第14話 精神一到何事も成る(ほんとか?)

「おおー……」


 おみくじを引くと、凶だった。


 鶴岡八幡宮のおみくじは、凶の封入率が3割らしい。それを「凶みくじ納め箱」に入れることで、「凶運」を「強運」に変えることができるのだと言われている。せっかく鶴岡八幡宮に来たのだから、吉よりも凶を引きたいのが人情というもの。確率が高いとは言え、見事に凶を引き当てたのだから、静乃はたいへん満足であった。


「フフ……、見て一ノ瀬さん。ボク、大吉」


 先ほど大吉を引いたことで急に元気を取り戻したロコは、通算3度目となる大吉自慢を始めた。

 こうなると、凶みくじについての蘊蓄はちょっと披露しがたい。


「まぁ、ボクはこんなもので一喜一憂したりしないんだが? フ……大吉……。だいたい神社の人間が適当に書いた紙だろこれ。印刷でありがたみもないしな? まったく、こんなものを喜ぶやつの気がしれないよね。フフ……大吉……」

「そうとう喜んでますねぇ。藤崎さんはどうですか?」

「………」


 麗の引いたおみくじを覗き込んで見ると、「大凶」とあった。


「……………」


 さすがに沈黙からもショックが伝わる。普段は感情をほとんど映し出さない瞳がカッと見開かれ、わなわなと小柄な身体が震えていた。


「あ、あー……」


 伝えたい! 彼女には! そのおみくじを奉納することで「大強運」になることを!

 麗は震えたまま黒いテッカテカの長財布を取り出し、中にある万札を鷲掴みにした。それを授与所の巫女さんに叩きつけようとする彼女の手を、静乃は無理やり掴んで止める。


「ダメです、藤崎さん! それはダメです! おみくじは1回だから良いんですよ!」

「ほずもんでんまでまわすがわのやりがだはんで!」

「何言ってんのかわかんないです!」

「えっ、おまえ大凶? フフ、ボク、大吉〜!」


 ごす。


 麗の拳が、ロコのみぞおちにのめり込んだ。こうなるとわかっていながら、なぜ彼女は煽ることをやめられないのだろうか。


「ごのわばばがんしゃっちまっだなごんじゃわめが!」

「ぐ、ぐう……なんでこの班、みんなフィジカル強いんだ……」


 みぞおちを抑えて、うずくまるロコ。


「おまえら何やってんだ」


 いつの間にか、階段をあがってきた暁人が呆れた顔で立っていた。


「浅倉くん!」

「は、班長……みんながボクをいじめるんだ……」

「原因はおまえにあるような気もするぞ」


 さすがに暁人はもうわかっているようだ。暁人は、先ほどからぷるぷる震えている麗を見つけると、地面に倒れたロコと彼女を交互に眺める。暁人の視線は、麗の持っているおみくじへと向いた。


「藤崎、あっちの方にある箱に奉納すれば、凶が反転するらしいぞ。鶴岡八幡宮ならではのやつだ」


 はっと顔をあげ、暁人を見る麗。さすがにこういう気づきややり取りは、暁人には敵わないな、と静乃は思う。


「ノセさん、案内してやってくれ」

「はいっ! わかりました!」


 静乃は、びしっと敬礼してから、視線を落として麗を見た。麗も静乃を見上げて、こくんと頷く。


「くそぉ、それならボクも凶ひきたかった!」

「大吉は大吉でめでたいんだから良いじゃない」

「そうだけど! なんかぬか喜びした気分になるんだよ!」


 背後で地面に転がったロコが、悲痛な叫びをあげている。

 申し訳ないなぁ、と思いながらも、静乃はウキウキした気分で凶みくじを納めにいくのであった。




 暁人のくじは「小吉」であった。おもしろみに欠ける、なんともしまらない結果である。これを見て、ロコは「ま、ボクは大吉だったけど」と元気を取り戻したので、まぁ辛うじて意味のある小吉だったと言えるだろう。

 ただ、できることなら凶みくじを奉納して「エルナが誰かわかりますように」と願掛けをしたかったところだ。おみくじには、「願望:精神一到何事にもなる。努めよ」とだけ書いてあった。本当に精神だけでなんとかなる問題なのか?


 鶴岡八幡宮のおみくじは、鳩のストラップもセットになっている。暁人がストラップをスマホにくくりつけると、静乃は「おお、みんなでお揃いですねぇ」とはにかんだ。


「お揃いって……別にボクたちだけのお揃いじゃないだろ。学校のほとんどの奴らが引くんだから。ありがたみも何もなくないか?」

「じゃあロコさんはいらないんですか?」

「いります」


 その後、班員たち4人で境内をぶらついた。

 歩こうと思えばけっこう歩き回れて、見どころも多い。自然に囲まれた場所なだけあって、ちょっと道をそれると迷ってしまいそうだ。実際、ロコが何度か迷子になりかけた。


 しばらくして、暁人は時計で時間を確認する。集合時間まであと10分ほど。それまでには駐車場のバスに戻っていなければならない。

 石段を降りて舞殿を探すと、莉央はまだそこにいた。


 片手で大学ノートを広げ、その上に鉛筆を走らせている。足元にカバンを置いて、筆箱にもなるタイプの鉛筆立てと、小さな鉛筆削りがその上に並んでいた。うっすらと笑みを浮かべて絵を描く莉央の姿は、これまでに見たどの彼女とも違っていた。


 莉央は、この瞬間を楽しんでいた。


「あ、飛鳥馬さ……」


 声をあげかけた静乃を片手で制止し、暁人はもうしばらく莉央を見守ることにする。


「え? な、なんだよ。なんで黙っ……ぐえっ」


 口を開いたロコの横っ腹に、麗のエルボーが炸裂した。4人はしばらく、莉央の筆が止まるまでを眺め続けていた。


 それから数分後、莉央は気持ちよさそうな笑みを浮かべて顔をあげる。


「よし……って、うおあっ……!?」


 こちらに気づき、顔を真っ赤にしてのけぞる莉央。あまり意地悪をするつもりはないのだが、その様子についついこちらの頬が緩んでしまうのは、もう止めようがなかった。

 莉央は暁人だけでなく、班員全員がそこに並んでいることにばつの悪さを感じたようだったが、すぐに表情を険しくして、こちらを睨む。


「いつからいた……?」

「5分くらい前かな。そろそろ集合の時間だ」

「わかった」


 莉央は大学ノートを畳んで、筆箱やら何やらと一緒にカバンに突っ込む。


「楽しかったか?」

「まぁな」


 声はもう弾んでいなかったが、誤魔化すようなそぶりも、適当に流すようなそぶりもない。それだけで、暁人は十分だった。


 ふたりの会話がわからず、残りの3人は顔を見合わせるばかりだ。


「……ん」


 不意に、莉央が大学ノートをこちらに突き出してきた。気が向いたら見せる、という話だった。どうやら、気が向いてくれたらしい。

 暁人は何も言わずに受け取って、ノートを開く。そこには、鉛筆だけで精緻に描き込まれた写実的な鶴岡八幡宮の本宮があった。モノクロのイラストなのに、見事にしげる木々の葉まで細かく描き込まれている。もちろんこの短時間で仕上げた作品だから、何もかも完璧というわけにはいかないが。ただ、彼女の絵には迷い線というやつがなかった。莉央はこの絵を、そうとうのびのび描いたらしい。


「わぁ」


 後ろから覗き込んだ静乃が歓声をあげる。


「ふ、ふーん……なかなかやるじゃん」


 何目線なのかわからないロコの言葉。


「………」


 麗も少し驚いた様子だった。絵と莉央を交互に見つめる。それに気づいたのか、莉央は勝ち誇ったような顔で胸を張った。


「そうだ、飛鳥馬。俺もこれ」


 暁人はノートを莉央に返し、同時に先ほど彼女に頼まれた買い物を手渡した。上で買ったばかりのおみくじだ。


「お」


 莉央は興味深そうにそれを受け取ってから、開いて中を確認する。莉央はにやりと笑った。


「はっ、凶だとよ」

「えぇっ!」


 静乃が声をあげた。慌てて莉央の腕を掴んで、階段の上を指差す。


「じゃ、じゃあ急いで凶おみくじ箱に奉納にいかないと!」

「なんだよ、そんなのあんのか?」


 莉央は特に気にした様子もなく、暁人を見る。暁人は小さく肩をすくめて頷いた。まぁ、これで奉納しにいって集合時間に遅れても、先生に怒られるくらいだ。別に気にしないと言えば気にしないが。

 しかし、莉央は荷物をまとめると、駐車場の方向を指差して言った。


「いいよ、行こうぜ。時間ないんだろ」

「えっ、でも奉納しないと凶のままですよ!?」

「これで凶だってんなら、アタシの運勢は世界最強だな」


 そう言って、肩で風を切るように歩き出してしまう。


「なんか、気味悪いくらい機嫌よくなってたな」

『私は彼女のことが、よくわかりません』


 ロコと麗が、取り残されたように呟いた。


 一方で暁人は気分が良い。精神一到何事にもなる。推し探しに進展はなかったが、実際、おみくじの内容は案外間違っていなかったのかもしれない。

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