第12話 いざ鎌倉

 初日の鎌倉観光は、鶴岡八幡宮と鎌倉大仏のある高徳院の二ヶ所しか回らない予定になっている。スケジュールがタイトだから仕方ないと言えば仕方ない。この日のうちに、箱根のホテルまで移動しなければならないのだからなおさらだ。バスの車内では、2組の生徒の一部が「逃げ若」の話題で盛り上がっていた。確かに、ファンからすれば聖地巡礼になるのか。


「浅倉くん浅倉くん」


 静乃が、ウキウキした様子で小声で話しかけてくる。図体の大きい彼女は、一番後ろの席で2人分のスペースを占有していたが、それでも密着は免れなかった。横一列に、あと莉央と麗が並んでいる。ロコは気を使われて酔いづらい前の席に連れて行かれていた。


「どしたの、ノセさん」

「これから私たちが向かう鶴岡宮、地名がって言うんですよ……!」

「ノセさん、俺オタクだからそのネタわかるけど、最後にアニメが放映されたの俺が小学生の時だよ」

「えっ、嘘!?」


 顔を真っ青にし、携帯で何かを調べ、指を折って数える静乃。しまいには口を押さえた。


「私も吐くかも……」

「ほどほどにね」


 なお、暁人はそのアニメがきっかけで中学校の司書の先生に原作を入れてもらうように頼み込んだ。なので、今回の予定ルートに元ネタがもうひとつあることも知っている。


 莉央はさきほどからずっと不機嫌で、苛立たしげに靴で床を叩いている。それに怯えた班長くんが、びくびくした様子でこちらを伺っていたので、暁人はにこやかな笑みと共に手を振り安心させてやった。

 莉央は暁人の隣の窓側に座らせ、麗とも引き離して爆発の被害を最小限に食い止めるシフトにしている。


「ふ、藤崎さんは、聖地巡礼とか興味あります? 鎌倉が舞台で好きなアニメみたいなの……」

すらまだんがスラムダンク

「硬派っ!!」


 静乃が麗と話をしている間、暁人は莉央の方を見ていた。苛立ちを隠すことなく、窓の外を流れる景色を眺めている。現在首都高速湾岸線をくだりながら、莉央の視線の先には横浜の街並みが流れていく。反対側の窓には東京湾が広がっていて、歓声をあげる生徒もいれば、故郷函館の海と比べれば大したことはないと冷笑する生徒もいた。


 校則が緩いのを良いことに、まっきんきんに染めた髪。釣り上がった両目。粗暴な態度。

 まぁまぁ見た目通りのヤンキーだ。


 彼女の一本気な性格は、実は暁人としては好感を抱いている。一方で推し探しという観点で見ると、これがなかなか難しい。確かにエルナも多少あったまりやすい部分はあるものの、莉央ほど露骨ではない。それになんていうか、莉央はあまり感情を制御できない、する気がないタイプに思えるのだ。もしエルナが莉央だと言うのなら、あったまった時にはもう少し莉央っぽい言動が出てきてもおかしくない。


「……おい」


 低い声で、莉央が言った。


「ガン飛ばしてんの、気づいてっからな」

「悪い悪い」


 暁人は視線を前に戻して、尋ねる。


「飛鳥馬はなんで修学旅行来たんだ?」


 この質問は、推し探しとは関係ない、暁人個人が知りたい質問だった。


「………」


 しばらく黙っている莉央。また無視されるかな、と思った頃に、彼女は景色を眺めながらぼそっと呟いた。


「……なんか楽しいことあるんじゃねぇか、と思ったんだよ」

「そうかー」


 きっとあるだろう、とも。

 今はそう思わないのか、とも。

 俺が楽しませる、とも言わなかった。


 莉央が修学旅行を楽しむ気でいるなら、ひとまずそれで良しとすることにした。




「浅倉くん浅倉くん」


 鶴岡八幡宮に到着しバスを降りたところで、静乃がぐいぐいと暁人の袖を引っ張ってきた。


「どうですか、推し探しの調子は。修学旅行で違った一面は見えていますか?」

「ぜんっぜん。みんなびっくりするほどいつも通りだよ」


 暁人はため息をつく。


「でも、一番舞い上がってテンション変わってるなってやつは一応いるかな」

「えっ、誰ですか!?」


 目を輝かせ、ウキウキした様子で身を乗り出してくる静乃。視界を占有する巨躯の威圧感に気圧されながらも、暁人はその人差し指を目の前のアラサー女子高生に向ける。


「私!?」

「今朝から明らかに舞い上がってるよ。仲良くしない気あるの?」

「うう、めんぼくないです……」


 顔を真っ赤にしてしょぼくれる静乃。暁人は知っている。バスを降りるとき、一歩ごとに小声で「青春!」と呟いていたのを。武士の情けで黙っていることにするが。


 翻って、推し探しの話題だ。


「えるーなは格闘技やってるっていつかの配信で言ってたけど、さすがに飛鳥馬は違うと思うなぁ」

「じゃあ、桜庭さんですか?」

「うーん。あの東北訛り、わざとやってるとしたら嫌じゃない?」

「ロコさん?」

「……ないかなー」


 ここまで言って、暁人は思うわけだ。

 そう、暁人の推理には願望が入っている。


 白羽エルナの正体が莉央でも麗でもロコでも、それは彼女の偽りを暴くことになる。配信で癒されていたあの声や態度が実は演技であり、もっと乱暴な側面があることを知るはめになる。たぶん、暁人はそれが嫌なのだ。本質的には、推しに恋人ができることを嫌うユニコーンと変わらない。


 そろそろ、認めなければならない。

 暁人は、自分の中の白羽エルナの理想像を絶対視するあまり、正解を探すことを躊躇している。


「ノセさんは知らないかもしれないけど、Vオタっていうのは結局自分の理想化した憧れを画面の向こうに押し付けて、それに勝手に救われる生きていけない生き物なんだよな……」

「ど、どうしたんですか急に!?」

「わかってるんだよな。画面で見せてる姿だけは全部じゃないし、演技や嘘が混じってるなんていうのはさ。でもわかってるからこそ俺たちはそれを楽しむために余計な詮索はしてこなかったんじゃないのか? 俺何やってんだろうな……」

「しっかりしてください!」


 静乃が暁人の肩を掴み、がくがくと前後にゆする。すげぇパワーだった。


「そ、それなら……推し探し、もうやめますか……?」

「続ける。アクキー返したいし」


 それについてはきっぱり言う。本物のエルナが0番のアクリルキーホルダーをどれだけ大事に思っているかはわからないが、それを勝手にこちらが想像することこそイメージの押し付けだ。

 落し物は本人に返す。当たり前のことだ。今回はその方法がひどく限定的で、話を広めれば相手方にも迷惑をかけるという「詰み」に近い状況であるというだけだ。


「まぁ、この鎌倉ではしばらく飛鳥馬を見ておくつもりだから、ノセさんは他のふたりの面倒を頼むよ。気になることがあったら教えてね」


 当の莉央は、少し離れた場所で不機嫌そうに腕を組んでいる。麗もそこから少し離れた場所にいた。ロコは2組の保健委員に連れられてトイレへ行っている。


「気になることってなんですか?」

「え、だから共通点とかさ……。昨日見せたでしょ。非公式wiki」

「あんなの1日で覚えきれないですよ!」

「冗談だよ」


 暁人は笑った。


「うーん。ひとりで何かを撮影してたり……とかかな? たぶん、しばらくしたら雑談配信とかで修学旅行の話すると思うんだよね。そういう時のために写真とか動画とか撮るはず」

「あ、なるほど。その場合、特定避けるために他の生徒や日付が映るものとかは配慮しますよね」

「うん。でも、ひとりになろうとしてたら邪魔はしないであげてね。俺も楽しみだしさ」

「わかりました!」


 話が終わるころには、駐車場に五稜館高校の生徒を乗せたバスが揃い、総勢150名近い生徒たちが鎌倉の地を踏む。先生たちの間にはピリピリした空気が漂っていた。山岡教諭だけが『いい天気だなぁ!』と一人ご機嫌だった。

 いよいよ観光が始まるということで、修学旅行も本番だ。ここで生徒たちが何かやらかせば五稜館高校の名は地に落ちるのだから、目を光らせるのも当然だろう。


 暁人も似たような気持ちだった。

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