作であること」を褒められてまんざらでも無さそうだった。今も、硫黄臭によってノックアウトされたロコをつついて遊んでいる。莉央は莉央で、さっき話に乗り損ねた分、麗にアプリ製作の話を振ったりしている。


「昨日、お風呂で翻訳アプリが使えなかった時、ロコさんが藤崎さんに優しい言葉かけてたりしましたよ」

「おぉ、やるじゃんロコ」


 班員たちは、なんだかんだでみんな仲良くなってはいるのだ。修学旅行前には考えられなかったことである。

 何か明確な、ドラマチックなきっかけがあったわけではない。いや、もしかしたら彼女たちそれぞれにはあったのかもしれないが。


 静乃も、秘密を抱えている。暁人にしかわからない秘密だ。

 そんな彼女が「この班になら話して良いかもしれない」と言った重みを、暁人は静かに噛み締めた。


「……白羽エルナの正体は、ロコさんで決まりなんですか?」

「うーん。傾いてるってだけかな。藤崎も怪しいっちゃ怪しいし……」


 さきほど静乃が言った大きな荷物だってそうだ。

 旅行先でもノートパソコンが手放せないVtuberは多いと聞く。昨日のエルナの凸は音質が良かったので、それなりにしっかりした機材を使っていた可能性も否定できないのだ。


「……ちゃんと聞いたら、答えてくれるんだろうか」


 暁人がぼそりと呟くと、静乃はしばらく黙り込んだあと、大きく頷いた。


「はい。きっと」


 そうだとしたら、あとは自分の覚悟の問題か。


 暁人も、3日目を何のしがらみもなく過ごしたい気持ちが強くなりつつあった。

 エルナがロコか麗か確定したとき、自分が果たして正気でいられるのかどうか。心残りはそれだけなのである。




「すっげぇ景色! おい見てみろよ、加納! 藤崎!」

「か、かか、加納って呼ぶな! 手を引くな! 触るな!」

「たんげぇげずくだじゃ」


 ロコが悲鳴をあげながら、莉央に引きずられていく。莉央は目をキラキラさせながら、目の前に広がる絶景を眺めていた。目を輝かせてるのは化粧地に興味がある麗も同様だ。『アウトドアコース』に同行した他の班員たちまでもが目を見張っていた。


 三島スカイウォークは、全長400メートルにも及ぶ日本最大の人道吊橋である。箱根山地の西端から正面の丘陵へとまっすぐ橋が伸びていて、眼下には見渡す限りの緑が広がっている。吊り橋は地上70メートル。来る前は「なんだ、五稜郭タワーより低いじゃんか」と余裕ぶっこいていたロコが真っ青になっている通り、単なる高さだけではなく、視界いっぱいに広がるスケールのでかさで思いっきり殴りつけてくる。


 ちなみに、全長400メートルの吊り橋は、縦にすれば函館山よりも高い。


 いささか風は強いが天候にも恵まれ、目の前には富士山の威容も一望できた。


「いやぁ、でっけぇなぁ!」


 腕を組んで、莉央がここぞとばかりに張り上げる。


「あ、あ、えっ……わ、私の方が大きいですけどねぇ!」


 まけじと静乃が叫び、昨日の鎌倉大仏のリベンジを果たした。あまりもの班の5人がどっと笑いの渦に包まれ(ロコだけは引き攣っていたが)、他の班の生徒たちは少し訝しげにこちらを見ている。


「よーしみんなぁ! この三島スカイウォークを堪能するぞぅ!」


 そう言って拳を突き上げたのは、暁人の担任の山岡教諭である。他の教員たちとは違い、疲れとは一切無縁。暁人が以前、エルナのアクキーのことで相談しても何の力にもなってくれなかった無責任が服を着て歩いているような男である。


「ゆ、愉快な先生ですね……」

「よく言われる」


 やや引き気味の静乃に、暁人は苦笑いを浮かべて答えた。

 山岡教諭は腕をぶんぶん振り回しながら叫んでいる。


「というわけで、ロングジップスライドやるぞー!」


 その言葉に、さらに目を輝かせる莉央と麗。


 ロングジップスライド。まさにこの三島スカイウォークの目玉アクティビティだ。吊り橋のかかった南エリアから北エリアまで、ジップラインで滑って移動する。

 よりわかりやすく説明するのなら、伸びた一本のワイヤーロープに身体を固定するハーネスを吊るして、一気に滑っていくのだ。


「頭おかしいんじゃないのか……?」


 ロコが言った。


「こんなん使うのApexのキャラだけだろ……」

「使ってやれよ。パスファインダーが可哀想だろ」

「そういう話してないが!?」


 莉央の胸ぐらを掴み、がくがくと前後に揺するロコ。

 ロコが高所恐怖症とは聞いていなかったが、まったく違和感がない。むしろ、スカイウォークに来る前からこの反応はわかっていた気がする。もちろん、ロコは事前にロングジップスライドのことを聞いていたので、想像くらいしていたはずなのだが。


「ロコ、楽勝って言ってたろ」

「実際に見ると怖い……!」


 どうしようもないなこいつは。


 そんな会話も気にせず、山岡教諭は続ける。


「あ、でも一応ロングジップ参加するには条件があるからな。まず体重100キロ以上の子」


 全員の視線が、いっせいに静乃に向いた。


「そんなに重くありません!」


 顔を真っ赤にして、静乃が叫ぶ。


「それから、身長140センチ未満の子」


 全員の視線が、いっせいに麗へと向いた。


「わのじゃまそったらひぐねじゃ!」


 麗も津軽弁全開で叫んだが、言いたいことは伝わった。


「それから小学4年生未満の子」


 おずおずとロコが手をあげた。全員の視線が、つられるようにしてロコに向く。


「ぼ、ボクもしかしたら9歳だったかもしれない」

「それは無理があるだろ」


 その場の全員を代弁して、暁人がツッコミを入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る