第19話 容疑者 飛鳥馬莉央

「そうか、飛鳥馬が……えるーな……」


 暁人は廊下から視線を逸らし、曲がり角の壁に背中を預けた。


 不思議と、落ち着いていた。意外なような気もするし、納得できるような気もする。おそらく鶴岡天満宮での彼女の笑顔を見たそのときから、暁人はそこにエルナと同じものを感じ取っていたのかもしれない。だが同時に、次から莉央と話す時、その背後にエルナを見てしまうような気がして、それだけが怖かった。彼女のことは、班員・飛鳥馬莉央として見ていたい気持ちがあった。


 暁人が自分の悶々とした気持ちと闘っている時、ちょうど廊下を通りかかる生徒たちがいた。


「いやー、飛鳥馬さんってずっと怖いって思ってたんだけどさ」

「今日、他のクラスの子たちと一緒にいるとき、機嫌よさそうだったな」

「誤解してたかも。今度謝らないとな」


 はっと顔をあげる。莉央のクラスメイトたちだ。


 まずい。この生徒たちは非常にいい子のようだが、それはそれとしてまずい!


「あ、あんなところにタイミングよく飛鳥馬さんが!」


 そんなことある?


 暁人はばっと立ち上がって、彼らの前に立ち塞がった。凸待ちの邪魔をさせてはならない!


「き、君は……!」


 先頭に立っている男子生徒が、驚愕の声をあげた。


「増水した松倉川に飛び込んで子供を救出し、消防署から感謝状をもらった1組の浅倉くんじゃないか!」


 その言い方流行ってんのか?


「君がいるならちょうどよかった。君からも飛鳥馬さんに僕らが謝りたがっていると伝えてくれないか」

「いや、その心意気は買うけど今はちょっとタイミングが悪い」

「でも飛鳥馬さんはそこにいるじゃないか。おーい!」


 こいつ空気読めないタイプか!?


 声をあげた5組の生徒を抑え、曲がり角へと引き摺り込む。


「何をするんだ!? このことは厳重に抗議……」

「今はまずいって言っただろ! もうちょっと待ってくれよ!」

「でもそこに飛鳥馬さんが」

「俺そんな難しい要求してるか!?」


 完全にぐだぐだになって押し合いへし合いへと発展する。

 なんとかしてエルナの凸が終わるまでは、彼らをここに引き留めねば! その一心で揉み合っていると、呆れたような声が暁人たちに届いた。


「何やってんだお前ら」


 そこには、イヤホンを外した飛鳥馬莉央が、声のトーン通りの呆れ顔で立っている。


「える……飛鳥馬! ディスコ通話してたんじゃ……!」

「いや切ったよ。お前らがうるさいから」

「そ、そんな……!」


 暁人の顔が、深い絶望に染まった。


 まさか、自分が凸通話の邪魔をしてしまったのか!? 自分が、白羽エルナのライバー活動の邪魔を!?

 羽友としての誇りと自負がもがれていくような壮絶な苦しみである。


 だがその時、暁人は気づいた。自分の耳につけたイヤホンと、そして莉央が外したイヤホン。その双方から、同じような甘いボイスが囁かれていることに。


『え〜? なにその質問。ふふ……うーん、あー……でも私、いつも左足から履いてるかも』

『聞いたか羽友の諸君! えるーなは靴下を! 左足から履きます!』


 えるーなは、靴下を左足から……?


 いや違う。


 凸が、終わっていない……?


『それじゃあ、次の人への質問は?』

『うーん、じゃあ『おみくじが大凶と小吉だったら正直、どっちが嬉しいか』で』

『うわ、意外とむず! あたし大凶かも!』

『それじゃあね〜。おつてーん』


 たった今、凸が終わった。その間、当然、莉央は通話していない。彼女は露骨に不機嫌な様子になって、言った。


「あークソ、終わっちまったじゃねぇか!」


 ひょっとして、リスナー……?


 いや、というか……、


「羽友……?」

「あぁん?」


 衝撃はこれだけでは終わらなかった。


 莉央が再度、こちらに視線を向ける。同時に、暁人の手から大学ノートが落ちた。

 ぱらりと開かれたノートのページに描かれていたもの。


 それは、暁人がこれまで散々SNSで「いいね」を押してきた、白羽エルナのファンアートの原画であったのだ。


 なお、このやり取りが続いている間、空気の読めない生徒たちはみな綺麗に圧迫されて白目をむいていた。




「まさか……“アサキト”さんか……!?」

「作品はいつも拝見しています。“ライオネル紳士”先生」


 奇妙なやり取りであった。


 空気の読めない5組の生徒たちを先生たちのもとに送り届け(うわごとのように莉央への謝罪を口にしていたのは立派だった)、暁人と莉央はいったんホテルのロビーに腰を落ち着けた。改めて、互いの認識のすり合わせを行う。


 莉央は“羽友”だった。それだけではなく、“神絵師”だった。

 先ほどは、絵師仲間と通話をしながら配信の視聴をしていたのだ。莉央が見せてくれたディスコードサーバーには、これまで暁人が「いいね」を押しまくったイラストレーターが、プロアマ問わずごまんと名を連ねていた。神々の神殿と形容するに相応しい場所であった。


「ていうか、ライオネル紳士も俺のこと認知してたんだ……」

「いや、だっておまえスパナついてるじゃん」

「個人勢のときにつけてもらったやつね……。今じゃ恐れ多くてコメントできない……。だからコメントはサブアカでしてるんだ」


 暁人のアカウント“アサキト”にスパナがついていることを知っているのは、個人勢時代、それもバズって有名になる前から羽友だったリスナーだけだ。もちろん、ライオネル紳士はエルナの古参リスナーの1人であるので、知っていてもおかしくはない。


 いや、絵が上手いとは思っていたが、まさかまさかである。

 莉央が見せてくれた鶴岡天満宮のスケッチは写実的だったが、ライオネル紳士がSNSにあげているファンアートはいずれもポップなデフォルメイラストだったので、まるで繋がらなかった。


「……なんか変な感じだな」

「……ああ」


 同じ班のメンバーが同好の士であったことは素直に喜ばしいが、下手に互いを昔から知っているだけに、何を言えばいいのかわからなくなっている状態だった。とはいえハイテンションになって肩を叩き合うのも、なんか違う気がするし。

 暁人はいろいろ思いを巡らせていると、ふとひとつ、思い当たることがあった。


「おまえ、修学旅行に来ようと思ったのって……」

「あー、そうそう。エルナが言ってたんだよな。楽しまなきゃ損だって」

「おお……」


 暁人は、莉央とあの配信の思い出を共有しているという事実や、エルナの言葉が来る気のなかった莉央の心を動かしたこと、そしてそれでもなお楽しみ方のわからなかった莉央の背中を押したのが他でもない自分であったことなど、さまざまな出来事が心の中でないまぜとなって、いよいよ感極まってしまった。


 同時に、もうひとつ思い当たった。莉央を突き動かしたエルナの言葉『学校行事は全力で取り組まないと損』を、ロコが口走った時、莉央は思いっきりロコをぶん殴っていた。


「そう言えば、おまえあの時……」

「いや……。なんかイラッときて……」


 まぁ、あの時は互いのことを知らなかったのだから無理はない。

 莉央からすれば、自分を動かしたほどのエルナの言葉を、ロコがまるで冗談のように口にしたのが気に入らなかったのだろう。


 問題は、ロコがそのエルナである可能性が残ってしまっていることだが。


 暁人は少し悩んだ。今の自分の抱えている問題を、莉央と共有するかどうかだ。

 間違いなく莉央は、心強い味方になる。エルナのことに詳しいし、神絵師ならではの視点で自分にはないことに気づくかもしれない。女子部屋で暁人の考えを知ってくれる人間が2人になるというのも大きい。


 だが莉央に、自分と同じ苦しみを味わせてしまうとしたら……。


「なぁ、飛鳥馬」

「ん、なんだ?」

「もし、リアルのえるーなと会うことができるとしたら、どうする?」


 Vオタにとっては、禁忌と言えるかもしれない質問だ。

 暁人は、あえてそれを莉央にぶつけた。


 暁人なら決して会いに行かない。推しのリアルに自分が入り込むことの違和感を、許容できないからだ。


 莉央は、しばらくきょとんとした後に、平然とこう言った。


「え、会いに行くだろそりゃ」


 じゃあ良いか。


 暁人は莉央に全部話すことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る