第23話 スマホを落としただけなのに
「加納……。おまえ、アタシになんか言うことあるんじゃねぇか……?」
「は? ないよ。っていうか加納って呼ぶな」
並の不良生徒なら即死させられるほどの眼光を受けて、ロコはふてぶてしく答えた。出会った当初ならビビり散らかしてあることないこと喚き散らしていた可能性すらあるので、彼女もだいぶ飛鳥馬莉央という人間に慣れてきたらしい。
不機嫌にそっぽを向くロコを見て、莉央は頭の後ろに手をやり、身体を大きく傾ける。
「うーん、ダメかー。水曜日のダウンタウンだとこれでいけてたんだけどなー」
「上下関係がある場合だけだろ……。っていうか何年前の説だよそれ……」
莉央はさっきから「何か隠し事があるだろ!」だの「なぁ加納、黙っててもタメにならねぇぞ?」だの、かまかけにもなっていないような質問を繰り返すだけだった。まさかここまで無策とは思っていなかったので、さすがの静乃も閉口である。
「ねぇ一ノ瀬さん。こいつさっきからなんなの?」
「さ、さぁ……。私にはわからないですねぇ……」
まさか「推しVtuberの正体だと疑っている」と言うわけにもいくまい。静乃は口を閉ざすのみだ。
ただ年長者の勘ということで良ければ、実際にロコは何か隠し事をしているなという気はしていた。最初に莉央に追求されたとき、彼女は明確に視線が泳いでいたのだ。いったいその隠し事が何かまでは、さすがにわからないが。後ろめたいことなのかもしれないし、シンプルに恥ずかしいことなのかもしれないし、その両方ということもあり得る。
本音を言えば、他人の隠し事を積極的に暴きたいとは思わない。なにせ静乃自身が隠し事をしているのだ。この子達は自分の本当の年齢も知らない。
今は粛々と、スワンボートのペダルを漕ぐだけだった。
「一ノ瀬、おまえからも隠し事がないか聞いてくれよ」
「一ノ瀬さん、うるさいから黙れって伝えてくんないかな」
「あはは。ふたりとも、喧嘩はダメですよ〜」
静乃の弛緩した空気のおかげで、致命的なギスギスは絶妙に回避しながら、3人を乗せたスワンボートは芦ノ湖をゆっくり進むのだった。
「……ところで、なんか変な臭いしないか?」
ボートが湖の中を進んでいる時、不意に、ロコがそんなことを言う。
「あん? 別に何もしねぇけど」
「いやなんか……風にのって……卵の腐ったみたいな臭いが……うっ!」
急に口元を押さえるロコ。静乃と莉央は、顔を見合わせて真っ青になった。
暁人と麗が湖畔でソフトクリームを舐めながら待っていると、ようやく静乃たちを乗せたスワンボートが戻ってきた。
「おかえり、ノセさん。……ロコはどうしたの?」
暁人の視線は、静乃の背後、ぐったりとしたロコに向けられている。彼女は莉央に肩を貸されながら、引き摺り出されるようにスワンボートから這い出してきた。どうやらトラブルが起きてしまったのは、暁人たちの方だけではなかったようだ。
「まさかまた酔った?」
「あー……実はですねぇ……」
なんでも、途中までは順調に湖面の船旅を楽しんでいたのだが。少し強めの風が吹いたあと、ロコは「なんか変な臭いがする」と言い、急に体調が悪くなってしまったのだという。
「硫黄臭かな? 大涌谷からはだいぶ離れてるけど、地下の火山活動の影響次第では、この辺でもたまに硫黄の臭いがするって言うよね」
「私たちは感じないんですけど、ロコさんはその辺敏感みたいで……」
「うちの保健係は本当にか弱いな……」
「うう……気持ち悪いよぅ……」
げっそりした表情で、今にも嘔吐しそうなロコ。というか、もしかしたらすでに何度か吐いた後なのかもしれない。
結局、莉央は彼女についての証拠を得ることには成功したのだろうか。それどころではなかったようにも見えるが。莉央はロコの背中をさすってやっていた。面倒見がいいのは良いことだが、ここでゲボ吐かれても困るんだよな。
「あ、あのう、浅倉くん」
「どしたのノセさん」
「篠崎さんは何かあったんですか?」
おずおずと手を挙げた静乃が、暁人の背後の麗に視線を向ける。彼女は浮かない顔をしてずっとソフトクリームを舐めていた。
まぁ、こちらのトラブルについても説明せねばならないだろう。暁人は頭を掻きながら答えた。
「実は、スマホを湖に落としちゃって」
「えっ! 大変じゃないですか!」
「一応、ボート小屋のおじさんに聞いてみたんだけど、さすがに探せないってさ」
結局、あのあと暁人は自分で芦ノ湖に飛び込もうとしたのだが、麗が必死に止めるので諦めた。その後、釣り具屋で釣竿を借りたり、八方手は尽くしたのだが成果は得られなかった。芦ノ湖の平均水深は15メートル、最大水深は44メートル。そりゃあ無理だろうってもんである。
聞いた話では、昨日の入浴のときも麗は不安そうにしていたらしい。風呂に入る時間だけでもそうなのだから、スマホと翻訳アプリが使えないことによる不安と苛立ちは相当なものなのだろう。
「ふふ……バカだなおまえたちは」
死にそうな声のまま、ロコが不敵に笑った。
「おい加納無理すんな」
「加納って呼ぶな! うぶ……。いや、こんなのさ、ボク達の誰かが翻訳アプリダウンロードすれば良いだけだろ……」
ロコはそういって、片手でスマホを操作し、アプリストアで検索する。
「……藤崎さんが使ってたアプリって、どれ?」
「ね」
「なんだって?」
「あんあぶりわがこさえだもんだはんで」
ロコが訝しげな表情で暁人を見る。暁人は肩をすくめて答えた。
「あのアプリは、藤崎が自分で作ったものだからストアにはないんだってさ」
「は!?」
「ずまほもほでるさけぇればよびあんず」
「スマホもホテルに戻れば予備はあるから、そんな心配しなくて良いって」
麗は、それだけ言うと再びアンニュイな表情でソフトクリームを舐める作業へと戻る。
そう。実はロコがやろうとしたことは、暁人が速攻試したことでもある。だが、麗はすぐに暁人のスマホを受け取ると、素早いフリックでテキストを入力し、暁人へと突きつけた。そこに書かれていたのが、『あのスマホは自作だからストアには無い』というものだった。
あれだけの翻訳アプリを自前で作るとは、ちょっとどころではなくすごい。
「えっ、す、すごくないですか!?」
「篠崎さん、アプリ作れんの!? え、ほ、他にも作れる!?」
「ん」
静乃とロコも大興奮の様子だった。麗はこうしたチヤホヤには慣れているようで、あまり慌てこそしなかったが、班員から褒められたことだけは素直に嬉しいようだ。短いレスポンスの中にも、ちょっぴり得意げな態度が滲んでいた。
エルナがプログラムを組める、というイメージはあまり無い。OBSをはじめとした配信ソフトのトラブルを自力で解決したことは何度かあるが、どうしようもない時はスタッフの力を借りたり、同じ事務所に所属するパソコンに強い同僚の力を借りていたりする。麗がエルナである可能性は下がった、ような気がする。
「班長」
莉央は口元に笑みを浮かべながら近づいてきた。
「飛鳥馬、その感じだと収穫はあったみたいだな」
「ああ、たった今な」
「なるほど。ハラハラしたけど信じてよかっ……たった今?」
じゃあそれまで何の収穫もなかったってこと? 暁人がツッコミを入れようとするが、莉央はそれを片手で制止した。
「さっき、加納がスマホ操作してるときに、ちらっと見えちまったんだ」
「何が?」
「L2Dstudio」
それを聞いて、暁人もすぐにピンときた。
「……なるほど」
L2Dstudio。Live2Dモデルを動かすためのスマートフォン向けアプリだ。
Live2Dとは、2Dイラストをアニメのように動かすことができる技術のことである。ゲームの立ち絵などで使用されることが多くかったが、近年は2Dモデルでの活動を行うVtuber、とりわけ配信を主体とするライバーがその技術の恩恵に預かっている。3Dモデルを用意することに比べれば、準備コストも運用コストも圧倒的に低く済むのが最大の利点だ。
「でもそれだけじゃ、確実なこと言えないんじゃないか?」
「MimicLiveとPitchCraftもあった」
「……うーん」
前者は顔のトラッキングを行うアプリ、後者は声をリアルタイムで加工するアプリだ。どちらも「L2Dstudio」との連携が可能である。特に、「L2Dstudio」「MimicLive」は万能配信ソフトのOBSと合わせ、特に個人勢からは「三種の神器」と呼ばれている。
「……ピッチクラフトがあるのが、クサいよなぁ」
ロコの声帯からエルナの声が出るイメージはあまりないのだが、声加工アプリがあるとなると話は変わってくる。というか、ロコにせよ麗にせよ、この2人が候補に残った時点で、PitchCraftを使用している可能性は十分に考えていた。
「ほぼ確だとしても、それをどう確定させるかだな」
人狼ゲームのように吊っておしまいというわけにはいかない。聞き方ひとつとっても、エルナを怖がらせないようにしないといけないし、そもそもロコをあまり不快にさせるような行動はとりたくない。
「それなんだがよ、班長」
まだ何かあるのだろうか。暁人が莉央の方を向くと、神妙な顔で彼女は言った。
「ボートの上で散々加納のやつを問い詰めちまったから、少し間をおいた方がいいかもしれねぇ」
「何やってんだよおまえ!」
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