第16話 しばしのお別れ
鎌倉観光は16時には終了し、そこからバスに乗り込んでホテルのある箱根へと向かうことになった。おおよそ、『修学旅行のしおり』に書かれたプログラム通りに進んでいる。ホテルに向かうバスは5組のものに乗せてもらうことになったが、中の様子はさながら死屍累々といった有様であった。
なにせ学校への集合が7時。そこからバスに揺られ飛行に揺られ、またバスに揺られ歩いてバスに揺られ。
はしゃぎたい盛りの高校生たちも、さすがに体力が尽きたのだと思われる。暁人もそうとうに眠い。
あまりもの班の班員たちもすやすやと寝息を立てる中、かろうじて起きていたのは意外にも目をとろんとさせた静乃であった。
「ノセさん、大丈夫?」
「それ……どう言う意味で言ってます……?」
「年齢的に大丈夫かなって」
「わお……ストレート……」
席の並び順は、羽田から鶴岡八幡宮に向かった時と一緒だった。つまり、暁人は左右を静乃と莉緒に挟まれている形となる。今にも睡魔に落とされそうな静乃がこちらに倒れ込んでくれば、莉緒との間でぺっちゃんこになってしまいそうだ。
「推し探しは……どうですか……絞り込めました……?」
「ぜんぜん。一ノ瀬さんは?」
「うーん……。けっきょく、1人でなんか撮ってる子が怪しいんでしたっけ……」
「可能性の話ね」
一番1人でいる時間が長かったのは莉央だ。だが、彼女があの時間、絵を描く以外のことをしていたとは考えづらい。
あとは、何かと迷子になりかけたロコとか、揉めてる時にひとりでささっと列に並んだ麗とか。まぁみんな怪しいと言えば怪しい瞬間はあった。
旅行のレポを配信ですると言っても、必ず写真や動画を使うわけではない。
例えば、自作のイラストを使うVtuberだっている。暁人は莉央の顔を思い浮かべた。
「えるーながあんなに絵が上手いなら、もっと配信で言ってそうなもんだけどな……」
ぽつりと呟く暁人。返事はこず、いつの間にやらずしりとした体重と共に、規則正しい寝息が暁人の左側から襲いかかってくる。
無防備が過ぎる。これでよく『仲良くなりたくない』なんて言えたもんだ。
こちらの肩に頭を載せてくる静乃の寝顔を見て、今朝方彼女に言われたことを思い出した。
『どうですか、推し探しの調子は。修学旅行で違った一面は見えていますか?』
それは、見えてきたような気がする。
八幡宮でスケッチを終えた時の莉央の笑顔。
小町通りで生しらす丼を頬張るロコ。
大凶のおみくじを引いて冷静さを失っていた麗。
そして、5人で並んで撮った『集合写真』。
みんながちょっとずつ、この修学旅行を楽しみ始めているのを感じる。できればもっと純粋に、この一緒の時間を楽しめればいいのに、とさえ思った。
羽田に降り立った時点で、自分はエルナの正体が彼女たちの誰かだと知ってしまうことを恐れていた気がする。でも今は、彼女たちの誰かが、エルナであると知ってしまうことも、同じくらい恐れている。
もし、エルナの正体が彼女たちの誰かだったとして、今まで通りエルナを応援できるだろうか。
それは、できるような気がしてきた。憚らず言えばそれくらい、この1日で暁人は班員たちのことを好きになっていた。
じゃあ、もし彼女たちの誰かがエルナだったとして、今日のように友達として接することができるだろうか。
それは、難しいような気がする。
「(じゃあやめるか? 推し探し……)」
でも、このアクリルキーホルダーは、多分彼女にとって大事なものなのだ。
暁人はエルナが悲しんでいるのをそのままにしておきたくなかったし、同じくらい、莉央や、ロコや、麗が悲しんでいるのを、そのままにしておきたくはなかった。
いつの間にかすっかり眠っていたらしく、気がつくとバスは箱根のホテルについていた。5組の生徒たちは「疲れたね〜」などと話しながら、みんなで廊下を降りていく。最後尾の席に座っていたあまりもの班も、みんな立ち上がって大きく伸びをした。
「ところで、俺めちゃくちゃ頬が痛いんだけどなんで?」
「飛鳥馬さんに寄りかかって寝ていたので、ビンタされたんです」
「なるほど」
暁人は莉央を睨んだ。莉央は「自業自得だろ」という顔をしているが、こっちだって寄りかかられたの忘れてないからな。それから、静乃の身体をひとりで堰き止めていたのはこっちだからな。などの意見が沸々と湧いてくるものの、全部ぐっと飲み込むことにした。なぜなら暁人は班長だからだ。
バスを降り、荷物を降ろす。そこで気づいたのだが、暁人たちの荷物は飛行機から降りた後2組のバスに積まれていたので、2組のバスの到着を待たなければならなかった。この辺の段取りは教師陣のミスなので、あとで厳重に抗議しておきたい。
『班長とはここまでですね』
荷物を待ちながら、麗(のスマホ)が言った。すると、ロコも口元を抑えてうぷぷと笑う。
「あーそっか。ボクらは同じ部屋だけど班長は違うんだ。かわいそ〜」
「え? いや、昼間はお前らと回れて夜はクラスの仲間たちと遊べるから2倍お得なんだが?」
「陽キャこわ……本気で思ってそう」
本気で思ってるんだが。
さすがに同じ班でもホテルの部屋は男女別室だ。五稜館高校は健全な高校である。というわけで、暁人は同じクラスの男子の部屋に突っ込まれることになっていた。女子はあまりもの班の4人でひとまとめ。まぁ、下手にバラバラにしてこっちもそれぞれのクラスに振り分けられるよりは、この方がはるかにいいだろう。
やがて2組のバスが到着し、静乃が莉央ロコ麗の3人分の荷物をひょいひょいと取り出した。
「それじゃあ班長、また明日な」
莉央がにやっと笑って、暁人の背を叩く。
「そうなんだよなー。また明日ー」
夕食は部屋ごとに一緒のテーブルだから、明日まではバラバラだ。
さっきまでは平気だったはずなのに、なんだか急に寂しい気持ちになってくる。たぶん、女子4人はバラバラにならないからだ。
意外と、自分は除け者にされることにショックを受けるタイプなのかもしれない。暁人は1ヶ月前、はじめてあまりものになった日を思い出しながらそんなことを考えていた。
「浅倉くーん」
後ろからほんわかした声が聞こえてきたので振り返ると、ちょうど橘縁がキャスター付きのバッグを転がしながら歩いてくるところだった。1組のバスも到着したらしい。縁の後ろで、1組の愉快な仲間たちが手を振っている。暁人と同じ部屋に泊まる連中ももちろん一緒だ。
「おー委員長」
「今日はどうだったー? あたし達は一緒に回れなかったけど」
「大変だったり楽しかったりだなー」
「おー」
縁はぱちぱちと手を叩いた。
「班の子はどう? 前は悪い子じゃないって言ってたけど」
「悪い子じゃないし、良い奴らだよ。ま、委員長たちに紹介できるかはわかんないけど」
「もちろんみんなが嫌なら無理にとは言わないよー」
にこっと微笑む縁。
あの無責任教師・山岡のもと2年1組のクラスがまとまっているのは、暁人の尽力が大きいと見られがちだが、実は屋台骨を支えているのは彼女だと暁人は思っている。縁のまとうほんわかパワーを前にすれば、あらゆる人類は争う気を失くしてしまうからだ。
だがそんな縁も、油断していると急にブッ刺してくることがある。
彼女は声をひそめると、そっと暁人に耳打ちした。
「それで、白羽エルナってどの子だったの?」
「えっ!?」
驚いて思いっきりのけぞってしまうが、そうだった。彼女はアクリルキーホルダーが見つかったときにいたのだった。もう1ヶ月も前のことだが、しっかり覚えていたらしい。暁人は、同じく小声になって縁に耳打ちする。
「まだ見つかってないんだよ……。容疑者がひとり消えただけ」
「ありゃー。それじゃあ頑張らなきゃだねー」
頑張らないといけないが、あんまり頑張りたくない、複雑な気持ちなのだ。
「せば、また班長会議で会おうねー」
ゆるゆると手を振りながら、縁はホテルのロビーへと入っていく。暁人も手を振って、縁を見送った。
「なにぼーっとしてんだよ暁人」
「委員長に会えなくて寂しかったか?」
こづいてくるクラスメイト達。暁人はにたっと笑うと、「うるせー」と友人たちをこづき返す。
ロコが見てたら、ビビって一生出てこれなくなるような、陽キャたちのじゃれあいであった。
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