第9話 容疑者 一ノ瀬静乃

「まいったなぁ……どこで落としたんだろ……」


 一ノ瀬静乃は、独り言を呟きながら空き教室の中を探し回っていた。部屋の隅を覗き込んだり、机を動かしてみたりするも、捜索は順調とは言えない。

 失くしたは間違いなくこの部屋。静乃たち“あまりもの班”がミーティングをしている空き教室のはずだ。


 毎回、静乃は一番乗りでこの部屋に来てミーティングの準備をしたり、勉強の予習復習をしたり、片付けなきゃいけない書類を片付けたりしている。最初の顔合わせの時からずっとだ。おっちょこちょいの自分なので、モノを落とすタイミングはたくさんあったに違いない。

 一度、下校中カバン開きっぱなしだったことに、帰宅後に気づいたこともある。


「はぁ〜、最近、落とし物してばっかりだなぁ……」


 だが、今回は極め付けだ。さすがにアレはまずい。色んな意味でまずい。見つからないのもまずいが、他の誰かに見つけられるのが一番まずい。自分の秘密、特にに関わるものなのだ。


 さっき自分で動かした机の下も、念のためもう一度覗き込む。一度確認した場所でも、落ち着かないからまた探してしまう


 ただでさえ身長184cm(逆サバ読み)で奇異の視線を向けられる静乃である。これ以上、妙な目で見られるのは嫌だった。今度こそ、普通の学園生活を送ると決めたのだ!

 これ以上、自分が普通じゃないと思われるのは耐えられない。せめて、この学校だけでは普通でいたい!


「よし、早く見つけちゃお! 浅倉くんとか勘が鋭そうだし……」


 拳をぐっと突き上げる。その時、背後から最近聞き慣れた声が響いた。


「俺がどうしたって?」

「ぎゃああああああああっ!!」





 すごい声が出たな。目の前で飛び跳ねる背中を見て、暁人はそう思った。ちょっと天使っぽくはない。


 実は、一ノ瀬静乃が空き教室でひとり何かゴソゴソやっているのには、暁人もしばらく前から気づいていた。暁人が静乃への疑いを強めた理由でもある。ただ「仲良くなりたくない」という彼女のスタンスを考えて、詳しく問い詰めるのを控えていた。


 そう、静乃だ。

 暁人が白羽エルナの正体として疑っているのは、一ノ瀬静乃だった。


 アクキーを拾った時からずっと、一番可能性が高いのは彼女だと思っていた。


 証拠と言えるほど確たるものは少ない。だが声質が似ているし、一貫して距離を詰めたがらずに何かを隠している様子もある。昨日の配信で「調べ物を頑張った」と言っているように、静乃の行動とエルナの配信での言動が一致することも多かった。もちろん先ほども挙げた「何かを探している様子」も気になる。


 そして何より、性格的なギャップが一番少ない。

 

「(一ノ瀬さんだったらいいなぁ……)」


 暁人の推理には割と私情が混じっていた。


「い、いや、浅倉くん。これは……」

「何か探し物か。手伝おうか?」

「い、いいですよ! そんな大したものじゃないですから……」


 両手を前に突き出し、顔を左右にぶんぶんと振る静乃。


 我ながら、ちょっと意地の悪いタイミングで声をかけてしまったと思う。だが、大きなお尻を突き出して探している時に登場するのは、さすがにちょっと躊躇われた。かと言って、あまり待っているとミーティングの時間になってみんな来ちゃうし。


「は、早くミーティングの準備しちゃいましょう。あはは……」


 静乃は明らかに挙動不審といった様子で、部屋の中にちらちらと視線を走らせている。


「一ノ瀬さん、結構前からこの部屋で探しものしてるでしょ」

「し、知ってたんですかぁ!?」


 暁人は少し視線を伏せてから、静乃を正面から見据え、はっきりと言った。


「一ノ瀬さんの秘密にも、心当たりがある」

「うぐっ……」


 静乃の大きな身体が、小動物のようにびくりと震える。


 うーん、尋問してるみたいだ。静乃の怯えた仕草を見ていると妙にいじわるな気持ちになってしまうが、あんまりこういうのは引っ張らない方が良いだろうな。


「何探してるのか教えてくれたら、手伝うよ」


 そう言って学生服のポケットにしまった、アクリルキーホルダーをぎゅっと握りしめる。


「……そう、そうですよね」


 しばらくの沈黙の後、一ノ瀬静乃は観念したように呟いた。


「浅倉くんは勘が鋭いから、いつか私の“正体”に気づくんじゃないかと思ってました……」


 正体。


 おおよそ日常では使わない言葉を、静乃は口にした。


「……わかりました。浅倉くんには教えます」

「うん」

「私が探してるもの、それは……」


 静乃の大きな手がぎゅっと握りしめられる。唇が震え、視線が部屋の隅を泳いだ。

 暁人は、ごくりと唾を呑み込む。


 これで、もし白羽エルナ=一ノ瀬静乃だと告白されて、その後自分は今までのように静乃に接することができるだろうか。今までのようにエルナを推していけるだろうか。

 だがその不安以上に、エルナに失くしているアクリルキーホルダーを返してあげたい気持ちが強かった。


 いや、待てよ?


 静乃は「いつか“正体”に気づくんじゃないかと思ってた」と言った。


 それって、暁人が極度のVオタであることを知っていないと出てこない言葉ではないか?

 暁人は今までに一度だって、静乃にVtuberや推しの話をしたか?


「私が探しているもの、それは……」

「一ノ瀬さん、ちょっと待っ……」

です」

「……は?」


 静乃は羞恥に顔を赤くしながら、視線を背けてこう言った。


「……お察しの通り、成人してるんです。私」




 ぜんぜん、お察しなんかではない。予想外のところから飛んできた一撃に、暁人は混乱し、動揺し、迂闊なことを口走りそうになる。

 だが実際の暁人は、まったく違う行動をとった。


「やっぱり……そうだったのか」


 すげぇな、俺。


 ここで予想が外れたという態度を見せれば、梯子を外された静乃は余計に恥をかくことになる。暁人は平静を保ち、「知っていた」風を装うことに成功した。


 成人? 静乃が? 年上ってこと?


 身体は大きいし、調べ物や情報整理なんかはやたらとてきぱきしてるが、そんな感じはまったくしなかった。失礼だが、頼りがいがあるという風でもないし。見た目だって、無理して若作りしている様子はない。


 静乃が、お姉さん。


 違和感がすごい。


 だが、暁人はもちろんそんなことおくびにも出さない。


「妙だとは思ってたんだ。ええと、なんかまあ、いろいろと……」

「な、なるほどぉ。さすがですね……」


 やめてくれぇ。そんなキラキラした目で見ないでくれぇ。


「あの、ちなみに幾つくらいか聞いても良いですかね。ハタチくらい?」


 暁人が尋ねる。静乃がぶんぶんと首を横に振る。


「22くらいとか?」


 またしても首をぶんぶんと横に振る。

 暁人はこれ以上聞くのをやめた。人には触れてはいけない心の痛みがある。そこに触れてしまったら最後、あとは命のやり取りしか残ってはいないのだ。有名な漫画からの引用だが。


「あと、他に秘密とかないよね?」

「へ? なんのことですか……?」

「なんでもない! 免許証探そうか!」


 高身長ムチムチ女子! 引っ込み思案! 成人済み!

 これ以上、設定を盛られてたまるか! すでに十分過積載だろ!


 他の班員が来る前に、暁人は静乃の免許証探しを手伝うことにした。なんでも、暁人がアクキーを拾ってから1週間後くらいに、この教室で失くしたらしい。

 出さないといけない書類があって、それを書いていたのだが、その日は飛鳥馬莉央が早めにミーティングに来て、静乃は大慌てで書類をカバンにしまった。その時、勢いで一緒に出していた免許証がどこかに行ってしまったのだ。


 そんな作業、こんな危ないところでするなよとも思ったが、まぁその辺のうっかり具合が彼女らしいと言えば彼女らしい。


 暁人が捜索に加わってまもなく、静乃の運転免許証は、掃除用具入れと壁の隙間から見つかった。


「あった!」

「ほんとですか!」


 マジもんの免許証だ。

 写っている静乃の写真は今に比べるとだいぶ表情が暗く、眼鏡をかけていた。髪型も今に比べてさらにモサッとしている。


 暁人は、免許証をまじまじと見つめて言った。


「……一ノ瀬さん、ひょっとして、俺と干支が」

「だから言ったじゃないですか!? ドン引きされるような秘密だって!」


 静乃はすさまじい勢いで、暁人の手から免許証を奪い取る。


 一ノ瀬静乃が、必死に隠そうとしていた彼女の正体。


 それはちょっと擁護できないレベルでサバを読んだ、アラサーお姉さんであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る