第15話 逃げ上手の胃は荒れ気味
「い、いやだーっ! 絶対生しらす丼食べるんだー!!」
小町通で手足をバタバタさせながら見苦しく駄々をこねる女がいた。加納浩子、17歳である。そのわきに膝をついて、一生懸命あやしているのが一ノ瀬静乃、自称16歳である。
「でもほら、ロコさん、乗り物酔いのせいで胃が荒れ気味ですし……」
「大丈夫、しらすは消化に良いから! 食べさせろ! ボクは保健係だぞ!」
「こいつ、今まで保健係らしい仕事したか?」
呆れ気味に呟きながら、莉央はロコの泣き顔をスケッチしている。この短時間で彼女なりの修学旅行の楽しみ方を完全にマスターしていた。
昼食は、かねてよりロコの希望であった鎌倉名物・生しらす丼を食べる予定だったのだが、静乃が「柔らかいうどんとかにしないか」と提案してきたのだ。ロコの胃腸を気遣っての提案だったが、見ての通りロコが大暴れした。
最終的に、静乃も困った顔で班長である暁人の判断を仰ぐ。
「まぁ良いんじゃない?」
暁人は、スマホで調べながら言った。
「確かに生しらすは消化に良いらしいし。お店で出す奴なら食中毒対策もしっかりしてるだろうし」
「ウオオオオやったー!!」
急に立ち上がって飛び跳ねるロコ。ただ、あとでちゃんと酔い止めだけは買っておかないといけない。なんでロコが自分で持ってこなかったのかはわからないが。
「じゃあ、とりあえずあらかじめ調べてた店に……あれ、藤崎は?」
「あそこです。もう並んでます」
「早っ!」
実際、名物と言うだけあって生しらす丼の味はなかなかのものだった。函館の人間としては、なんとなくイカそうめんに近い触感をイメージしていたのだが、思っていたようなネットリ感はなく、意外とシャキッとした歯ごたえだった。
てっきりロコは「へぇ、意外と美味しいじゃん」というような斜に構えたリアクションを取るのかと思っていたが、涙を流しながら「おいしい、おいしい」と食べていた。食に対しては意外と素直なのかもしれない。
生しらす丼は他の班員にもおおむね好評だった。彼らは残った時間、小町通りでスイーツの食べ歩きなどを楽しむ。麗は初日だというのに土産の鳩サブレを買っていた。祖父母の注文ということだったので、郵送を手伝ってやった。
自由時間が終わると、あまりもの班は今度は5組と合流して高徳院に大仏を見に行く。
クラスの問題児の合流に5組の生徒たちには緊張が走っていたが、当の問題児である莉央は終始機嫌がよく、腫れ物扱いを気にした様子もなかった。
だが、
「……はぁ」
露骨にテンションの低い様子を見せていたのは、ここでもロコだった。
「今度はどうした」
「なんだよ今度はって。いつもボクが何かに文句つけてるみたいな言い方やめてほしいんだが?」
自覚ないのか。
「ここで集合写真撮るんだろ? あまり愉快な気分じゃないね」
「なんでだよ。良いじゃないか集合写真」
暁人は、何も考えずにそう言った。てっきりこのとき、暁人はロコがまた長々とくだらない逆張りを主張してくるのだとばかり思っていたのだ。だが、ロコは少しだけ視線を5組の生徒たちに向けると、か細い声でこう言った。
「ボクたち、どこのクラスなんだ?」
「あー……」
「ろくに話したこともないような奴と一緒に撮る集合写真って、思い出に残るもんなのか? ボクにはわかんないよ、班長」
暁人の立場からは、何も言えなかった。
暁人なら楽しんだ。暁人なら思い出に残せた。他のクラスのやつらにも絡みに行ったし、なんなら自分のクラスから部活動の知り合いなどを探して一緒になって観光地を巡っただろう。
だが、それはたぶん、ロコには無理だ。彼女だけじゃない。あまりもの班の誰にだって、多分そんな振る舞いは向いていない。
「じゃあ、私たちだけで撮りましょうよ」
静乃が提案した。
「私、すごく良いカメラ持ってきてるんです。ふんぱつしました。見てください、55万くらいするんですよ」
「張り切りすぎだろ……!」
社会人の財力を感じる。いや、さすがに今は仕事を辞めてるはずだが。
しかしロコは、唇を尖らせたままだ。
「たった5人で集合写真っていうのか? 余計みじめになるだけじゃないか?」
「見栄張るために集合写真撮るわけじゃないだろ?」
「ボクは……見栄も大事だ」
少しだけ躊躇ってから、ロコはそう吐き出した。その表情には、わずかに失望をおそれる怯えのようなものが混ざっている。
「まぁ、笑われたら飛鳥馬が真空飛び膝蹴りかましてくれるよ」
莉央は「聞いてねえぞ」という顔をしたが、特に口を挟んでこなかった。実際、指を差してくるようなやつがいればぶちかますのは変わらないと判断したのだろう。
「俺も友達100人連れてそいつを問い詰めるからさ。気楽に行こうや」
「陽キャこわっ……! ヤクザじゃん」
ガイドさんに高徳院の説明を聞き、ぞろぞろと鎌倉大仏まで歩いていく。ここでは自由時間はほぼないため、あまりもの班は5組の後ろからついていくだけだ。
境内はそう広いものではなく、曲がり角を抜けると、大仏の鎮座した姿が突然視界に飛び込んできた。妙な異物感のある佇まいは、いやがおうにも目を引く。
「やっぱでかいな」
暁人がぼそっと言う。莉央は「おー」とだけ呟き、ロコは「ふん、まぁまぁかな」と言った。相変わらず何の目線で何と比較しているのかわからないやつである。麗は、クマのバッグを前に抱えたまま、じーっと大仏を見つめている。
そして、静かな沈黙の間があってから、
「いや……私の方が大きいですね」
ぼそっと、静乃が呟いた。
「………」
「………」
「………」
先ほどよりも長い沈黙。集団の革靴が石畳の上を歩く音だけが虚しく響く。
「……すみません」
大きな静乃が小さくなって、観念したような声をあげた。
「いや、なんか体格コンプレックスなのかなって思ってたところに急にぶっ込んできたから対応できなかった。ごめん」
「でも、ここを逃すともうこのボケできないと思って……」
両手で顔を覆いながら、苦しげな静乃。後ろでロコが腕を組んで大きく頷いていた。
「わかる。それまで静かだったやつが急にボケるとなんか場の空気が微妙になるんだよな。あれってボクが悪いのか?」
「誰も悪くないから悲しい気持ちになるんだよ」
うなだれた静乃の背中を叩く暁人。
「たぶん、バスの中でどこかから富士山が見えるはずだから、その時にまた期待してるよ」
「いや、もう言いません……」
後がつっかえているため、すぐに集合写真の時間になる。5組の生徒たちは、みな和気藹々とした様子で並んでいる。それを退屈そうに眺めているのが、5組のあまりものとしてアベンジャーズに参加した莉央だ。そういえば、以前静乃と一緒に彼女をクラスに迎えに行ったときも、莉央は5組の中では浮いた存在だった。
まぁ、莉央は自分自身の孤立など、まったく気にしていなさそうなのだが。
「ほら、君たちも入って」
5組の担任の先生がせかしてくる。
「はーい」
暁人は従順な生徒の振りをして、班員たちを促す。その途中、先生の方に駆け寄って、こそっと耳打ちした。
「先生、このあと、俺たち自分の班だけで集合写真撮りたいんですけど」
「それはダメだ。おまえ達の班だけ例外を認めるわけにはいかない」
「元から例外みたいな班なのに?」
暁人は、普段なら決して口にしないような面倒臭いセリフを吐く。すると、5組の担任は顔をくしゃっと情けなく歪めた。必要以上の心労をおっかぶせて申し訳なく思うが、まぁ仕方ない。
「先生、俺たち5組じゃないんですよ。あまりもの班ならあまりもの班らしい写真撮らせてくださいよ」
「まったく、山岡先生はなんで浅倉を……」
苦々しく呟く5組の担任だが、ここで言い合う方が時間をロスすると考えたのだろう。
「早く済ませろよ」
「はーい」
頷いて、暁人は集合写真の列に並んだ。隣の静乃たちに親指をぐっと立てて、「通った」とだけ言った。
「おまえ、先生ウケいいのに困らせるようなことしていいのか?」
「いいんじゃない? 別に、先生ウケよくするために良い子やってたわけでもないし」
眉をひそめるロコに、暁人はあくまで気楽な様子だ。
実際、暁人は教師ウケが良い。クラスをまとめる力があるとかで、どの担任も自分の手元に置いておきたがったのだそうだ。それをドラフトで勝ち取ったと、山岡先生が全部教えてくれた。さすがにドラフトのくだりは嘘だと思うが。
集合写真の撮影が終わると、5組の担任が「早く済ませろよ」とだけ言って、生徒たちを連れていく。その後何かスマホをいじっているのは、次に来る4組の担任に連絡しているのだろう。
「よくわかんないんだけど、撮るんでいいんですか?」
修学旅行に同行しているカメラマンのお兄さんが、少し困惑している
「はーい。お願いします。でもそのカメラで撮ると、さっきの先生が怒られちゃうかもしれないで、これでこっそりお願いします」
静乃のカメラを手渡すと、お兄さんは「うわ、すごい良いカメラ」とびっくりしていた。
「ほら、ロコ。笑え笑え」
「笑えって言われて急に笑えるもんか」
暁人に発破をかけられて、なおさら唇を尖らせるロコ。
「な、なんかポーズとらなくていいんですかねっ!?」
「いや、これは集合写真だからな。ちゃんと集合写真らしくしよう」
すると、それまで黙っていた麗が無言のまま静乃の隣に立つ。
麗は身長が極端に低いので、先ほどの撮影では前に連れて行かれてしまっていたのだが、それが不満だったようだ。すると、それに倣うように、今度は莉央が麗の隣に並ぶ。
「早くしようぜ」
「………」
ロコは何か言おうとしたが、結局は黙って静乃の隣に並ぶ。
「……なんで私の隣が藤崎さんとロコさんなんですか?」
『私が隣なことに不満があるのですか?』
「違いますけど! でも、背の低い子が左右だと余計に悪目立ちします!」
「良いじゃねーか。大仏よりでかく見えるぜ」
軽口を叩き、けらけらと笑う莉央。
「はーい、じゃあ撮りますよー」
目の前にやり取りにも動じず、カメラマンのお兄さんはにこやかにシャッターに指をかけていた。プロだった。
写真が何度か立て続けに撮られ、ロコが「いま目を閉じてた! もう一回!」と叫んで、さらに2回ほど撮られる。
撮れた写真を一同が覗き込むと、一拍の間のあとに、暁人と莉央が弾けたような笑い声をあげた。
「おい、これ”山”じゃねぇか!」
「ほんとだ。“山”だなこれ」
真ん中に静乃、左右にロコと麗、そしてその外側に暁人と莉央という構図は、見事なデコボコ具合であり、全員の頭の高さが不揃いな「山」の形になっている。静乃は顔を真っ赤にして叫んだ。
「と、撮り直し! 撮り直しましょう!」
「もう次のクラスが待ってるから、先行った方が良いんじゃないかな〜」
カメラマンのお兄さんは少し申し訳なさそうにしながらも、やんわりと言う。
「ご、ごめん一ノ瀬さん。ボクが考えなしに一ノ瀬さんの隣に並んだから……」
「いや……! 良いんですよ、ロコさんは悪くないんです! だから……」
ぐっと拳を握り、静乃は不本意そうな表情を浮かべた。暁人は少し意地悪そうに笑って、言葉をそのまま返す。
「だから?」
「だから……こ、これで良いんです! いきましょう!」
こうして、あまりもの班だけの集合写真が完成した。
暁人と静乃以外は笑っていなかったし、見てくれもデコボコだったが、意外と自分たちらしい写真になったのではないか、と、暁人は思う。
一同は……というか、暁人と静乃はカメラマンのお兄さんに頭を下げてお礼を言い、そして5人で慌てて先に行った5組を追いかけて行った。
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