第2章 いざ、鎌倉!

第11話 はるばる来たぜ東京

「え〜、班長の皆さんへの伝達事項は、以上になりま〜す」


 羽田空港の一角。山岡教諭がメガホンを片手に、やたらとテンション高めの声を響かせている。彼の横には、各クラスの担任や学年主任の先生が死んだような目で並んでいた。

 まぁ、先生方からすればこの3泊4日、とても楽しむ気にはなれないのかもしれない。特に3日目の自由行動のことを思えば、まさしく地獄だろう。ウキウキしてるのは、「ザ・無責任」こと山岡教諭だけだった。


 現在10時50分。おおよそ予定通り、彼らは関東平野に降り立っていた。


 高校に集合したのが7時。そこから校長先生のありがたいお話ののち、バスで出発し、函館空港に到着したのが8時。函館を発ったのが9時10分。1時間半のフライトだ。実は暁人は飛行機に乗るのは初めてだった。乗る前はめちゃくちゃ不安だったが、班員に対しては押し隠した。エンジン音が鳴り響くたびに胃が縮むようだったが、口元には笑みを浮かべ続けた。特に静乃なんか絶対飛行機に乗ったことあるはずだし、バレたくはなかった。たぶんバレていないと思う。


「やほ、浅倉くん」


 班員たちのところに戻ろうとすると、クラスメイトの橘縁が声をかけてくる。


「おっ、委員長」

「浅倉くん、飛行機乗るの初めてだったでしょ〜」

「げっ」


 縁は、心底意地悪そうな表情を浮かべていた。暁人は気まずそうに頬を掻く。


「ば、バレるもんか……?」

「どうかな〜。他の子は気づいてないかもね」


 ちなみに暁人とクラスメイト達は相変わらず仲良くやっている。暁人があまりもの班に配属された当初こそは絶妙な気まずさもあったものの、1ヶ月も経てば過去の話だ。その間にも、暁人はしっかりクラスメイトと一緒に遊びに出かけたり、下校中に買い食いしたりしていた。


 特に縁をはじめとした、1組の班長連中とは、班長ミーティングのときによく顔を合わせている。


「そういえば3日目、うちの班と浅倉くんの班、ちょっと被るみたい」

「へー。どこで?」


 暁人は、縁の広げた自由行動スケジュールを覗き込む。


「御浜海水浴場。あたし達はその後、すぐにシーパラダイス行って沼津の方まで遊びに行っちゃうけど」

「お、ほんとだ。でもさ、委員長のところも、決めるの結構揉めたって聞いたよ」

「うん。そうなんだー。いやほんと、班長として情けなかったなー」


 がっくりと肩を落とす仕草を見せる縁。だが、彼女はすぐに身体を起こして、暁人ににじり寄る。


「ね、ね。御浜ビーチで一緒になったらさ、班員の子たち紹介してよ」

「俺は良いけど、あいつらはどうかなぁ……。ま、聞いてみるけど期待しないでくれよ」


 軽くそんな会話をしてから、縁と別れた。


 紹介と言ってもなぁ。

 1組の連中から少し離れた場所にまとまっている班員たちの元に戻りながら、縁の言葉を反芻する。


 ヤンキー、陰キャ、ゴスロリ、そして長身娘改め長身アラサーお姉さん。


 あいつらは決して人に懐く生き物ではない。軽々に紹介して良いものだろうか。

 この1ヶ月、班の中で多少なりとも意思疎通が可能になったことは認めよう。しかしそれは、トカゲが人間の手のひらからご飯を食べるようになったものだ。慣れているだけで、懐いているわけではない。事実、暁人は静乃以外の班員のことをほとんど何も知らない。悪い奴らではないと思うのだが。


「飛鳥馬さんっ、ダメですっ! 落ち着いてっ!」


 静乃の悲鳴にも似た声が聞こえてきて、暁人は早足になった。


 班の場所に戻ると、莉央が2組の生徒を思いっきり威嚇しており、それを静乃が羽交い締めで押さえつけているところだった。


「あっ、浅倉くん。いいところに!」


 こういうときは静乃の巨体が頼もしいな。


「何があったんだ。だいたい想像つくけど」

「飛鳥馬さんが急に走り出して2組の子に真空飛び膝蹴りを……」

「ちょっと想像超えてきたな」


 学校外の人や先生に見られやしなかっただろうな。下手したら修学旅行中止だぞ。

 見れば、莉央が威嚇する視線の先には、顎のあたりを押さえた生徒が、何やら叫んでいる。班長会議で何度か見た顔だった。


「こ、これは厳重に抗議をさせてもらうぞ! 修学旅行の初日にっ……!」

「がるるるるるっ!」

「こいつ人の言葉が通じないのか!?」


 暁人は、努めて冷静に静乃の方を見る。


「うちの保健係に手当をさせてやれ」

「ロコさんはまだ飛行機酔いが治らなくてさっきから吐いてます」

「役に立たねーなあいつは……」


 見れば、駐車場の柱にもたれかかりながら、麗に背中をさすられていた。麗は、いつも持ち歩いているクマのぬいぐるみをここにも持ち込んでいる。というか、今回の旅行で初めて知ったのだが、アレは実はぬいぐるみ型のバッグだったらしい。


 まぁとにかく仕方ない。暁人は、「まぁまぁ」と言いながら2組の班長くんの方へと歩いていく。


「ここは矛をおさめてくれよ」

「き、君は……!」


 なぜかおののいた様子を見せる班長くん。


「増水した松倉川に飛び込んで子供を救出し、消防署から感謝状をもらった1組の浅倉くんじゃないか!」

「あったなそんなことも……」

「君ほどの人格者が矛をおさめろと言うなら仕方がないな……。みんな、行こう!」


 ぞろぞろと引き上げていく2組の生徒たち。

 もうちょっと揉めると思ったんだがえらくあっさり引き下がられてしまった。まぁ良いか。


「なーにやってんだよ飛鳥馬」


 2組の生徒が場所を離れた後、さすがに莉央を嗜める。だが、彼女はまだ不満げだ。静乃に拘束されたまま、今度は暁人を睨む。


「班長、あいつらに謝らせろ」

「なんか言われたの?」

「あいつら、遠巻きにアタシらをバカにしやがった」


 まぁ、そんなところだろうなとは思ったけども。

 暁人は、去っていく2組生徒たちの背中を見た。そこまで悪い連中でもなさそうだが、こちらもなかなか粒揃いの問題児集団だ。ついつい遠くから指を差してしまうようなこともあるのかもしれない。行儀は良いとは言えないし、心情的には莉央に味方してやりたくはあるが。


「気にしすぎてもしょうがないよ飛鳥馬。これから指差されることなんていくらでもあるんだろうし、その度に目くじら立ててちゃしょうがないだろ」

「そうですよ。人生、指差されることなんていっぱいあります」


 ぱっと手を離し、静乃も言う。妙に実感がこもっている言葉だった。

 だが、莉央は「けっ」と吐き捨てる。


「アタシはそのたびに目くじらを立てていくね」

「シャンクスだって格下に酒ぶっかけられても平然としてたろ」

「アタシならその場でヒグマを殺す」


 まぁ、それはそれで一貫したカッコいい生き方なのかもしれないが……。

 そこまで覚悟が決まっているようなら、あまり注意しても仕方ないのかもしれない。暁人は頭を掻き、方針を少し変えることにした。


「せめてこの修学旅行中は我慢してくれよ。俺はみんなで最後まで楽しみたいしさ」

「………」


 莉央の返事はなかった。腕を組み、口にロリポップキャンディーをくわえたまま、不機嫌そうに腕を組んでいる。

 これが修学旅行の1日目……どころか、まだ観光地にも着いていない! なかなかタフな4日間になりそうだ。


 それまで隅っこでゲーゲー吐いていたロコが、よろよろしながらこちらへ戻ってくる。


「……あいつらがバカにしてたのはきっとボクだよ」

「大丈夫かおまえ」

「ボクはクラスから排斥されてるからね。最初はそうでもなかったんだけど、だんだんみんな冷たくなっていったっていうかさ。別にいいけどね。ボクそんな変なことやったか? 質問に正直に答えたり、カラオケでみんなが知らない曲を歌ったりするのって、そんなに悪いことか? 誰かが『これ誰の曲?』って聞いてくれるのがボクの唯一の幸せだぞ? なぁ」


 ……まぁ、そんなところだろうなとは思ったけども。

 暁人は、次にロコの後ろにいた麗を見る。麗は相変わらず無表情だったが、暁人と同じことを考えていそうだった。


 うーん、前途多難!


 気にしないで次いこう次!


「さっさとバスに乗り込もう! 俺たちは何組のバスに乗るんだい、乗り物係の一ノ瀬ノセさん!」

「はい! 2組です!」

「気まずっ」


 その後バスに乗り込むと、班長くんはあんぐりと口を開けて出迎えてくれた。結局、ロコはその後のバスで乗り物酔いが再発し、保健委員としての本分を一度も発揮することがないまま、クラスメイトの保健委員たちの手厚い看護を受けることになった。


 吐きたいのは暁人も一緒だった。

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