第8話 準備期間

 問題児たちも少しは素直な部分が見えてきたりして、ミーティングも少しは楽になるだろうと思ったのだが、甘かった。これまで双方向コミュニケーションが皆無だったミーティングの場は、彼女たちが自我の発露を躊躇わなくなったことで、衝突の絶えない場になってしまったのだ。


 なんのかんの言って2週間近くが経過していたが、議論はほとんど進展していない。


「なんで明太子食った後にプリン食ってその後また海産物食うんだよ! バランス考えろ!」

「は、はぁ!? お、おま、おまえこそ一日中美術館巡りじゃないか! ヤンキーのくせに高尚な趣味持ちやがって!」

「あァン……?」

「ひぃっ、暴力反対! 助けて!」


 ヤンキー莉央にビビり散らかしていたロコが、キツめの自己主張で言い返すようになったのは成長と言えるかもしれないが、ミーティングの進行は大いに妨げられた。

 ミーティングで一番の課題となったのは、やはり伊豆の自由行動だ。麗の第一希望が西伊豆の天窓洞、莉央の第一希望が熱海のMOA美術館。タクシーでの移動は1時間半かかり、どう考えても同時にめぐるのは効率が悪いのである。加えて、そもそもこの二人もあまり相性が良くなさそうであった。麗は翻訳アプリを用いて莉央を「下品」と罵り、莉央は麗を「不気味なやつ」と吐き捨てる。二人の間の溝は深い。


 移動距離的にはだいぶ無駄があるが、一応、両方行くプランもなくはない。


 そう提案すると、それまで二人を仲裁する側だった静乃がばしっと手をあげた。


「動物園か水族館! どっちかは絶対に行きますっ!」


 こうなってくると、もう現実的なプランは無理だ。動物園や水族館は、東伊豆や沼津の近くに固まっている。伊豆の海岸沿いなら割とどこにでも海水浴場はあるので暁人はあまり言うことがなく、ロコも結局美味しいものが食べたいだけなので見守ることになる。


「じゃあ、こういうのはどうですかっ!」


 ばっと地図を広げ、静乃が提案する。


「藤崎さん第三希望の龍宮窟と飛鳥馬さん第二希望の上原美術館なら、どっちも下田市内で近いです! 私も第五希望の下田海中水族館にします……! 海水浴場いっぱいあるから浅倉くんの希望も叶います!」

「あの、ボクは……?」

「下田市内で完結してるから、美味しいお店をピンポイントで予約して行きましょう! どうですかっ!」


 普段はこじんまりとした動きをしている静乃だが、この時ばかりはダイナミックな主張をしている。


「あー……」

「………」


 莉央と麗も、地図を見ながら少し考え込んでいる。彼女たちも、なんだかんだ静乃には一目置いているのだ。その静乃が、自分の希望順位を下げた上でこう言っているのだから、確かに呑んでもいいか、くらいには考えているのかもしれない。

 実際、バランスのとれた良いプランだ。事前に下調べをしっかりしている静乃だから出せるプランと言ってもいいだろう。だが、暁人は全員の反応を見回してから、こう言った。


「いや、やめとこう」

「えっ!?」

「一番行きたい場所にひとりも行けないの、良くない気がするんだよな。藤崎は第三希望まで下げるのが不満だろうし、飛鳥馬の第二希望もこれ、強いて言うならってレベルじゃないのか?」


 麗はクマのぬいぐるみを抱きしめてこくりと頷き、莉央は驚いたように目を見開いた。


「一ノ瀬さんは、多分どこの動物園や水族館も楽しめそうだから、あえて順位をつけるならって感じでしょ? だから、

「え、す、すごっ! 人間理解力高すぎませんか!?」


 静乃の声は、驚嘆を通り越してなかばヒキ気味であった。


「わ、私、浅倉くんとは絶対仲良くなりたくないかもです……!」

「その言い方傷つくなー……」

「じゃあどうするんだよ」


 言い争いを静観していたロコが、胡散臭いものを見るような目を暁人に向ける。


「現実問題として、二人の第一希望には行けないって話をしたばっかだろ」

「じゃんけんで決めようぜ」

「は?」


 暁人は、資料をテーブルの上に放り投げる。


「こんだけ二人が主張してるんだ。たぶん、天窓洞もMOA美術館もどっちも行ったらすげー楽しいと思うんだよ。まぁ、どっちかは行けなくて悔しい思いをするんだけど、妥協案は二人が悔しい思いをするだけだからさ」


 暁人は友人や先生から「おまえの推してるV見たよ。いいじゃん」と言われる瞬間が好きだし、逆に他人のお薦めしてきた映画が面白かったりすると嬉しい。人間が推すものにはパワーがある。おそらく天窓洞は莉央を、MOA美術館は麗を満足させることだってできるはずだと思ったのだ。たぶん、静乃プランは「あーあ、あそこ行きたかったなー」という気持ちだけが残る。「全力で楽しむ」という暁人のスタンスからは外れていた。

 静乃プランが決して悪いわけではない。ただ、この寄せ集めグループが全力で楽しむには、妥協は邪魔だと思ったのだ。


 その考えが通じたかどうかはさておき、莉央と麗は厳かに向き合って、じゃんけんをすることになった。


 結果として、


「くそぉぉぉ!!」


 地面を叩いて悔しがる莉央。静乃がレフェリーのように麗の手を持ち上げるが、身長差がありすぎてつれていかれる宇宙人みたいになっていた。


「じゃ、天窓洞を組み込んで西伊豆を中心に考えるか。食いたいものはロコの希望優先で。他の観光地については飛鳥馬の意見を優先的に聞く」

「は、班長、すげぇ……こえぇ……」


 なぜかよくわからないが、隣で陰キャが怯えていた。


「おいゴスロリ、その天……なんちゃら、つまらねぇところだったら承知しねぇぞ」


 恨みがましい視線で、莉央が麗を睨みつける。少し間があってから、麗は答えた。


「わもいっだごとねはんでわがねじゃ」

『私も行ったことがないので、よくわかりません』

「おい!!」





 その日の夜、白羽エルナの雑談配信があった。


 エルナのアクキーはまだ返せていない。一度、山岡教諭に「自分の代わりに事務所へ送ってもらえないか」と相談したら、「え、嫌だよ。通ってる学校の教師が『拾ったよ』って送ってくるの、めっちゃ怖くない?」と言われてしまった。わかっているけども! 同じように悩んでいるけども!

 その後、しかたないから自分で送ろうと考えて色々調べてみたら、タイミング悪く事務所から「弊社所属タレントへのファンレター&プレゼント受付停止のお知らせ」が掲げられてしまった。ライバーに危険物を送ったアホがいて、ちょっとした事件になったのだ。


 なので、エルナのアクキーはまだ返せていない。


 問い合わせフォームに「どうしても返したいものがあるので送り先を教えてください」と送ったが、返事はまだ来ていない。もしかしたら、似たような手口でどうしてもプレゼントを送ろうとしている奴がたくさんいるのかもしれない。


『天こ〜ん。天使見習い兼天界女子高生のぉ〜、白羽エルナだよーっ』


 そんな交代でエルナの配信を見るのは少し複雑だったが、今日もエルナは可愛かった。


 最近、エルナは修学旅行の話をしている。身バレを防ぐために、具体的にいつ行くかは明らかにしていない。「みんなが忘れた頃に思い出話とかするかも」とのことだった。

 なお、行き先は公言している。「静岡と神奈川の間らへん」。つまり鎌倉・箱根・伊豆がドンピシャだ。


『そう言えば今日ね、天界同級生の子たちと揉めちゃってさね〜』

【あらら】

【えるーなも喧嘩するんだ】

【班の子?】

『うん、そう〜。班の子〜。みんな行きたい場所がばらばらだったんだよね〜』


「思いっきり今日のこと話してるな……」


 暁人たちはクラスメイトではないが、そこの正確性は些末というか、むしろ正確に話すとリスナーを混乱させそうだ。


『それでね、話まとまらないからみんな行きたいところ譲歩しない? ってなったの。そしたら班の子が、それはダメだって』

【ほうほう】

【どうしても行きたいところがあったのかな】

『あ、揉めてた子じゃないんだよね。全員が妥協するよりは1人が絶対行きたいところをジャンケンで決めた方が良い、みたいこと言ってね〜?』


 エルナが内容をめちゃくちゃぼかして言ってくれているので、まだなんとか聞けるが、これが自分と特定できる内容で話されたら、すぐに視聴を中断してしまいそうだ。

 これは暁人も今回初めて自覚したことだが、暁人は推しの人生に自分が関わっている違和感を無視できないタイプのようだった。


『私も調べ物とか頑張ったんだけどね。ああいうまとめ方ができるのは、あの子の力だなって。う〜ん、コミュ障には無理ですね〜」』


 天使のような甘い声で軽い自虐を交えつつ、鈴の音みたいな笑い声を漏らす。そんな調子で、雑談配信は1時間半ほどで終わった。

 エルナの声に頬を緩ませっぱなしだった暁人も、終わった後には険しい顔を作って画面を睨む。


 アクキーを拾ってから今まで、エルナの配信は何度かあった。


 エルナは自身の周辺について特定できるような発言を徹底して避けているが、当てはめていくと自分たちの周りで起こっていることと合致することが多い。やはり、4人の班員の中にエルナがいると考えて、間違いないだろう。


 いや、暁人にはもう、既におおよその心当たりはついていた。

 そろそろ、覚悟を決めた方が良いのかもしれない。


「……明日、ちょっと聞いてみるか」


 机の引き出しから丁寧に密封されたアクリルキーホルダーを取り出して、暁人は呟いた。

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